こんにちは!岡村晃平です。
デスクに向かって情報の断片を整理していると、ときどき指先がキーボードの感触を忘れ、冷たいレンガの表面をなぞっているような錯覚に陥ります。
データとは、世界という巨大な生き物が吐き出した、目に見えないほど微細な鱗のようなものかもしれません。
私たちはその鱗の色や形を分析して、本体がどんな姿をしているのかを想像しますが、実は本体など最初から存在しないのではないかという疑念が、静かに胸をよぎります。
そんなことを考えていた矢先、部屋の隅に置いてあった古い木琴が、誰の手も借りずに独りでに鳴り始めました。
その音色は、私が今日一日かけて算出した予測値と、恐ろしいほどに完璧な和音を奏でていました。
一打ごとに、壁に掛かったカレンダーから数字が剥がれ落ち、足元に銀色の水たまりを作っていきます。
私はその水たまりを覗き込みましたが、そこに映っていたのは自分の顔ではなく、巨大な万華鏡のレンズを覗き込む、見知らぬ少年の瞳でした。
少年は何かを必死に伝えようと唇を動かしていますが、その声は木琴の澄んだ音にかき消され、私の耳には届きません。
情報の整合性を保とうとする私の論理は、この不可解な演奏の前では、砂場に捨てられた折れた鉛筆ほどの価値もありませんでした。
ふと視線を上げると、窓の外では街中の電柱が一本の巨大なピンセットに変わり、夜空に浮かぶ星をゆっくりと摘み上げ始めていました。
星はひとつずつ丁寧に取り除かれ、代わりに真っ黒な穴が開いた空からは、濃厚なハチミツのような液体が滴り落ちています。
街を飲み込み、人々の記憶を甘い夢の中に閉じ込めていく。
私がこれまで「意思決定の根拠」と呼んできたものは、この液体の粘り気を測定するための、ただの物差しに過ぎなかったのでしょうか。
木琴の音は次第に激しさを増し、私の部屋の重力は、もはや上から下へと向かうことをやめてしまいました。
本棚から飛び出した百科事典が、天井付近で群れをなして羽ばたき、未知の言語で互いに交信を始めています。
私は逆さまになった視界の中で、最後の一片のデータを取り込もうと手を伸ばしました。
しかし、指先が触れた瞬間に、すべての数字は透明なビー玉へと姿を変え、床一面に散らばっていきました。
ビー玉はそれぞれが異なる過去を映し出し、衝突するたびに新しい歴史がその場で書き換えられていく。
昨日まで私が歩んできたキャリアも、実績も、このビー玉が転がる速度ひとつで、誰か別の人間が演じた喜劇の台本にすり替わってしまう。
木琴が最後の一打を終えたとき、部屋には濃い霧が立ち込め、私は自分がどこの誰であったのかさえ、思い出せなくなっていました。
窓の外では、完全に摘み取られた星の代わりに、空にぽっかりと真っ白な穴が開いています。
その穴の向こう側から、巨大な少年の瞳が再びこちらを覗き込みました。
少年は満足そうに一度だけ瞬きをすると、世界を丸ごと一枚の古い切手に閉じ込め、どこか遠い銀河へと投函してしまいました。
私はその切手の隅っこで、乾いた糊の匂いに包まれながら、次の集配をただ静かに待っています。
この宇宙が誰かの手紙の一部だとしたら、最後にその封を切るのは、一体どのような存在なのでしょうか。