【ご注意】本作には、アトピー性皮膚炎の症状や、薬の常用の描写が含まれます。
本作はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
石垣空港の売店で、文庫本を一冊買った。
棚の端に、赤川次郎の『ふたり』が一冊だけ差さっていた。売れ残りなのか、背表紙が日に焼けて白っぽくなっていた。手に取ったのは、ほとんど反射だった。
レジの若い女性店員が、私のマスクとサングラスを一瞥し、すぐに目を逸らした。マスクの下では、フェイスリフトの縫合痕がまだ赤く腫れている。
「カバーはおかけしますか」
「お願いします」
考えるより先に、口が答えていた。店員は茶色のクラフト紙を文庫本に巻きつけ、折り目を爪でなぞった。表紙が見えなくなる。私が何を読んでいるのか、誰にもわからなくなる。
四十を過ぎた今も、私はこれを断ることができない。
ホテルの部屋に戻っても、カバーのかかった本を膝に置いたまま、ページを開けずにいた。腫れの引かない頬が、エアコンの冷気で突っ張る。指先に触れる茶色い紙のざらつきが、古い記憶の蓋をこじ開けた。
小学校のあの冬から、高校に入学するまでの三年間。私の中学校時代の記憶装置は、エラーを起こしたハードディスクのように読み込み不能になっている。色彩も、音も、感情のデータも破損している。
覚えているのは、視界が常に「灰色」だったという質感だけだ。私は勉強をしなかった。机に向かった記憶が物理的に欠落している。アトピー性皮膚炎による持続的な痒みという電気信号が、脳の処理能力を占有していたせいかもしれない。だが、バグのような現象が一つだけあった。
中学二年の時、気まぐれで受けた「英検二級」の試験会場。マークシートの楕円を鉛筆で塗りつぶしている時、奇妙な感覚に襲われた。英文が「言葉」ではなく「構造」として見えたのだ。主語、動詞、目的語。それらがパズルのピースのように、カチリ、カチリと噛み合って配置されていく。言語というシステムに対する、直感的なアクセス権限。後日届いた合格証書を、私は夕食の食卓に置いた。
「二級、受かったよ」
父は新聞を読んでいた。活字を追う視線は止まらず、新聞紙をめくるカサリという音だけが響いた。
「それがどうした」
父は鼻から息を吐いた。笑いとも溜息ともつかない、排気音。
「医者になるのに、そんな紙切れが必要か?」
私は合格証書を引き出しの奥、ガラクタの下に突っ込んだ。
学習を放棄したツケは、高校受験というフィルタリングシステムによって正確に徴収された。志望校は「北海道立札幌南高等学校」。道内トップの進学校であり、父が認める唯一の「正規ルート」だ。しかし、担任教師は内申点の数字だけを見て、無表情に首を横に振った。
友人の多くが南高(ナンコウ)の切符を手に入れる中、私はシステムから弾き出された。「札幌市立旭丘高等学校」。通称、旭丘高(ガオカ)。そこそこの進学校ではあるが、トップではない。「次点」。その中途半端な立ち位置が確定した。
毎朝の通学バスは、一時間の拷問だった。ディーゼルエンジンの微振動が、硬化した皮膚を揺らす。車内アナウンスが「南高前」を告げる。プシューというエアブレーキの音と共にドアが開く。私服の生徒たちが、次々と朝の光の中へ降りていく。彼らは中学時代の元友人であり、成績優秀な「選ばれた個体」たちだ。彼らの背中は自信に満ち、その歩調は軽やかだ。
バスは無情にもドアを閉め、彼らを置き去りにして、さらに奥地にある旭丘へと私を運んでいく。胃の腑に鉛のような重りが沈殿する。
入学直後のプレイスメントテスト。私の自尊心は粉砕された。数学の問題用紙。そこに並ぶ数字の羅列が、意味を持たないノイズに見えた。解けない。理数系の回路が、私の脳には最初から実装されていない。二年次の学年順位は三百六十人中三百番台。全国模試の偏差値は四十八。私は教室の底に沈殿する澱(おり)になった。
成績以上に私を蝕んでいたのは、皮膚のドライネス(乾燥)だった。ある日の授業中、前の席からプリントが回ってきた。私はそれを受け取ろうと手を伸ばした。だが、アトピー性皮膚炎で油分を完全に失い、象の皮膚のように硬化してひび割れた指先は、摩擦係数がゼロに近かった。
ツルツルとした薄い更紙(わらばんし)を捉えることができない。
紙が指の上を滑る乾いた音が、静かな教室に響く。何度試みても、紙は指を滑り落ち、机の上に留まり続ける。前の席に座っていたのは、クラスでも目立つ美少女だった。彼女はなかなかプリントを受け取らない背後の気配に振り返った。
彼女の視線が、紙と格闘する私の手元に落ちる。赤黒く爛れ、白い粉を吹いた指先。「クスクス」彼女は口元に手を当て、忍び笑いを漏らした。
悪意の有無など関係ない。その乾いた笑い声は、鼓膜を突き破り、内臓を冷たく撫で回した。
休み時間。私は書店でかけてもらった茶色のクラフト紙のブックカバーで中身を隠蔽して文庫本を開いていた。赤川次郎『ふたり』。哲学や純文学への背伸びすら諦めた、安易な物語への逃避。ふと、視線を感じて顔を上げる。クラスのカースト上位にいるサトウが、私の机の前に立っていた。彼の手には、ジャン=ポール・サルトルやフリードリヒ・ニーチェといった難解な哲学書がある。
