春になると、
庭の景色が少しずつ変わっていきます。
今年は、その変化を「きれいだな」
と眺めるだけではなく、
もっと深いところで心を動かされる出来事がいくつかありました。
ひとつは、庭のバラです。
このバラは、20年ほど前に挿し木で育てた古株です。
長く育ててきたぶん枝も古くなり、
昨年はかなり大胆に切り戻しをしました。
冬のあいだは、
その姿がまるで枯れてしまったようにも見えて、
正直少し気がかりでした。
けれど、3月の後半になると、一気に芽吹いてきました。
その様子を見たとき、思わず
「生きていたんだ」
と胸を打たれたのです。
庭の片隅に毎春出てくる土筆にも、
毎年のことながら驚かされます。
青々していたスギナも、冬にはすっかり枯れ、
地上には何も残っていないように見えます。
それなのに、
3月に入ると、ほんの1、2週間のうちに、
いつの間にか土筆がそこここに顔を出すのです。
あの静かな変化の早さには、
毎年のことでも「すごいな」と感じます。
そして、ウグイス。
春が過ぎると鳴き声を聞かなくなるので、
いったいどこへ行っているのだろうと思います。
でも、3月になると、
どこからともなく現れて、また鳴きはじめます。
最初はまだ「ホーホケキョ」とうまく鳴けず、
「キチュキチュ」
と、どこかたどたどしい声なのがまた可愛らしいのですが、
今日はとうとう、
ちゃんと「ホーホケキョ」と鳴けていました。
その小さな変化にまで、なんだかうれしくなってしまいました。
見えないところで続いているもの
こうした春の景色にふれて、
今回強く心に残ったのは、
芽吹きそのものの美しさ以上に、
そこにある生命力でした。
傷ついたように見えても、
弱っているように見えても、
いなくなったように見えても、
見えないところでちゃんと続いているものがある。
季節がくれば、また姿をあらわす。
そうやって生命あるものは、
確かに命をつないでいるのだと思います。
そのことに気づかされると、
ただ「春ですね」
と言うだけでは足りないような、
もっと深い感動があります。
こういう感覚は、
心理学でいう
レジリエンス
という言葉にも少し重なるように思います。
レジリエンスとは、
傷つかないことや弱らないことではなく、
揺らいだり落ち込んだりしても、
そこからまた戻っていく力のことです。
人の心も、
ずっと元気なままでいられるわけではありません。
気持ちが沈む時期もあれば、
自分の力が弱ってしまったように感じることもあります。
大切なものをなくしてしまったように思えることもありますよね。
でも本当は、まだ自分では気づけないだけで、
心の奥には立ち直っていく力が静かに保たれているのかもしれません。
春の草木を見ていると、そんなことを思います。
カップの5が教えてくれたこと
今回、この感覚をもう少し受け取ってみたくて、
1枚カードを引いてみました。
出たのは、カップの5・正位置です。
カップの5は、
失ったものや、失われたように見えるもの
に心が向きやすいカードとして語られることがあります。
たしかに、
何かを失ったときや、
戻らないものに意識が向くとき、
人はそこに気持ちを引っぱられやすいものです。
けれど、
このカードをよく見ると、
まだ倒れていないカップがあります。
失ったように見えても、まだ残っているものがあるのかもしれない。
そんなことを、
このカードは伝えているように感じました。
冬のあいだ、枯れたように見えたバラ。
地上には何も見えなかった土筆。
姿が見えなくなっていたウグイス。
どれも、なくなってしまったわけではなく、
見えないところで続いていたものがあり、
季節がくればまた現れてきました。
そう思うと、
カップの5も、
ただ悲しみや喪失だけを示すカードではなく、
失ったものに心が向くときほど、
まだ残っているものや、静かに続いているものを見落とさないこと
の大切さを伝えているように思えました。
喪失感の奥にも、静かに残っているもの
大切にしていたものを失ったように思える。
自分の中の何かが抜け落ちてしまったように感じる。
そんなとき、
心の中にぽっかりと穴があいたような、
喪失感を抱えることがあります。
でも、今はまだ見えにくいだけで、
あなたの内側には、
ちゃんと生きている感情や感性、しなやかさ、
そしてもう一度動き出していく力が残っているのではないでしょうか。
喪失感の中から少しずつ立ち上がっていく力もまた、
レジリエンスのひとつなのだと思います。
もし今、
自分の中で喪失感を感じている方がいたら、
すぐに元気にならなくてもいいし、
すぐに答えが出なくてもいいのだと思います。
春の景色を見ながら、
そんなことを少しだけ思い出していただけたらうれしいです。