「上手な演奏」と「好きな演奏」は同じじゃない

「上手な演奏」と「好きな演奏」は同じじゃない

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「上手いんだけど、なんだかなあ……」

おそらく皆さんもそうだと思いますが、僕はギタリストのYouTubeを見るのが大好きです。
世の中には本当に上手い人がたくさんいて、
「どうやったらそんなふうに指が動くんだろう?」
「このフレーズ、どうやって思いついたんだろう?」
なんて感心しながら、ついつい見入ってしまいます。
でも、その一方で、
「この人、めちゃくちゃ上手い!でもなあ……」
と思ってしまうギタリストもいるんです。
技術的には文句のつけようがないし、難しいフレーズも難なく弾きこなす。それなのに、なぜか心にはあまり響いてこない。
そして面白いことに、そういうギタリストの話を聞いみると、何だかしっくりこないことが多いんです。自分の考えを一方的に早口でまくしたてたり、ほかのミュージシャンについて辛辣なことを言ってみたり。
もちろん、これは僕の好みの問題なんでしょうけど。

音楽にも、会話にも「間」がある

逆に、「うわー、この人のギターって刺さるよなあ」って感じるギタリストは、しゃべりの部分も心地良いことが多いんです。言葉の選び方だったり、話すテンポだったり、何より「呼吸」や「間」が気持ちいい。
これって、普段の生活でも同じですよね。気の合う友達との会話って、不思議とテンポが合うじゃありませんか。
相手が話し終わるタイミングで自然と言葉が出てきたり、何も話さない時間も楽しめたり。音楽にも、それと似たところがあるように思うんです。
楽譜には、音の高さや長さ、リズム、強弱など、さまざまな情報が書かれています。でも、音を出すほんのわずかなタイミングや、音と音の間にある微妙なニュアンスまで、すべてを書き表せるわけではありません。
だからこそ、同じ楽譜を演奏しても、弾く人によってまったく違った音楽になる。そこに、その人の個性や人柄のようなものが表れるのかもしれません。

「上手いけど、おじさんっぽいよ」

以前、あるトリビュート企画で、日本の有名なパンク・バンドの曲をレコーディングする機会がありました。参加した面々は、かなりの凄腕。演奏はとても正確で、リズムにもスキがありません。
「いやあ、いい感じだったね!」
なんて、スタジオで盛り上がっていました。
ところが、ディレクターの表情がどうも冴えないんです。
そして、一言。
「上手いけど、ハツラツさがないよね。おじさんっぽいよ」
……なかなか手厳しいですよね(笑)。
でも、聴き直してみると納得してしまったんです。
確かに、演奏はきれいにまとまっていました。オリジナルの持つ勢いや荒々しさ、若さに任せて突っ走るようなエネルギーが、足りなかったのかもしれません。

わざと弾きにくくしてみるか……

そこで、僕たちがまずやったこと。それは、ストラップを長めにして、立って演奏することでした。ドラマーを見ると、彼も椅子をいつもより高くしていました。とにかく、まずは形からってことですよね。
そんな状態で、もう一度演奏してみました。当然、いつものようには弾けません。きれいに弾こうとしても、思うように指が動かない、ちょっとしたもどかしさもあります。
でも不思議なことに、そのテイクには、それまでとは違った衝動や熱量が生まれていたんです。結局、採用されたのは、その少し不自由な状態で演奏したテイクでした。

正確さだけでは表現できないもの

今振り返ると、あのときディレクターが求めていたのは、技術的に完璧な演奏ではなかったんでしょうね。若さに任せて突っ走るような、荒削りだけれどエネルギーに満ちた演奏。それこそが、その曲の魅力だったのだと思います。
もちろん、技術が必要ないという話ではありません。正確に演奏する技術があるからこそ、安心して崩せるという面もあります。ただ、技術的に整っていることと、その曲にふさわしい演奏であることは、必ずしも同じではないんです。
上手く弾こうとしていたときには出なかったものが、ちょっと不自由な状況に身を置いただけで生まれてくる。あのレコーディングは、そんなことを考えさせられる経験でした。

未完成だからこそ、見えてくるもの

これは、普段のレッスンでも感じることがあります。
レッスンに来てくださる生徒さんは、技術的にはまだまだ発展途上です。
リズムが少し不安定だったり、コードチェンジに時間がかかったり。
難しいフレーズを流暢に弾けないこともあります。
でも、そんな演奏の中に、
「あ、この人のこういう弾き方、好きだな」
と思う瞬間があるんです。
決して難しいことを弾いているわけではありません。でも、音の伸ばし方が何となく気持ち良かったり、独特の間の取り方があったり。
技術的にはまだ未完成だからこそ、その人が自然に持っている音楽的な感覚が、ふと顔を出すことがあります。僕は、そういう瞬間が大好きです。

上達することで、失ってほしくないもの

講師という立場以上、生徒さんの技術を伸ばすことは大切な役割です。
正しいフォームを身につける。
リズムを安定させる。
難しいフレーズを弾けるようにする。
もちろん、どれも必要なことです。
でも、そればかりを追い求めていると、せっかくその人が持っていた魅力まで、きれいに整えてしまうことがあるんじゃないかと思うんです。
例えば、少し独特なリズムの取り方をする生徒さんがいたとします。それをただ「正しくない」と修正するのではなく、
「その感じ、結構いいですね。じゃあ別の弾き方もやってみましょう」と伝えてみる。
もちろん、意図せずリズムが崩れているのであれば、そこはきちんと練習する必要があります。でも、その人らしい表現まで否定する必要はないと思うんです。
技術は、その人らしさを消すためではなく、その人らしさをもっと自由に表現するために身につけるもの。僕は、そう考えています。

生徒さんが教えてくれたこと

技術的にはまだ未完成でも、何となく心に残る演奏。
流暢には弾けなくても、その人らしさが感じられるフレーズ。
そんな瞬間に出会うと、講師である僕の方が刺激を受けることも少なくありません。そして、あのレコーディングでの出来事を思い出すんです。
上手く弾けることが、必ずしもその音楽にとっての正解とは限らない。だったら、レッスンでも技術的な完成度だけを追いかけてはいけないんでしょうね。
その人がどんな音を好きだと思うのか。
どんなリズムを心地良いと感じるのか。
どんなふうにギターを鳴らしたいのか。
そういうものを、一緒に見つけていきたいと思っています。
上手くなったことを伝えるのも、もちろん大切。でも、それと同じくらい、
「あなたのこういう演奏が好きですよ」
と伝えられる講師でありたいんです。
技術だけでは測れない音楽の魅力って、きっとあるはずだから。

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