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「”ハンコ”は世界で大人気~♪^^」

ヘロ~♪ドゥユハブアハンコ??(^^;今、ハンコが世界で大人気とのこと。もう日本ではあまりハンコを必要としていない感じじゃけど~、まだ「印鑑証明」などが必要な取引もあるぜよ。^^;「家の登記関係書類」とか~「車関係の車検証等」とか~、まだまだあるね。^^でも、かなり最近は「銀行通帳」とかもほとんど「ハンコ」って不要かな?ま、まだボクも「定期預金」とかでは、印鑑が必要とのことで、ねえ~、ちょい面倒くさいかも。(^^;日本もね~、大昔って有名な武将とかが、「う~ん。これがワシの書面の証明じゃ」とかって「花押(かおう)」という今でいう「サイン」みたいなヤツを書いていたけど、あれが「手書きのハンコ?」みたいな感じじゃ~ないじゃろか?!^^もちろん「朱印」はあったよ~じゃけど、やっぱ「手書き」っていうのがイイみたい。まあ、世界中で「サイン」はあるけどね~、あまり「ハンコ」って、アジアのそう、中国、韓国、台湾、北朝鮮、日本くらい?かなって。(^^;そろそろ「ハンコ」も「世界基準?」にあわせて「消滅?」の方向に向かうとボクは思っていたんじゃけど~、うん?あれ?なんじゃらほい?「外国人に大人気の印鑑文化」って・・・ほぉ~、だけど、日本人とかだと「漢字・かな」なので特に問題無く「印鑑に名前を彫る」ってできるけど、こりゃ~「外国人の名前」だとちょい困難ではないかな?って思ったね。たとえば・・・・「ジミーヘンドリックス」って、どうじゃ?まあ、「カタカナ」でなんとか印鑑にギュ~って詰めればイケル?かも。あまり、大きな印鑑素材だとね~、ちょい「無粋(ぶすい)」じゃ。ちっちゃい「ハンコ」がやっぱイイのじゃ
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歴史関係の記事、投稿しました。

 Korufel(こるふぇる)と申します。  昔から歴史、特に戦国時代に興味深々ですが、最近は、ふと武将事典などを見渡して「この人面白そうだな」と思う事があり、独断と偏見で選んだ武将を紹介・少し考察する記事を書くことにいたしました。 おひまな時に目を通して頂ければ幸いです(^-^;。 ■“橙武者”薄田兼相について 薄田兼相(すすきだ・かねすけ)は隼人正(はやとのしょう)とも称し、豊臣秀頼に仕え3000石を給しました。  大坂冬の陣(1614)でも豊臣方の侍大将として戦いましたが、冬の陣の11月29日、遊女達と酒宴をしていたばっかりに水路上で重要な博労ヶ淵砦(ばくろうがぶち)を奪われた、という大失態を犯し、周囲から「橙武者(だいだいむしゃ)」と嘲笑されます。  橙は、見かけはあざやかだが中身は酸味が強くて食べられず、正月の飾りにしか使われない――つまりは「見掛け倒し」ということです。  そんなエピソードを持つ武将ですが、実はとある英雄と同一人物だという説があります。  幼少から怪力に優れ格闘技の流派を興し、剣術にも優れていたとする彼ですがその前半生はあまり知られておらず、いつ生まれたのかも、出生地もはっきりしていません(彼に限った話ではありませんが)。  そのためか、後世の歌舞伎等では岩見重太郎(いわみ・じゅうたろう)という同じく怪力の英雄と同一視されるようになりました。  岩見重太郎は、毛利家の小早川隆景の家臣・岩見重左衛門(じゅうざえもん)の次男とされ、父重左衛門が三人の同僚によって殺害された事から仇を討つため諸国を旅することになるのですが、その途中で山賊退治など、数々の伝
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リンゴの季節と戦国武将

信州ではリンゴの季節を迎えています。サンフジとか秋映、シナノゴールド、シナノリップなどいろいろな種類があります。全国には出回らないかもですが、「こうみつ」というブランドのリンゴもあるんですよね。スイーツみたいに甘くておすすめの一品です。ほかにもすわっこなどという地元ブランドのリンゴもあります。さて、リンゴを調べていたら、戦国武将がリンゴをもらったお礼の手紙が残っているということを知りました。近江の浅井長政の手紙でそうです。出羽の最上義光も家臣に充てて、鮭とリンゴを送ってもらったお礼状を書いてます。こうした手紙を読むと、戦国武将の人柄も伝わってくるので楽しいですね。手紙が圧倒的に残っているのが、伊達政宗です。何が残っているかというと、片倉小十郎が、自分に子供ができても主君の政宗に子供ができるまでは育てない、子供は殺すなんて言ってるのを「子供は宝だよ」「絶対に殺すな」と諫める内容だったり、家臣に「飲みすぎて二日酔いだから、午前は休む」という内容だったりと様々残ってます。サボり宣言の手紙などには「読んだら燃やせ」と書いてるものの家臣は殿からもらった文ということで記念に残してるので、現在にも伝わっているようです。文は人なり、というけど、本当にそうなんだと感じさせますね。
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先祖代々、平凡な農家のほうが名家名族である理由

 苗字調べや先祖調査というと、「うちはふつうの農家なので」とあまり関心を持たない方も多いかもしれません。「そんなたいした家柄じゃないよ、ふつうの田舎の農民だし」と思っておられる方も、たくさんいると思います。 ところが、ルーツ調べをしていて、いちばん名家名族、あるいは、古い家柄に繋がることがわかるのは「ど田舎村の、農民の家柄」の人たちばかりです。 逆に、「うちは○○藩の武士だった」というおうちのほうが、ある時期から先が、まったくわからなくなることが多いのです。 一般的に考えると「武士は偉い、農民は従属的存在だった」というイメージがついていると思いますが、それこそが「徳川家康」の狙いです(笑) 私たちは、まんまと「家康の策略」にハマってしまっていて、令和の現代になっても、家康の呪いをかけられたままなのです。 なぜ、そういうことが起きるのか、簡単にお話しますね。====== 先祖代々、田舎の農家の家柄、というと、ずっと農民として汗水足らして働いてきたイメージがあると思います。 それは一部ではまさにその通りで、ご先祖さまは、先祖代々伝わっている「たんぼ」を大事に守ってきたわけですが、ここでちょっと考えてみてください。 その先祖代々の「たんぼ」はどうやって入手したのでしょうか? はるか昔に、当時の不動産屋さんで「売ってた」のでしょうか?あるいは、原野のようなところに入植して、木を切り倒しながら田んぼに作り替えたのでしょうか? あるいは、誰かが持っていた田んぼを作物や布とか銭の束で交換したのでしょうか? もちろん、いろんなパターンがありますが、「たんぼ」と考えるからピンときませんが「領地」
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