毒親育ちのエッセイ¦皆んなの当たり前が羨ましい
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コラム
「え、お前、親おらんの?」
僕は今まで、
何度この言葉を刺されて来たのだろうか。
「皆んなの”当たり前”が羨ましい」
誰かと会話をしていると、
そう感じることが頻繁にある。
たとえば──
料理をよくすること。
高校生の頃、
よく自分でお弁当を作っていたこと。
幼少期から家事に参加していたこと。
学費を自分で払うこと。
それらを
会話の中で聞かれたから答えると、
必ず返ってくる言葉がある。
へぇ、そうなんだ。
で済むところを……
「え、お前、親おらんの?」と。
それだけではない。
家族でどこかに出かけた話や、
そもそも家族仲が良いことを、
皆んなは当たり前のように語ってくる。
その“当たり前”を、
無邪気に押し付けてくる。
そんなふうに
平和ボケできること自体が、
羨ましい。
誰もが、
親から愛をもらって育ったことを前提に、
人と関わってくる。
自分の見ているものが
世界のすべてだと──
無意識に思い込んでいる。
そこには、
理解も、配慮も、
足りていない。
だからこそ、
毒親育ちが苦しみを吐き出せる場所は、
驚くほど少ない。
SNSで
家庭環境の苦しさを語っている人たちが、
集中的に叩かれているのを
何度も見てきた。
もちろん、
中には支離滅裂で
甘えているように見える言葉もある。
だけど、
それだけじゃない。
ちゃんとした言葉で
苦しみを語っている人にも、
容赦なく批判の声が集まる。
そして、
決まって投げつけられる
“綺麗事”ーー
「育ててもらった親に感謝しろ」
「親のせいにするな」
──そんな言葉を吐けるのは、
親から愛を受け取り、
安全な生活を与えられることを、
「当たり前」だと信じている人たちだ。
そんな“幸福な世界”を信じられることが、
やっぱり、羨ましい。