始めまして。yutaponeと申します。
今回、ブログ機能というものがあるとのことで投稿してみます。
とはいえ、自分語りはあまり好きではないので、見た映画の話をしたためようと思います。
実は去る事1か月ほど前に『ウィキッド ふたりの魔女(Wicked part1)』を海外にて見てまいりました。国内公開は来年の3月ですが、ミュージカル(劇団四季版)のファンとしてはやはり待てませんでした。
一応私も英訳を売る者のはしくれとして、面白い表現があったので下記に記載いたします。
本作は『オズの魔法使』をベースにしたストーリーなのですが、そこに出てくる良い魔女:グリンダ(アリアナ・グランデ)と悪い魔女:エルファバ(シンシア・エリヴォ)の関係に焦点を当てて、この『ふたりの魔女』編では大学での出会いから親密化を経て、陰謀による離別までを描きます。
始まりはこの悪い魔女:エルファバが(『オズの魔法使』でドロシーによって)倒された直後、マンチキン(小人国)のみんながお祝いしているという場面。そこにグリンダが現れ、悪い魔女の死を改めてお知らせするという所です。
そこでマンチキンの一人が「友達だったんですか?(Is it true that you were her friend?)」と尋ねます。
グリンダはこう返す。「Yes...I mean that I did know her.」(ええ、知り合いとしてね)
直後グリンダ「That is our paths did cross.」(直訳:偶然の出会いよ)
こちら舞台版と日本版の予告編では「同級生だったの」と訳されてますが、これ、「運命の出逢い」という意味があります。このフレーズはグリンダ(ガリンダ)によって中盤もう1回使用されます。
『Wicked』作中英語版では度々人は驚嘆を示す際に「Oh,Oz...(Oz)」目上の人を示す際に「Oziness(highness)」といった、オズを神様として信仰するバックグラウンドがあって、「What is the feeling?(四季版タイトル:大嫌い!)」という曲でも「These things are sent to try us.」(これは神様がお与えになった(sent)試練なのよ)というフレーズがあります。感覚としては偶発的な現象を天啓ととらえる一般的なものです。(キリスト教圏が特別な訳ではない)
ついでに思い出しまして、この表現に関連して、映画『スラムドッグ・ミリオネア』『アラビアのロレンス』にも似たような表現がありました。「It is Written.」(書かれていた)
何に?と思われますが、これは聖書(神の言葉/あるいはコーラン)に定められた運命であるという意味になります。
Mathew4:4
Jesus answered, "It is written:
'Man cannot live by bread alone,
but on every word that comes from the mouth of God.'"
マタイの福音書4:4
主はおわした。「定められたし:
人はパンのみにて生きるにあらず。されど神の御言葉の一つ一つに生きるのである」
この神の御言葉というのは「定められた運命」を意味します。『メッセージ(あなたの人生の物語)』的な。なのでここでいう偶然というのは神様からに定められた運命でもあるわけです。
聖書はあくまでキリシタンの教義ですが、『オズの魔法使い』の原作者のライマン・フランク・ボーム、『ウィキッド』原作者のウィニー・ホルツマンの原作をベースに考えれば、『メイドインアビス』みたく登場人物の宗教観までは創作していなかったと思われ、作者の一般的なアメリカ人の感覚は適用できると思います。
なので、「That is our paths did cross.」は「運命の出逢い」と解釈できるわけです。それを踏まえると、このセリフも本作のグリンダとエルファバの深い友情に沁みるものになるはずです。(ここまで書いて、私は別にキリスト教徒というわけではないのですが……ご当地の信仰の知識は映画を知る上ではあったほうがよいものなので)
映画は2部作の前半ですが、今年のベストの1本です。改変部分の足し引きもうまく、『I'm not the girl(私じゃない)』がバラードになっていて素晴らしかったです。後半の『For Good』(永遠に)も楽しみです。
お読みいただきありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします。