かつての私は、食べることが怖くてたまらない毎日を送っていました。
空腹を感じなくなり、身体が「助けて」と悲鳴を上げているのに、一口何かを口にするだけで罪悪感と猛烈な恐怖に襲われる。
「食べたら、すべてが終わってしまう」
それは意志の強さや根性の問題などではありませんでした。
あの頃の私は、自分の存在価値を「体重計の数字」と「細さ」でしか測れなくなり、脳が正常な判断力を失っていたんです。
でも、回復した今ならその暗闇の始まりがはっきりと見えます。
私が拒食症という深い沼にはまり込んでしまった裏には、母の何気ない一言、食卓に流れる静かな沈黙、そして私自身の歪んだ勘違いが、複雑に絡み合っていたのです。
1. 「横にもデカくなるよ」——私を思っての一言が、私の心にかけた呪い
小学5年生のとき、私の身長はすでに160センチを超えていました。
同年代の女の子たちよりもアタマ一つ抜けて高く、どこか大人びた自分の背の高さに、密かな誇らしさを感じていたのを覚えています。
しかしその一方で、体格の大きさをクラスの男子から「ブタ!」と心ない言葉でからかわれることもありました。
当時の私は「どうせ背が高い私へのやっかみでしょ」と笑って受け流す強さを持っていたんです。
けれど、小学6年生になって身長が165センチに達したある日のこと。
母がリビングで放った何気ない一言が、私の世界をガラリと変えてしまいました。
「〇〇は上に大きいんだから、これ以上太ったら横にもデカくなるよ」
母に悪気なんて1ミリもなかったのです。あの時の母は私のことを思って言ってくれていたんだと回復した後知りました。
けれど、多感な時期の私の心には、その言葉が重く、冷たく沈み込みました。
「上に大きい私が太ったら、ただの醜い化物になってしまう」
「太ることは、絶対に許されないんだ」
その瞬間から、母の言葉は私の頭の中で何度も再生される「解けない呪い」へと姿を変えたのです。
2. 言葉よりも冷たく心を刺した、食卓に漂う「静かな沈黙」
母が私を傷つけるつもりなんてなかったことは、今なら痛いほど分かります。
ですが、言葉以上に私を恐怖で縛りつけたのは、食卓やリビングで不意に訪れる「静かな沈黙」の時間でした。
テレビを見ているとき、家族で夕飯を囲んでいるとき。
母の視線が、ふっと私の手元や、お皿の上に残ったご飯に向けられるたび、私の全身から血の気が引いていきました。
「そんなに食べるの?」 「またおかわり?」
母は口に出して言っているわけではありません。
でも、その無言の視線と静寂が、どんな厳しい言葉よりも強く「これ以上食べるな」と私に命じているように感じられたのです。
沈黙は、人の妄想を膨らませます。
「母は私の食欲を嫌がっている」
「食べている私が醜く見えているんだ」
勝手に作り出したその圧迫感に押し潰されそうになりながら、私は一口運ぶごとに、胸を冷たい刃で刺されるような感覚を味わっていました。
3. 55kgは決して太っていない。それなのに止まらなくなったへの執着
当時の私の体重は55キロほどでした。
165センチという高身長を考えれば、成長期の女の子として理想的で、ごく健康的でしなやかな体型です。
しかし、学校の周りの友達を見渡せば、小柄で、華奢で、守ってあげたくなるような可愛らしい子ばかり。
その姿と自分を比べるたび
「背が高い上に、体重まで重い私は、なんて見苦しいんだろう」
と強いコンプレックスを抱くようになりました。
そんなときにネットで目にしたのが「シンデレラ体重」という言葉でした。
自分の身長から計算される、まるで魔法のような理想の数字。
「この数字になれば、私は守られる存在になれる」
「母も『横にデカい』なんて言わなくなる」
そう信じ込んだ私は、吸い寄せられるように過酷なダイエットへと足を踏み入れました。
けれど、一度足を踏み入れたその沼は、底なしでした。
体重計の数字が100g減れば生きた心地がし、100gでも増えればパニックを起こして頭の中で自分を激しく打ちのめす。
目標の数字に到達しても安心なんて訪れず「増える恐怖」から逃げるために、さらに数字を削り落とすことしかできなくなっていったのです。
4. 「傷つけるつもりのない優しさ」ほど、鋭いナイフになって心を削る理由
母は一度だって私に「デブ」なんて直接的な暴言を吐いたことはありません。
むしろ「足が長くてモデルさんみたい」「背が高くて羨ましい」と、褒めてくれることの方が多かったのです。
だからこそ、ふとした瞬間に口からこぼれる
「そんなに食べたら太るよ」
「夜遅くに食べるのは控えた方がいいんじゃない?」
という些細な忠告が、私の心を深く深く削りました。
悪意のない言葉だからこそ、逃げ場がなかったのです。
母は私のために言ってくれているのに、それにショックを受けて傷ついている。