「シノハラ、何読んでるん?」
純粋な問いかけ。だが、私にとっては検閲だ。喉がひゅっと鳴った。隠したい。しかし、隠せば余計に怪しまれる。私は乾いて強張った指で、おずおずと茶色の紙を外した。現れたのは、パステルカラーの表紙に描かれた二人の少女のイラスト。サトウの視線が、表紙の上を滑る。一秒にも満たない沈黙。教室の喧騒が遠のく。
「……あ、そう」
彼はそれ以上何も言わず、踵(きびす)を返した。私は慌ててブックカバーを掛け直した。
部活はソフトボール部に所属していた。野球部のグラウンドの片隅、ネットで区切られた狭いスペース。男子高校生がソフトボールをやることは、ある種の「去勢」にも似た恥ずかしさを伴っていた。運動神経の鈍い私に与えられたポジションは、八番・ライト。だが、新入生が入ってくると、あっさりとレギュラーを奪われた。私の役割は「用具係」と「球拾い」になった。小学校時代の用具室の記憶がフラッシュバックする。薄暗い倉庫。カビの臭い。
バッティングマシンが吐き出す球は打てる。規則的で、感情を持たない機械だからだ。だが、試合になると打てない。マウンドにいる「人間」が投げる球には、殺気や駆け引きといった有機的なノイズが混じる。私はそれが怖かった。生きた球に対応できない。
部活が終わると、級友たちは彼女と腕を組んでネオンきらめく「すすきの」へ繰り出してゆく。私は逃げるように地下鉄に乗り、真駒内駅で降りる。
一九七二年の札幌オリンピックのために整備されたこの街は、整然としてはいるが文化的な血が通っていない。駅前には、無機質なコンクリートの団地と、冷え切ったロータリーがあるだけだ。私は、駅前のケンタッキーフライドチキンに吸い込まれる。ここだけが、唯一のシェルターだ。店内に漂うフライドチキンの酸化した油の匂いが、鼻腔の粘膜を覆い、孤独を麻痺させてくれる。私は一番奥の席に座り、誰とも目を合わせないように俯いて、学生カバンから「ゲームボーイ」を取り出した。
モノクロの液晶画面。単純な電子音がピコピコと鳴る。落ちてくるブロックを、右へ、左へ。単純作業を繰り返すだけのその世界に、私は没入する。ふと、手の甲に視線を落とす。アトピーで乾燥しきった皮膚は、白い粉を吹いてひび割れている。痒い。どうしようもなく痒い。私はゲームボーイを操作しながら、もう片方の手で狂ったように皮膚を掻きむしった。爪の間に、自分の皮膚片と滲んだ血が溜まる。痛みと痒みが混ざり合い、脳が白く濁っていく。
ガラスの向こうでは、南高に通う友人たちが、あるいは青春を謳歌する同級生たちが、笑いながら通り過ぎていく。
高校三年生の春、私の内側で奇妙な回路が繋がった。
「早稲田へ行く」
偏差値四十台の落ちこぼれが抱くには滑稽な、しかし絶対的な「強迫観念」。国立大学にはもう間に合わない。この灰色の世界を逆転するには、早稲田か慶應というブランドタグを手に入れるしかない。私は学校の授業を捨てた。教師の話などノイズだ。
授業中も教科書の下に参考書を隠し、ひたすら自分のための勉強をした。浪人生活に入ると、私の世界は「真駒内図書館」「代々木ゼミナール札幌校」「自宅」を結ぶ三角形の聖域だけに収束した。
かつての友人たちが浪人中に麻雀やパチンコ、女遊びに耽るのを横目に、私はひたすらその三角形をマシーンのように周回し続けた。強い痒み止めの抗ヒスタミン剤、レスタミンを常用していた私の脳は、常に半覚醒の微睡みの中にあった。薬による強制的な鎮静と、皮膚の痒み。その狭間で、代ゼミのカリスマ講師たちの言葉や、英単語、歴史の年号が幻覚のように脳裏に焼き付いていく。
「過集中」という脳のバグを利用した。心が折れそうになると、『早稲田ウィークリー』を読み、早慶戦を観戦した。画面の向こうでえんじ色のジャージが躍動する姿に、自分を重ね合わせる。
誰もいない真駒内の雪道を歩きながら、呪文のように唱える。
「東京へ行く」
ある夜、私が居間で参考書を開いていると、父が無造作に一冊の雑誌を放り投げてきた。英語で書かれた医学ジャーナルだった。
「お前、この英文は分かるか?」
試すような目。私は答えられなかった。受験英語と専門的な医学英語は違う。だが父にとって、読めないことは「無能」と同義だった。父は鼻で笑い、興味を失ったように自室へと戻っていった。
合格発表の日。私は早稲田大学に合格した。偏差値四十台からの逆転。私は震える声で父に報告した。
「早稲田、受かったよ」
父は新聞から目を離さず、短く言った。
「そうか」
早稲田大学の入学式。文学部横の体育館は、晴れやかな顔をした新入生と、それを誇らしげに見守る両親たちで溢れかえっていた。
「おめでとう」
あちこちで交わされる会話が、異国の言葉のように響く。私の隣に、両親はいなかった。彼らは札幌から来なかった。私は一人、パイプ椅子に座り、周囲の歓声をBGMとして聞き流していた。
石垣島のホテルの部屋で、私は膝の上の文庫本から、茶色い紙をそっと外した。
パステルカラーの表紙。並んで立つ、二人の少女。三十年近く前と、同じ絵だった。
部屋には誰もいない。サトウもいない。父もいない。エアコンの低い唸りと、窓の外の波の音だけがある。
それでも私は、外したカバーを、もう一度表紙に巻きつけた。折り目を、爪で丁寧になぞった。
(了)