昔は異常なほど負けず嫌いだった

昔は異常なほど負けず嫌いだった

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若い頃って、

「自分を証明しようと必死だったよな」

って思う。

なぜか、周りと自分を比べてしまってたんだよね。

別に頭の良さで一番になれたわけじゃない。

芸に秀でてそれで特別な存在になれたわけじゃない。

自分にしか出来ないことがあったわけでもない。

ただ、あいつに負けてるなって思った相手を見つけると、そいつが出来ないことを何か探して習得するようなことはしてたと思う。

そいつの得意なことで追い抜いてやるっていう「縦」の勝負じゃなくて、出来ないことを自分が出来るようになるっていう「横」の勝負で勝とうとしてたんだよ。

なかなか姑息だったなあ。

それのおかげで鍛えられてた部分もあるけど、気付けば器用貧乏。しかも、本来は不器用なタイプだから、かなり無理して矯正したバリバリ人工の器用貧乏。

バカにされてムカついたり、見下されて腹に据えかねたり、そういう経験が強烈に自分を駆り立てたことだけは分かる。とても優秀だが、人を見下す悪癖のある姉がいたことが大きかったのだと思う。

だから、大人になっても資格を毎年頑張って取ったり、ギター弾けるようになったり、短編映画撮ったり、抗ってた。

芸術系は数値で計りにくいから負けとかを意識しにくい。本当はコンペとかに出ると《審査員》とかいう怪しい人がいて、勝手に点数つけられたりするんだけど、フィジカル系よりはましだ。

どうやったって100メートルを9秒台では走れない。
無理なものは無理だ。

さらに月日が経って、心境に変化が出てきた。

人と比べること自体に疲れたんだと思う。

優劣や勝ち負けより、何かに縛られたり、管理される方が嫌だと感じるようになった。

勝ちより自由が欲しくなった。

だから、勝ちを意識して関わってくる人には喜んで負けた。

むしろ、どこまで負けられるのか自分を試したくなって、どんどん落ちぶれていった。それこそ社会復帰が難しくなるほどに。

その状態は今でも変わっていない。

その内、社会もよく見えてきた。

子供の頃、言われていたように「いい学校に行きなさい」「社会で通用する資格を取りなさい」っていうのを信じてその通りにやったら優秀な人間は出来上がるだろう。

でも、ホントに賢い人間はそういう優秀な人間を使う人たちらしい。
結局、こういう社会の仕組みに囚われてしまう。

今はこの仕組みの外側に行けないかずっと考えている。

他は全部負けてもいいから、この勝負にだけは勝ちたい。

あ、やっぱ全然本質は変わってねえな。
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