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はじめまして

昨年までうつ病や双極性障害などの精神疾患の方の自立支援や就職支援などサポートする福祉事業所の職員として働いてまいりました。たくさんの方の面談や相談を受けたり、ハローワークや企業訪問、面接同行など就職活動を共に精力的に行ったり、様々な活動をしてきました。仕事は定年まで続けようと思って毎日やりがいを持って働いていました。ところが、50歳の誕生日を迎え、小さな不調を感じ街のクリニックを受診したのが2024年の5月。クリニックから「紹介状をすぐに書くので至急大きな病院へ行ってください!」と言われすぐさま大学病院を受診。悪性腫瘍…癌でした。MRIや様々な検査を受け、術前のステージは4B…バツイチで娘たちもようやく大きくなってこれからと思っていた人生。腫瘍も大きく、手術もギリギリな状態。それでも、「私、まだ死にたくない」と思いました。そうは思いつつ、どこかで、まるで自分自身のことに思えず、他人事のような気分。現実から乖離した気分でした。でも、間違いなく自分に起こっている出来事。5月末に発覚後1か月後の6月に容態が悪化し12時間を越える緊急手術。手術は成功。術後すぐはものすごく苦しかったですが、1か月以上の入院で徐々に回復。病理の結果、あるとされた転移は無く、ステージ4B→3Cになりました。それでも、余談は許されないステージ。そして8月から3週間に1度の抗がん剤入院を6回繰り返しました。11月に抗がん剤治療6回が終わり、12月のCTで経過観察(無治療)と言われ、現在に至ります。今は癌の治療はしておらず、月1回の血液検査(腫瘍マーカー)のみです。ですが、あちこちガタが来ていたようで、ほか科での
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美談にならない話

「世の中は美談に溢れている」 ちょっと斜に構えた言い方をしてみた。 人は美しいものに憧れる。美しい話をしたくなる。感動したくなる。 しかし、その前提に正反対の過酷な現実を求める。 苦労なしには誰も今の現実を美談として語ってくれない。 美談とは陽と陰の組み合わせだ。そして最後は陽で終わらなければならない。 パーピーエンドのない美談は存在しない。 美談の主人公は、必ずしあわせにならないといけない。 でも現実はもっと過酷だ。 最後が必ずハーピーエンドとはならない。 苦境だけで生涯を終える人がほとんどだ。 でも本当は、美談にならない部分にこそ生きる源泉がある。 人を観るとき、その人の一番影の濃いところを観る、それが大事だと思う。 その人の影の部分にうごめいた、憎悪や嫉妬などの醜さを受け入れる許容さが必要だ。 それは後に美談にならなくても同じことだ。 上澄みのような美談を聴いたら、川底に淀む泥のような感情を想像したい。 「闘病記」には、躊躇して書き淀んだ負の感情があった。 それを書けば読み手がどう思うかと、自分の死を空想する時でさえ綺麗ごとにしようとする。そして、そんな自分の哀れさにふっと張りつめたこころが緩む。手が止まる。闘病記の作者はいま、どんな顔をしてこの記を書いているのだろうか?  
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ー障害者になった日【神様が与えた試練】ー

その前日の夜、1人の少年は無邪気にクリスマスツリーを飾っていた。 次の日、あの病魔に襲われるともしらずに。 クリスマスツリーを飾り付け、夜ご飯を食べて、眠りに就く。 「Xデー」 2006年12月18日 起床時、異常は全くなく、いってきますの掛け声とともに学校にダッシュで向かった。 「きっと何事もなくお家に帰る」だれもがそう思った事だろう。 しかし、運命とは残酷なものだった。 その日の体育の授業中のこと・・・ 走り幅跳びをしていた私 走り幅跳びは得意なハズだった。 しかし、その日は思うように記録が伸びなかった。 今思えばこれは病魔の仕業だったのかもしれない。 しばらくして、激しい頭痛と嘔吐が襲う。 今思い出してもアレは痛かった。 突然私は倒れた。 保健室に運ばれ母が来た際、私は白目をむき痙攣(けいれん)していたらしい。 救急車で運ばれている最中名前を呼ぶ母の声が聞こえたのを覚えている。 本当に死にそうな時は(死ぬのかな?)とは思わないものだ。 CTの結果右脳に広範囲の出血がみられた。 この日から私と麻痺の長い闘いが始まる
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