■ 序章:「視えた」の先にあるもの
「分かりました。でも、これからどうすれば」
鑑定をお渡しした後、この言葉をいただくことがあります。
脈の状態をお伝えしました。
損傷の形も、どの脈にどう影響しているかも、視えたものは全てお渡しした。
受け取った方は「確かにそうだ」と感じてくださる。
心当たりがあると言ってくださる。
だが、視えたからといって、翌朝から現実が変わるわけではありません。
脈の状態を知ること。
そして、脈が本来の形に戻ること。
この二つは、まったく別の話です。
鑑定は、「今、脈がどうなっているか」を視て、お伝えする行為です。
いわば、地図を渡すようなもの。
地図があれば、自分がどこにいるか分かる。
進むべき方向も見える。
どこで道が途切れているかも分かる。
もちろん、鑑定では地図だけを渡しているわけではありません。
視えた脈の癖に合わせた日常の過ごし方もお伝えしています。
それだけで脈が動き始める方もいる。
だが、それでも届かない場所がある時。
脈に直接手を入れるという、もう一つの工程があります。
普段は聞かれなければ語らないことですが、今日は少しだけ書かせてください。
鑑定の先で、何が起きているのか。
■ 第一章:折れた骨は、確認するだけでは治らない
骨が折れた時、まずどこが折れているかを確認します。
場所を特定し、どの角度でどう折れているかを把握する。
確認しなければ、正しい処置はできません。
だが、確認しただけでは骨はくっつかない。
折れた位置を正しく戻し、固定し、骨が再びつながるのを待つ。
確認は確認。修復は修復。
別の工程です。
霊視も同じことです。
深淵まで潜り、脈の損傷を視る。
どの脈が、どの深さで、どう傷んでいるかを特定する。
これが鑑定で行っていることです。
そこから先に、損傷した脈に直接手を入れ、本来の形へ戻す工程があります。
私はこれを「施術」と呼んでいます。
そしてもう一つ、骨の修復と共通する原則があります。
浅く折れた骨と、複雑に砕けた骨では、処置が違う。
浅い骨折なら、位置を戻して固定すれば比較的早くつながる。
だが複雑に砕けた骨は、一度に全てを動かすことはできません。
まず大きなズレを正し、安定を待ってから次に進む。
順番を飛ばして一気に力を入れれば、余計に砕けます。
脈の施術も同じです。
損傷の深さと形によって、手の入れ方が変わる。
一度で済む場合もあれば、順を追って手を入れる必要がある場合もあります。
二つの話をさせてください。
■ 第二章:好きな人の前で、言葉が出なくなる
ある女性の話です。
人を好きになると、急に言葉が出なくなる方でした。
伝えたいことがある。
頭の中には、ちゃんと言葉がある。
なのに、相手を目の前にすると、全部消えてしまう。
友人との会話なら何も困らない。
仕事の場面でも、言葉に詰まることはない。
だが、好きな相手の前に立った瞬間、声が喉の奥で止まる。
相手から「今度ご飯でも行かない」と誘われた時。
嬉しかったはずなのに、口から出たのは「ちょっと予定確認します」でした。
その場で「行きたい」と言えばよかった。
それだけのことが、どうしてもできない。
帰り道にいつも後悔していました。
「なぜあの時、一言が言えなかったのか」と。
何度も自分を変えようとしました。
本を読んだ。
「素直に気持ちを伝える方法」を調べた。
一人で練習すれば言葉は出る。
鏡の前では言える。
でも、いざあの人の前に立つと、また同じことが起きる。
声が止まり、笑ってごまかし、何事もなかったふりをして帰る。
そして夜、一人になってから泣く。
「自分は一生こうなのだろうか」
その問いを何年も抱えていた方でした。
深淵まで潜ると、縁脈の表面に小さなねじれが視えました。
縁が近づくたびに、脈が反射的に縮む動きをしていた。
好きだと感じた瞬間、縁脈が自分を守るように縮み、言葉の通り道をふさいでしまう。
この方の意志とは関係のない動きです。
本人がどれだけ「今度こそ素直になろう」と決めても、脈は勝手に閉じる。
練習しても、本を読んでも、決意しても変わらなかった理由がここにありました。
性格の問題ではありませんでした。
脈の癖です。
ねじれの位置は浅かった。
縁脈の入り口付近、表面に近い場所。
一度手を入れたことで、脈の縮みが緩みました。
数週間後、連絡が届きました。
「前なら黙ってしまう場面で、言葉が出ました」
性格が変わったわけではありません。
脈の癖が取れたことで、この方がもともと持っていた言葉が、そのまま声になるようになった。
ただ、それだけのことです。
