今日の「新聞~4~」#18
きた~!!#10で話していた編集委員がやってくれた!他紙の記事を、しかも「社説」を!「主張」を!鋭くバッサリぶった切ってくれた!「社説」というのは、一記者の原稿ではなくその新聞社の報道スタンスを表現するものだ。つまり、彼の編集委員は他社のスタンスを紙面で堂々と論破したのだ。日本に報道、ジャーナリズムが無いと言われて久しい。マスコミは権力者に忖度した「広報」とも皮肉られる。そんな中で痛快だった。駆け出しの記者時代、編集部の女性陣に思いっきり仲間外れ?いじめ?をくらったことがある。約1年間、会議の連絡、担当紙面の割り当てなどなど、私の知らないところで進められていた。キツかったのは毎日のランチだ。気が付くと誰も居ない。踏ん張り続けるために、その時間は5大紙の社説を読み比べることにした。同じ事件や題材でもことばの使い方、見る角度で、意味も印象も全く違うものになっていくことに驚愕した。同時に報道の恐ろしさも実感した。意図的に思想を誘導、洗脳することができる予感がした。報道は常に「事実」において、多角的な視野を持ち、中立であり続けなければならない。と認識した1年だった。ぶった切られた各社の反論を秘かに期待している。#10の若者を嘆くより、「報道」の今を嘆き、「事実」をあぶり出して欲しい。コラムの最後に「さらなる事実を突き止めて、納得のいくまで追求していかなくては」とある。彼、彼女ら若者にそのさまを見せてあげてください。
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