対話アート鑑賞がもたらす、正解のない世界へのエンゲージメント
対話アート鑑賞合同会社 代表 天野莉花
対話型アート鑑賞のファシリテーターとして活動し、現在は企業研修などにもその仕組みを展開しようとしている対話アート鑑賞合同会社 代表の天野莉花さん。
誰もが抱えるアートへのコンプレックスを解きほぐし、他者とのコミュニケーション、ひいては社会の分断すらも修復しうると語る「対話アート鑑賞」の魅力と可能性について、深掘ってみました。
対話アート鑑賞とは? そしてなぜハマったのか?
ーー現在、天野さんが取り組まれている「対話アート鑑賞」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
天野:「対話アート鑑賞」は、複数人で一つのアート作品を見ながら、ファシリテーターの問いかけに沿って、参加者が自由に感じたことや考えたことを言葉にしていく鑑賞法です。
もともとアメリカで開発されたVTS(Visual Thinking Strategies)という手法があるのですが、それは「この絵の中で何が起きていますか?」「どこからそう思いましたか?」といった限られた質問だけでストイックに回していくもので、作品の背景知識なども一切入れません。
ただ、それだと日本人には少し合わないと感じていて。初めて体験する方は「第一印象を言って終わり」になってしまい、鑑賞が深まらずに「結局この時間なんだったの?」と戸惑ってしまうことが多いんです。
ーーなるほど、ただ思ったことを話して終わりって感じですね。
天野:そうなんです。なので私がやっているのは、もう少し参加者の想像力を刺激する多種多様な質問を投げかけるハイブリッド型のスタイルです。
「この作品にタイトルをつけるなら?」「この絵の中に入ったらどんな匂いがする?」といった、正解のないIFの問いを投げかけて、作品を自分ごと化させるアシストをしたり、時には「実はこれ、作者が亡くなる前日に描かれたんですよ」といった情報を少しだけ差し挟んだりします。そうすることで、言葉が出ない人でも鑑賞が深まり、誰でも楽しめるようになるのが特徴ですね。
ーー天野さんご自身は、なぜこの「対話アート鑑賞」にここまで惹きつけられたのでしょうか。
天野:ひと言で言えば、これまで自分が「作品を見れていなかった」ということに気づかされたからです。
私はもともと美術館が好きでよく足を運んでいたのですが、第一印象で「いいな」と思ったものはじっくり見るけれど、そうじゃない作品は素通りしていました。でも、対話アート鑑賞に出会って、ファーストインプレッションで「全然興味ないな」と思った作品でも、対話を通して深めていくと、あれよあれよという間に「人生で一番好きな作品になっちゃった」というような変化が起こったんです。
自分がどうして興味がないのか、どこが気になったのかを掘り下げていくと、ないところから急に興味が湧いてくる。本当の意味でアートからの恵みを受け取れる見方はこれなんだ、と衝撃を受けました。
アート鑑賞における「3つの思い込み」と、エンタメとの決定的な違い
ーー「アートの楽しみ方がわからない」という人は多いと思いますが、参加者にはどういう傾向があるんでしょうか。
天野:大きく分けて3種類の人がいます。
1つ目は「アートに関する知識がないこと」を恥ずかしいと思っている人。
2つ目は「自分にはセンスや感性がない」ので理解できないと考えている人。
3つ目は「知識もセンスもそこそこあるけど確信がない」というタイプです。鑑賞がファーストインプレッションに留まっているタイプですね。対話アート鑑賞に出会う前の昔の私がまさにこれでした。
さらに言うと、「アートを見たら感動しなければいけない」と気負いすぎている人も非常に多いですね。名画の前に立って、「先生、私はこの絵のどこに感動していいのかわかりません」と言われることもあります。
ーー「正解の感動」を探してしまうんでしょうね。
天野:そうなんです。でも、感動なんてしなくていいんですよ。最近は映画でもアニメでも「伏線回収」が好まれますよね。全てが繋がってスッキリする。でも、スッキリするものは「エンターテインメント」なんです。
アートはエンタメではないので、スッキリしません。むしろ、もやもやする。考えさせられたり、ショックを受けたり、「なんか嫌だな、気持ち悪いな」と思ったり。
それでいいんです。すぐに理解できなくて当たり前。わからないまま、答えが出ないもやもやした状態でい続けること、その余白こそがアートの良さであり、アーティストが意図した部分なんです。
アーティストが答えを残していると思っているかもしれませんが、アート作品の作者は、たった一つの答えを残しているわけではありません。
「正解」を手放し、感性と対話でアートを見る4つのポイント
ーーその「もやもや」を楽しめるようになるために、対話鑑賞では具体的にどのようなプロセスを踏むのでしょうか?
天野:まず大前提として、「対話アート鑑賞」の主役は参加者であり、ファシリテーターは対話をアシストするサポート役です。その上で、鑑賞においては主に4つのことを大切にしています。 1つ目は、「知識より、今この瞬間を大事にする」こと。たとえ知識として知っていることがあっても、まっさらな心で、今目の前の作品を見て感じたことや考えたことを言葉にしてもらいます。「なんとなく」や「うまく言えないけど」で十分です。
ーー最初は「なんとなく」でいいんですね。次はどうするのですか?
