こんばんは、原田です★
前のブログでは、
ヨルゴス・ランティモス監督について書きましたが、
今日はもうひとり。
私が長年惹かれ続けている
メキシコ出身の監督、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥについて書いてみようと思います。
『アモーレス・ペロス』
『21グラム』
『バベル』
『ビューティフル』
『バードマン』
『レヴェナント』
『バルド』
……どの作品も観終わった後、
しばらく席を立てなくなるくらい重たい余韻を残す監督です。
「一見つながっていない人生」が、実はつながっている
イニャリトゥ監督の作品、
特に初期の『アモーレス・ペロス』『21グラム』『バベル』の三部作に共通しているのは、
一見バラバラに生きている人たちの人生が、
ある事故や出来事をきっかけに、
実は見えない糸でつながっていたと分かっていく構成です。
例えば『バベル』では、
モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本と
舞台も言語もバラバラな家族の物語が同時進行します。
それぞれの登場人物は自分の悲しみや孤独の中で必死に生きていて、
お互いの存在すら知らないまま、それでも運命の糸で結ばれている。
これを観るたびに私が思うのは、
「今、画面の外にいる人たちもきっと同じなんだろうな」ということです。
電車で隣に座っている人も、SNSで見かける知らない誰かも、
それぞれに誰にも言えない痛みや悲しみを抱えて生きている。
イニャリトゥの映画は、
その「見えない痛みの存在」を、強烈な形で突きつけてくれる気がします。
言葉の壁を越えても、越えられないもの
『バベル』というタイトルは、
旧約聖書のバベルの塔
—人間が神の怒りに触れて言葉を通じなくされた逸話—
から来ているみたいです。
作中でも、言葉が通じないことで誤解が生まれ、悲劇が連鎖していきます。
でも同時に、言葉が通じなくても伝わる想いや、
言葉が通じても伝わらない孤独も描かれていて、そこがすごく印象的なんです。
これは、電話やチャットでお話を聴く仕事をしている私にとって、
他人事とは思えないテーマです。
私たちは日本語という同じ言葉を話していても、
本当に伝えたいことって、意外と伝わらないものだったりします。
逆に、たった数十分の会話でも、
「初めてちゃんと分かってもらえた」と感じてもらえることもある。
言葉が通じるかどうかより、
「聴こうとする姿勢があるかどうか」の方がずっと大事なんじゃないかと、
イニャリトゥの映画を観るたびに思わされます。
痛みを抱えたまま、それでも生きていく
イニャリトゥ作品のもうひとつの特徴は、
安易な救いを描かないところだと思います。
『21グラム』の登場人物たちは、
それぞれに取り返しのつかない喪失を抱えたまま、
それでも次の日を生きていかなければならない。
『レヴェナント』の主人公も、
復讐を果たした後に訪れるのは爽快感ではなく、静かな虚無です。
でも私は、そこにこそリアリティがあると感じています。
相談業をしていると、
「すっきり解決」なんてことは実はあまりなくて、
多くの方は痛みや悩みを抱えたまま、それでも日常を生きていかれます。
私にできるのは、その痛みを取り除くことではなく、
痛みを抱えたまま歩いていく道のりに、少しだけ付き添うことなのかもしれません。
イニャリトゥの映画は、
そういう「解決しないことの尊さ」を教えてくれる気がします。
おわりに
ランティモス監督が
「抑圧された本音」を静かで奇妙な手法で描くのに対して、
イニャリトゥ監督は「見えない痛みのつながり」を、
圧倒的な熱量とスケールで描く印象があります。
方向性は違いますが、
どちらも「人間の内側にあるもの」をまっすぐ見つめている点で、私はすごく惹かれています。
もし同じように映画好きな方、
イニャリトゥ作品について語りたい方がいたら、ぜひ感想を聞かせてください。
そして、
誰かに話せずに抱えている「見えない痛み」があれば、
そっと、静かな夜にでも、お話を聴かせてください(^^)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。