ココナラの森🌳小さい秋さんぽ🌰60歳乙女【第187話|「私のことも見て」の小さな声。母との会話から気づいた、人が一番欲しいもの】

ココナラの森🌳小さい秋さんぽ🌰60歳乙女【第187話|「私のことも見て」の小さな声。母との会話から気づいた、人が一番欲しいもの】

記事
コラム
こんにちは😊 
60歳乙女🩷のひろです。

最近ね。

人の心の奥には、いつだって「私のことも見てほしい」という小さな声があるんじゃないかな?
そんなことをよく考えます。

つい最近も、87歳の母との会話でハッとさせられたことがありました。

私はパートナー山⛰️を、これまで2回ほど実家へ連れて行っています。
私にとってはとても大切なパートナー。
だから母にも、「この人が今、私の大切な人なんだよ」って、どこかでちゃんと分かってほしかったんだと思います。

でも後日、写真を見た母が言ったのは、「あれ、家に来た人よね」という一言だけ。
それ以上の質問はありませんでした。

その時、私は心の中で思ったんです。

「もう少し、私に質問してよ〜!💦」って。

「どんな人なの?」「仲良くしてるの?」「いい人なの?」
そんな風に、ちょっとだけでも興味を持って欲しかった。

そして本当は……「いい人に出会えてよかったね」その温かい一言が欲しかったんだと思います。

大切な人だからこそ、自分の大切な家族にも認めてもらいたい。
でも相手から質問や関心が示されないと、「あ、興味がないのかな」と思ってしまって、こちらからも話さなくなってしまう。

これって、夫婦でも、親子でも、職場でも、友人関係でも、どこにでもある心の距離ですよね。

「察してほしい」と言うと、「言わなくても分かってよ!」と甘えているように聞こえるかもしれません。
でも言葉の本当の奥にあるのは、「私のことを理解しようとしてほしい」という切ない願いなのかもしれません。

相手の全てを100%理解することなんて、きっと無理です。
理解できない部分だってあって当たり前。

でもね、「理解しようとする姿勢」を見せることはできますよね。

自ら質問してみる。
話を途中で遮らずに、最後まで聞いてみる。
「そうだったんだね」と、まずはそのまま共感してみる。

たったそれだけのことで、人の心ってずいぶん救われるんじゃないかなと思うんです。

振り返ってみれば、私自身も子どもの頃からどこかで「私のことも見て」と思いながら育ってきたような気がします。

そして以前の職場でも、自分の苦しい気持ちを伝えようとした時に、その声さえ遮られてしまったことがありました。
あの時も、何か解決策が欲しかったわけじゃなくて、ただ一言「あなたはそう感じていたんですね」と受け止めてもらいたかっただけだったんですよね。

日常で人の話を聞いていると、夫への愚痴でも、嫁姑の悩みでも、職場のモヤモヤでも、その言葉の奥から同じ心の声が聞こえてきます。

「私を理解して」
「私がここにいることに気づいて」
「私の気持ちも、ちゃんと見て」

心って目には見えません。
だからこそ、見ようと意識しないと見えないし、聴こうと耳を澄ませないと、その小さな声は聞こえてこないんですよね。

全部を分かり合えなくてもいい。
でも、「あなたのことをもっと知りたいよ」という気持ちがそこにあるだけで、人はものすごく安心できるのだと思います。

私もこれから、人の表面上の言葉だけじゃなく、その奥にある「小さな声」をちゃんと拾い上げられる人でいたいなと思います。

60歳乙女🩷ひろ、
今日も心の声に耳を澄ませながら、
ハッピーに修行中です。

「誰かに自分の気持ちをちゃんと見てほしい、分かってほしい」
「素直な気持ちを話しても、スルーされたり否定されたりして心が折れそう」

そんな風に、誰にも自分の本当の気持ちを受け止めてもらえず、寂しさと悲しさを一人で抱え込んでいる夜はありませんか?

今夜もあなたからの温かいお電話を、ゆる〜くお待ちしています。


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