「私自身の心が歪んでいて悪いんだ」と自分を責めるしかありませんでした。
さらに、母の「無理しなくていいんだよ」「気にしすぎじゃない?」という優しい言葉の奥に「早く普通の元気な娘に戻ってほしい」という焦りや落胆が見えてしまうのが何より辛かった。
優しさに触れるたびに
「今の私は母にとって迷惑な存在なんだ」
「期待に応えられないダメな子なんだ」
と感じ、私の心は強固な壁を作って閉じこもっていきました。
5. 身長168cmで39kg。鏡の中のガリガリな自分と「大丈夫」という嘘
中学2年生になる頃には、身長は168センチに伸びていましたが、体重は50キロを切り、45キロ台にまで落ち込んでいました。
食べることはもはや恐怖でしかなく、私の日々の目的は「いかに身体を削り、痩せている自分でい続けるか」だけになっていたのです。
鏡の前に立つと、骨が浮き出て、頬はこけ、肌はカサカサになった自分の姿が映ります。
でも私の目に映る姿は違いました。
自分が骨と皮になっているだなんて全く気づいていなかったし「これで少しはTWICEみたいなスタイルになれたかな?」と思っていたんです。
それに「これで誰にも『ブタ!』だなんて言われない」と安心しました。
母から「本当に大丈夫?」と心配そうに覗き込まれるたび、私は引きつった笑顔で「大丈夫だよ!全然平気!」と答えていました。
大好きな母にこれ以上心配をかけたくない、困らせたくないという一心でした。
でも、作り笑いを浮かべる私の心の中では「母は私のこの血の滲むような苦しみを、何一つ分かってくれない」という真っ黒な孤独感が、どこまでも膨れ上がっていたのです。
6. 私が本当に欲しかったのは「褒め言葉」ではなく、あの一言を消す安心だった
どんどん痩せていく私を見ても、母は特に褒めたりはしませんでした。当時の私は、それが寂しくて、悔しくてたまりませんでした。
けれど、今ならはっきりと分かります。
私が欲しかったのは「綺麗になったね」という表面的な称賛などではありませんでした。
昔、母が言った「横にもデカくなるよ」という言葉をキレイに塗り替えてくれる「大丈夫だよ、どんなあなたでも大好きだよ」という絶対的な安心の言葉だったのです。
母は母なりに、心配しながら私を信じて静かに見守ってくれていました。でも、傷ついた私の心には、その優しさが届かなかった。
「シンデレラ体重になったよ」と報告した日、母が何と返してくれたのか、私の記憶には一切残っていません。
覚えていないということは、どんな言葉をかけてもらったとしても、当時の私の心には響かなかったということです。
言葉の重みは、発した側の意図ではなく、受け取った側の傷口にどう刺さるかで決まってしまう。
母も、私も、誰一人として悪くなかった。
ただ、お互いの愛情と SOS の向きが、悲しいほどすれ違っていただけだったのです。
7. 中2の秋、40kgを切った私を見て声を上げて泣いた母の涙
狂気がピークに達していた中学2年生のある日。
毎朝の儀式である体重計の液晶画面に表示されたのは「39.8kg」という数字でした。
命の危険を示す数字。
頭のどこかで「これはやばい」と警報が鳴っているのに、心のどこかで「ついに30kg台に入れた」と歪んだ達成感を感じている自分がいました。
葛藤の末、私は意を決して、リビングにいた母に自分の口から打ち明けました。
「ママ、今日体重40kg切った」
その瞬間、母の顔がくしゃくしゃに歪み、目から大粒の涙が溢れ出しました。
これまでずっと、不安を隠しながら強くあろうとしてくれていた母が、その場に崩れ落ちるようにして、声にならない嗚咽を漏らして泣いたのです。
その泣きじゃくる姿を見たとき、私の頭をトンカチで殴られたような強い衝撃が襲いました。
「私は何をやっていたんだろう」
「大好きな母を、自分の手でここまで追い詰めて、泣かせたんだ」
どんな厳しい説教よりも、母のその涙と嗚咽が、私の麻痺していた心を強く揺さぶりました。
「もうこれ以上、母を悲しませてはいけない。治さなきゃ」と、心の底から思った瞬間でした。
8. 「早く治さなきゃ」という焦りと「今日の体重は?」という採点
母の涙を見てから、私は「ちゃんとしなきゃ」「早く普通の体に戻さなきゃ」という強いプレッシャーを自分に課すようになりました。
しかし、長年かけて脳に刻み込まれた「食べる=悪」という思考回路は、そう簡単に書き換わってはくれません。
身体は食べ物を拒絶し、一口飲み込むたびにパニックが起きる。
母もどう接していいか分からず、必死さゆえに毎日こう聞いてくるようになりました。
「今日は何を食べられた?」
「今日の体重はどうだった?」
「そんなんじゃ、将来子供も産めなくなっちゃうよ?」
母の言葉は、すべて私を思っての愛情です。
ですが、拒食症の病気の中にいる私にとって、その問いかけは毎日の「テストの採点」のように響きました。
