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詩論Ⅱ

                   北村 敦詩とは、虚偽虚飾なき真実の自己表現のことをいうのであろう?しかし、本物の詩はそれだけでは駄目だ。 何とかこの人を 蘇生の泉、希望の園へ導きたい、 何とかあの人を 知恵の森、勇気の峰へ導きたいとの想い、 それから、 妙なる心のリズムと命の調べが、 言葉の中に、詩の中に、 脈動していなければ失格なのだ。 だとすれば詩作とは、全く困難な作業じゃないか。 まるで、現実という楽譜の上に、 理想という音符を刻印する、 それは音楽じゃないか! 詩とは、虚偽虚飾なき真実の 自己を生きる中から生まれるのであろう? 人生という起伏ある道の途上で、 成功しても浮かれず、失敗しても沈まずに、ぎゅっと歯を食いしばり、かっと目を見開いて、自己の使命に食らいつきながら生きていく 姿勢から生まれるのであろうか? だとすれば、詩作とは、 途方もなく困難な作業じゃないか。 まるで真っ白な画布の上に、 真っ赤な命を塗りたくる、 それは芸術じゃないか! ああ、いつの日か僕の体から 赤い血が枯れてしまうことだろう。 けれど、悲しむことはない。 僕の生が本物なら、 僕が死んでも詩は枯れず、 僕の詩は、僕の意志となって、 誰かの心に生き続け、 新たな生を、 意気揚々と歩き始めることだろう。
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現代における漢詩の詩風・詩法観の相違について

 中国における詩作の歴史において、唐代に近体(今体)と呼ばれる詩体が確立して古体も含めて隆盛を極め、それを受け継いだ宋代にはまた独自の理知的な詩風が盛んだったことは大抵の漢詩史に書かれている。さらに元明以降に、唐代の詩風を真似るか、それとも宋詩派になるか、はたまた折衷派を志向するかといったことが時に論争を伴いつつ進展していったこともやはり概説書の類に記されている事柄である。そしてそれは江戸時代以降の日本の文人世界においても同様であったことは、やはり日本漢詩文の概説書類に書かれてある。  尤も、近代以降は唐詩派か宋詩派かといったような形式的な区分けや詩客ごとのえり好みはあまり見られなくなり、またいずれかの優劣を論うようなこともなくなったように見える。しかしそれでも皆無ではないようだ。  例えば、太刀掛呂山『漢詩作法入門講座』(名著普及会、昭和60年)の中での孤平について論じている箇所を見ると、井土霊山の荻生徂徠の詩風に対する称賛を否定的に論じて「(徂徠の作品は)京都や江戸の詩がまるで長安の大道で、完全にシナ風の模擬詩ばかりなので失望して見ぬことにした。」云々とある(262頁)。  徂徠の詩について太刀掛はこれ以上何も述べずに、本題の孤平について徂徠門下の太宰春台の所説を経由して述べている。  太刀掛はあくまで「シナ風の模擬」に否定的なだけであるから、明の古文辞派(復古派)は認めていたのかもしれない(李何李王については何も語っていない)。尤も、中国人が過去のある時代の作品を模擬するのは構わないが、日本人はそれをすべきではないと考えていたとしたら、それはおかしいであろうが。  私は明
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