私は恋人に笑ってほしい。
だから、自分のパンツをかぶって笑わせることがあります。
傍から見たら、アホ極まりないと思う。
何をしているんだ。
いい大人が。
もっとちゃんとした愛し方をしろ。
そう思う人もいるかもしれない。
でも、他人は関係ない。
その二人の間に笑いがあるなら、
その瞬間、たしかに愛はそこにある。
愛って、もっと綺麗なものとして語られやすい。
優しい言葉。
記念日。
プレゼント。
真剣な話し合い。
将来の約束。
もちろん、それも愛だと思う。
でも、愛はそれだけじゃない。
相手が笑うなら、少しアホになれること。
相手の表情がゆるむなら、自分の見え方を少し捨てられること。
かっこいい私でいるより、目の前の人が笑う方を選べること。
それも、かなり強い愛だと思う。
自分は恋人の何が欲しいのか。
私の場合は、笑顔だった。
だから、笑ってほしくてアホなことをする。
それだけの話です。
でも、この「それだけ」がけっこう大事だと思う。
人はつい、正しい愛し方を探してしまう。
こう言うべき。
こう振る舞うべき。
こういう距離感でいるべき。
こういう関係が理想的。
もちろん、相手を傷つけないことは大事です。
でも、正しさばかり見ていると、
自分が本当は何を欲しがっているのか、
その人に何を渡したいのかが見えなくなることがある。
私は、恋人に笑ってほしい。
それが自分の欲しさなら、
その欲しさに従ってみてもいい。
アホになるって最高です。
何しても楽しくなるから。
かっこつけなくていい。
綺麗な自分でいなくていい。
ちゃんとした愛の形に合わせなくていい。
その人との間にしか生まれない笑いがある。
その人にだけ渡したい自分がいる。
その人の前でだけできるアホがある。
そういうものの中に、愛の実感は宿るのだと思う。
愛することは、立派になることではないのかもしれない。
ときには、アホになること。
ときには、かっこ悪くなること。
ときには、自分の体裁より、相手の笑顔を選ぶこと。
私はそういう愛し方を、けっこう信じている。
いつか関係が終わるとしても、
「あの人を笑わせたかった」
「一緒に笑っていたかった」
「そのために、私はちゃんとアホになれた」
そう思えるなら、
それはかなり幸せな愛だったんじゃないかと思う。
人に言えない好きや執着、忘れられない想いを聞く電話相談を出しました。
あなたの愛し方も、よければ聞かせてください。