「食べれなかった」と言えば母は落胆し「少し食べられた」と言えばホッとした顔をする。
母を安心させたい一心で、私は食べていないのに「食べたよ」「体重キープ出来てるよ」と嘘をつくようになり、採点に怯える日々の中で、心はさらに疲弊していったのです。
9. 私が真に欲しかったのは「正しい答え」ではなく、共に悩んでくれる姿勢だった
あの苦しい日々の中で、私が本当に母に望んでいたこと。
それは、病気を治すための「正しい正解」や「解決策」を示してもらうことではありませんでした。
ただ「どうしたい?」と、私の心に寄り添って問いかけてくれる姿勢だったのです。
「なんで食べられないの?」と理由を分析されたり、励まされたりするよりも「何がそんなに恐ろしいのかな?」と、私の隣に座って、一緒に頭を抱えて欲しかった。
「ママもどうしたらいいか分からないよ。でも、一緒に悩んでいこうね」
そう言って、答えの出ない暗闇の中で一緒に立ち止まってくれたなら、どれほど救われたでしょう。
完璧な母でいる必要なんてなかったのです。
理解できないけれど、見捨てずに一緒に迷ってくれている——
その不器用な温もりこそが、自分という存在を肯定してくれる最大の光になったのだと思います。
10. 寄り添うとは急かさないこと。「焦らなくていいよ」の一言が心を溶かす
回復の道のりの中で、母は何度も「早く元気になってね」「早く元通りになろうね」と言ってくれました。
その願いの強さは痛いほど理解できましたが、焦らされれば焦らされるほど、私の心は恐怖で守りに入り、固く閉ざされていきました。
人は「今のダメな自分のままでも安全なんだ」という絶対的な安心感を得て、初めて変わるための勇気を振り絞ることができます。
あの頃の私が喉から手が出るほど欲しかったのは「まだ食べられないんだね。いいよ、ゆっくりで。焦らなくていいんだよ」という言葉でした。
成果を求められず、できない自分をそのまま包み込んでもらえる感覚。
「焦らなくていい」という一言があれば、私はもっと早く母を信じ、心を開くことができていたはずです。
11. 今、暗闇の中で苦しんでいるあなたと母へ——信じて「待つ」ことの奇跡
もし今、お子さんの拒食症や摂食障害に悩み、夜も眠れぬ思いでこの記事を読んでくださっている親御様がいるなら。
どうか「完璧に理解してあげなきゃ」「私が治してあげなきゃ」とご自分を責めないでくださいね。
「どうして食べられないの?」と原因を探す必要はありません。
「母も分からないけれど、あなたが大切だよ」と、分からないまま側にいてあげてください。
拒食症の回復には時間が必要です。
それは単に「体重が増える時間」ではなく「傷ついた心が、もう一度生きることを自分に許すまでの時間」だからです。
「大丈夫?」と聞くと、お子さんはあなたを安心させようと「大丈夫」と嘘をついてしまいます。
だから代わりに「ずっと一緒にいるからね」と伝えてあげてください。
「焦らなくていい、失敗しても見捨てない」という言葉は、暗闇を照らす確かな灯台になります。
親御様が焦りを手放し、静かに信じて待ってくれたとき、子どもは初めて自分の足で立ち上がる力を取り戻します。
今、私は食べる恐怖を完全に克服し、母と一緒に「美味しいね」と笑い合いながら温かい食卓を囲んでいます。
かつて大嫌いだった場所は、今や一番愛おしい時間になりました。
どうか諦めないで、焦らずに、お子さんの命の力を信じて待ってあげてください。
親御さんが信じて待ってくれること。
それこそが、どんな特効薬よりも強く、お子さんの心を未来へ繋ぐ光になります。
最後に
私と母の、長くて暗かったすれ違いの物語を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
最後になりますが、今まさに暗闇の中で苦しんでいるあなたへ、どうしてもお伝えしたい「大切なお知らせ」があります。
次回のnoteでは、病院の薬でもなく、無理やり食べさせられることでもなく、私が実際に自分の手で「心の呪い」を解いたリアルな体験と、具体的な思考の変え方を余すことなく書き綴りました。
多くの人は「体重が増えたら治った」と勘違いしています。
ですが、違いますよね。
体重が増えるだけでは、心の中の恐怖は1ミリも消えません。
むしろ恐怖は跳ね上がります。
私が本当に変われたのは、体重計の数字ではなく、脳内にこびりついていた“ある異常な思考”をひっくり返した瞬間からでした。
「もう一生、普通のご飯なんて食べられないんじゃないか……」
そうやって一人で泣いているあなたにこそ、絶対に届いてほしい内容です。
この記事を読んで、あなたの目の前に広がっている真っ暗な道に、間違いなくひとすじの強い光が差し込んでくれたら嬉しいです。
それでは、また次の物語でお会いしましょう。