この方の場合、損傷が浅かったため、一度の施術で脈が動きました。
だが、全ての方がこのように一度で変わるわけではありません。
損傷の深さによって、手の入れ方は変わります。
■ 第三章:理由もなく、朝が重い
もう一人、忘れられない方がいます。
特に何かがあったわけではありませんでした。
大きな悩みを抱えているわけでも、人間関係で揉めているわけでもない。
仕事も続いている。
生活も回っている。
だが、毎朝起き上がるのが重い。
目覚まし時計が鳴る。
目は覚めている。
なのに、身体の底に鉛が沈んでいるような感覚があって、布団から出られない。
理由は自分でも分からない。
病院に行きました。
検査を受けた。
異常なし。
「特に問題はありません。気の持ちようですね」
気の持ちようで動けるなら、とっくに動いている。
この方は、そう思いながら布団の中で天井を見つめる朝を、何年も過ごしていました。
週末も同じでした。
心待ちにしていた予定の朝でも、身体が重い。
気持ちの問題ではないと、本人が一番よく分かっていました。
占い師にも視てもらいました。
「力が弱まっています。しっかり休んでください」
そうだろうと思った。
だが、休んでも変わらなかった。
どうすればいいかは、誰も教えてくれませんでした。
深淵で視ると、体脈に損傷がありました。
脈の流れが鈍く、力が全身に行き渡っていない。
ここまでは、他の占い師が視ていた通りです。
だが、体脈だけが原因ではありませんでした。
縁脈に、古い傷が残っていました。
ずっと前に、ある人間関係の中で受けた傷。
この方自身はもう過去のこととして整理していた。
気持ちの上ではとうに終わったこと。
思い出しても、もう何も感じないと言っていました。
だが、脈は覚えていました。
頭が「終わった」と判断しても、脈に刻まれた傷は消えません。
心は前を向いている。
日常も普通に過ごしている。
だが脈の深いところに、あの時の衝撃が沈んだまま残っていました。
その傷が縁脈に残ったまま、隣を走る体脈の流れを静かに圧迫していた。
毎朝の重さの根元は、体脈ではなく、縁脈にありました。
体脈だけを視ていれば、「力が弱まっている」で話は終わります。
表面の見立ては合っている。
だが、根元が違う。
いきなり体脈に手を入れても、縁脈からの圧迫が続く限り、また鈍くなります。
根元を止めずに先を整えても、同じ場所に戻るだけです。
まず、縁脈の古い傷に手を入れました。
傷の形を正し、体脈への圧迫を解いた。
脈が安定するまで時間を置きました。
焦って次に進めば、整えたものが崩れる。
脈が落ち着くのを見届けてから、体脈そのものの流れを整えました。
この順番を逆にすることはできません。
折れた骨の位置を戻す前に動かしても、余計にずれるのと同じです。
根元から順に、手を入れていく。
脈がそう求めるから、そうします。
結果は、静かなものでした。
劇的に元気になったわけではありません。
後日、この方はこう伝えてくれました。
「朝、布団から出る時の重さが違います」
小さな変化に聞こえるかもしれません。
だが、毎朝が重い人にとって、「今日は少し軽い」と感じる朝が来ること。
それは、日常の全てが変わることに等しい。
■ 結び:視えたら、伝える。必要なら、手を入れる
視ることと、手を入れることは別の工程です。
鑑定では、脈の状態を視るだけでなく、その脈に合った日常の過ごし方もお渡ししています。
どこに気持ちを置けば脈が緩みやすいか。
どう過ごせば、損傷の影響を受けにくくなるか。
それだけで変わる方もいる。
自分の脈の癖を知り、日々の過ごし方を少し変えることで、脈が本来の方向へ動き始める方。
その方には、鑑定だけで十分です。
それ以上は必要ありません。
だが、深淵側に刻まれた損傷は、意識だけでは届きません。
浅いものなら、一度の施術で動くこともある。
深いものや、複数の脈が絡み合っているものは、順を追って手を入れる必要があります。
根元を飛ばして先に触れることはできません。
どこまで手を入れるべきかは、脈の状態が決めます。
私が決めるのではありません。
脈を視て、今どこへ手を入れるべきかを判断し、その通りに手を入れる。
それだけのことです。
鑑定では、視えたものをそのままお伝えします。
その上で、手を入れるべき場所が視えた時は、そのこともお伝えする。
必要のない方に勧めることはしません。
ただ、視えているのに黙っていることもしない。
どうするかは、ご自身で決めてください。
ここまで読んでくださったことに、感謝を。