天野:2つ目は、「他の方の意見を、よく聞く。否定はしない」ことです。誰かが話しているとき、それが正しいかどうかよりも、その人が「何を見ているのか」によく耳を傾けてもらいます。「それは違う」と否定せずにまずは受け止めることで、どんな意見も等しく価値がある場を作ります。
ーー相手の視点を受け入れるわけですね。
天野:はい。そして3つ目が、「違う意見こそ、どんどん言ってください」と促すことです。そもそもアートに正解はないので、他の人とまったく違う意見でも遠慮はいりません。「私はこう見える」という多様な視点がぶつかるほど、対話は豊かになっていきます。
ーーなるほど。でも、すぐに言葉が出てこない人もいそうです。
天野:そこが4つ目のポイントで、「沈黙OK、マイペースでいきましょう」と伝えています。考えをすぐに言葉にできる人もいれば、じっくり納得してから話す人もいますが、どちらも素晴らしいんです。この場には「速い・遅い」の優劣はないので、自分のペースで参加してもらうことを大切にしています。
言語化が生み出すエンゲージメント——人が変わる瞬間
ーーこの4つのステップを踏むことで、参加者にはどんな変化が起きるのでしょうか。
天野:知識がなくて戸惑っていた人が、自分の言葉で作品を語り始めた瞬間、その作品が完全に「自分ごと」になります。私はこれを「作品とエンゲージメントする」と呼んでいます。
一度作品とエンゲージメントできれば、その日家に帰ってお風呂に入っている時や、ベッドに入る前にも「あれはどういう意味だったんだろう」と考え続けることができる。すぐに結論を出して消費するのではなく、答えを持たない着地を楽しめるようになるんです。
対話鑑賞が終わった後に「こうやって見ればいいんですね、初めて知りました!」と目を輝かせて言っていただける。今まで素通りしていた彫刻の面白さに気づいて「次に見に行くのが楽しみです」と言ってもらえる。そういう、人が劇的に変わる瞬間を見られることが、私にとって最大の魅力です。
情報や知識をいきなり与えるのではなく、対話によって本人の内側から疑問が湧いたタイミングで知識を提供すると、喉が渇いた時に水を飲むようにすっと染み込んでいくんですよね。
さらに言うと、自分の感覚を言葉にし、それを他者に否定されずに聞いてもらえる体験は、参加者の自己肯定感を大きく上げる効果もあるんです。
「人の気持ちがわからない」からの脱却と、人間関係の課題解決
ーーアートへの見方だけでなく、人自身の内面にも変化があるんですか。
天野:実を言うと、このファシリテーターをやる前の私は、本当に人の気持ちがわからない、わかろうともしない「サイコパス」のような人間だったんです(笑)。今考えてみると、過去の自分は人の気持ちが全くわからなかった。でも、対話アート鑑賞を通じて私自身が一番変わりました。
先ほどの「視点のズレ」の観測と同じです。ある人物画を見て「10代の女性」と言う人もいれば、「30代の男性」と言う人もいる。「あ、全然違う価値観だけれど、この人も自分と同じくらい深くものを見ているんだな」とわかる。その時初めて、「多様性」という言葉が腹落ちしたんです。お題目として「多様性を認めましょう」と頭で理解するのではなく、他者を心から尊重する気持ちが自分の中に生まれました。
ーーそれは、アートが対象であると言うのが大事なんでしょうか?
天野:「哲学対話」のように自分たちの価値観や道徳観を直接テーマにすると、心に近すぎて「俺の考えが間違っていると言うのか!」と揉め事が起きやすい。でもアートなら、「私が美しいと思うものを、あなたは不細工だと言う。あ、そういう見方もあるんだね」で終わる。アートという第三のものだからこそ、心の安全基地を保ちながら、深い対話ができるんです。
ーーその「対話力」は、ビジネスや社会の場でも応用できそうですね。
天野:まさに今、これを社員研修などに導入していきたいと考えています。最近の企業では若手の早期離職や世代間分断が問題になっていますが、実はこれ、アートを前にして言葉が出ない状態と全く同じ構造なんです。
ーー同じ構造、ですか?
天野:はい。美術館で知識がないからと黙ってしまうのは、職場で若手が「正解を言わなければ」と忖度して本音を言えないのと同じ。上司が「要するにどういうこと?」とタイパを求めて結論を急ぐのは、エンタメのスッキリ感を求めて「もやもや」に耐えられないのと同じです。
若手が「特に困っていません」と言った時、すぐに会話を終わらせるのではなく、ネガティブなところから言語化をアシストしてあげる。上司が答えを教えるのではなく、正解のない「IFの問い」を投げて仕事を自分ごと化させる。そして、違いをジャッジせずに観察する。
対話アート鑑賞のファシリテーターがやっている「相手の脳内に眠っている価値観を引き出すプロセス」は、そのまま上司と部下の「質の高い雑談力」を養う最高のトレーニングになるんです。
ヨガやピラティスのように日常へ。「対話」は世界に平和をもたらす。
ーー今後の展望をお聞かせください。
天野:ゆくゆくは、AIファシリテーターを活用して、地方の人や誰もがスマホ一つで手軽に対話アート鑑賞を楽しめる仕組みを作りたいとも考えています。
そして最終的な目標は、この対話アート鑑賞を「ヨガ」や「ピラティス」のように、日本中に当たり前のものとして広めることです。誰もが日常的にアートを介して対話力を身につければ、100年後の日本は離婚率も下がり、職場もうまくいき、みんなが幸せになっているはずです。
私は、戦争の反対語は「対話」だと思っています。対話がなされないから、お互いのことがわからず争いが起きる。一人ひとりが対話力をつけることで、本気で世界を変えられる。そう信じて活動を続けていきます。
2026.08.26