ヘッダー画像に、この言葉を入れました。
これが私の聞く姿勢です。
ココナラを始めたのはいいものの、当初より市場と自分とのズレを感じていました(市場というより世間とのズレ!?)
ココナラ市場でよく見かける「否定しません」「寄り添います」、これらを前面に出すことには強い抵抗があります。
「否定します」「寄り添いません」、決してこういう意味ではありません。
サービス紹介文には、「寄り添い」など書いているものもあります。
一番私らしいサービス、「孤独はいけないこと?」も、市場の主流とは少し違う方向を向いています。
そしてブログからも、私が癒しを提供する人物だと感じる人はまずいないでしょう。
では私のスタイルは何か、どのようにサービス設計をするといいのかを決めあぐねていたのです。
そんな時、ある方より、私のブログを読んだ上でのご意見をいただける機会がありました。
「ただ共感してほしいわけじゃない。でも、頭ごなしに否定されるのも違う」
これが私のサービスの大事な部分ではないかと言っていただいたのです。
人間って、あまりにも自然に当たり前に思っていることって、案外自分では気付かないものなんですね。
私はこれを『モモ』の記事で自分で書いておきながら、自分で意識したことはなかったのです。
そして「あなたの話を雑に扱わない人」という表現をしてくださいました。
私はこの表現がすごく腑に落ちたのです。
これまで話を聞いてしまう性格を強みだと実感したのは、占いの対面鑑定をしていた時だけです。
この時は励みになる言葉や嬉しくなる言葉をいただくこともありました。
でも日常ではそんな風に感じることはなく…。
人は話を聞いてもらいたいんですよね。
だからいつの間にか「聞いて当たり前」みたいになってしまう。
そんな空気にもどかしさを感じてしまっていたのです。
でも振り返ると、そうだなと。
私は自分の考えは一旦置いといて、まずはこの人が何を言いたいのかを理解しようとしていたと。そして、それは雑に扱ってなかったということだなと。
このような肯定的な表現をしていただけたことが新鮮で、嬉しく感じました。
他者からの客観的な意見というのは、主観からは見えてこないものが見えてくることがあります。
そういった機会を与えてくださり、また大変参考になる意見をいただきましたまえごろ@自動収益システムの設計士様、本当にありがとうございました。
これからココナラがどうなるのか、どうするのかは分かりませんが、アカウント削除したらブログがなくなるなと考えたら、それは勿体ないなと本末転倒なことを最近考えています(笑)
一番のお気に入りは、ルーンのウィルドとバッジョを絡めたワールドカップの記事です。これはウィルドを見ると再生される脳内映像を文字にしただけで、記事のネタとして探して書いたわけではありません。
でもこんな記事、ネット中探してもないんじゃないかと思ったら、とたんに惜しくなってきたのです(笑)
これからどうなるのか、私がどうしようと思っているのか自分でも分かりませんが、それはウィルド(運命・不可避の流れ)だけがすでに知っているのかもしれません。