セックスワーカーについて-買売春肯定論(3)
さらに続いています。昨日の記事の最後の部分で書いた人権派的な買売春否定論は、主にフェミニスト、教育学者、カウンセラー、弁護士等が展開しているものです。要するに売春を含むセックスワークそのものが「身体」、「生命」、「人格」の尊厳を損なうものであり、許しがたい人権の侵害であると主張しているわけですね。この人たち、特にフェミニストは、売春を行う女性を「男に支配された憐れむべき可哀相な存在であり、必ずどこかで傷ついている」として、自由意志によって売春する彼女たちの主体を認めません。しかし、前から感じていたのですが、フェミニストたちは女性解放を標榜している割りには、性については非常に保守的であることがあります(もちろん、人によります)。性そのもの、そして男性を憎悪していると思われる意見も少なくなく、買売春だけでなく、性に関わることはすべて悪であり、その根源には男性がいると考えている人がいるようです。この問題はまた別の機会に取り上げますので、話を戻します。ところで、倫理的観点から買売春を否定する男性に見られるのですが、まったくの建前で話していることがあります。たとえば、作家の村上龍氏の作品「ラブ&ホップ」では、主人公は援助交際をする少女に以下のように語っています(作中人物と作者は違うというかも知れませんが、他の発言と照らし合わせると著者の意見と考えてもいいでしょう)。「そんなことしちゃだめなんだよ。名前も知らないような男の前で、裸になったりしちゃだめだ、それをしったらすごくいやがる人がいるんだ、誰にだって必ずいる。そいつが一人でいる時に、悲しくて辛くて泣きそうで一人でいる時に、そいつの大切
0