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南満州鉄道に勤務していた祖父を探す ~満鉄職員の調べ方~

 南満州鉄道、と言っても若い方にはピンとこないかもしれない。日清日露戦争に勝った日本は、中国大陸の一部に口出しする(進出する)ことができるようになり、滅びた清の皇帝を担ぎ出して新しい国を作った、それが満州国であり、その満州のインフラ整備を進めるために作った国策会社が南満州鉄道である。 その満鉄に勤務していた祖父は、つまりは本来長男ではなかったので、先祖代々の土地を受け継ぐことができず、大陸へ渡った、というわけである。 しかし、まあいろいろあって、実は最終的に祖父は、このブログでも書いているように、大塚氏累代の墓がある本家の家に住むことになるのだが、それはまた別のお話。 さて、満鉄である。現在40代になった大塚某ぐらいになると、仕事で付き合いのある方や、あるいは個人的な知り合いで、「私も満州生まれです」とか「父や祖父が満州にいました」という方にたくさん出会う。 実際に、うちの奥さん(まだかろうじて20代)ですら、祖父は満州で終戦を迎え、そのためシベリア抑留に遭っている。 戦国時代どころか、まだ直接話を聞ける世代に、戦争の残滓が残っているというのは、とても貴重なことである。 満鉄関係の資料は、以前は「満鉄会」というところが所蔵していたのだが、平成28年3月を以って解散しているので、所蔵の資料は国立国会図書館に譲渡されてる。 満鉄会のすごいところは、記録があるだけすべての職員名簿をデータベース化し、所属や業務内容、あるいは当時の給与などをまとめ挙げている点である。 それも、コンピュータ管理ではなく、(昔の図書館を知っている人はわかると思うが)目録カード方式で個票管理なさっている。手作
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満州から引き揚げてきた、祖母の底力

私の祖母は、もう10年以上前に、94歳で亡くなりました。 かなり変わり者で、口の悪い人でしたが、憎めないキャラクターで一族に愛され、私や私の娘たちを含む、多くの命を繋いだ存在でした。 あまりにも強烈な個性の持ち主で、基本的に何を言っているのかよくわからなかったのですが…… ある時、唐突に昔話をしてくれました。 祖母は、当時満州鉄道で働いてた男性(私の祖父)と結婚し、満州へと渡ります。 支配民としてかなり恵まれた暮らしをしていたようですが、日本は戦争に敗北。 急遽、国を失った祖母は、日本へと引き上げることになります。 地元民が石を投げつけてくるなか、訳もわからず荷物をまとめて出発。 「馬賊だが匪賊だかが襲ってくるって言われて、ビクビクしながらみんなと逃げた」 そうです。 (祖母の話は所々要領を得ず、この時、なぜ夫(祖父)がいなかったのかなどは不明) 引き揚げ船では、荷物は1人1つまで、と命令されます。 祖母はこの時、すでに3人の子どもを抱えており、うち一人はまだ赤ん坊。 荷物のうちひとつはオムツが詰まっていたそうですが、これを取り上げられそうになり、祖母は、 「これだけは、これだけは!」 としがみついて、持たせてもらったそうです。 日本に向かう船は、ぎゅうぎゅう詰めで劣悪な環境。 苛立った男の人が、誰かを急に怒鳴ったり、殴ったりする場面も見たそうです。 途中、死者も出る。 極限に思える状況に、私は、 「おばあちゃん凄いね、大変だったでしょ?」 と聞くと、 「私は鈍感だから、なんだかよくわかんなかったね~。ま、繊細な人は大変だったでしょうね」 と、ケロリと答えます。 「ある女の人が
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