私はプロフィール画面で年齢・年代は公開していませんが、特に秘密にしている訳でもひた隠しにしている訳でもありません。
ただ、年齢をあらためて文字にすると、数字の大きさの割に自分の成熟度がぜんぜん足りていないのが恥ずかしいのと、単純にその数字の大きさにショックを受ける事が多いので、文字として残していないだけです(直接聞かれれば躊躇なく、食い気味に答えています 笑)。
先日、誕生日を迎えてまたひとつ歳をとりました。
人の誕生日を祝うのは好きですが、私は自分自身の誕生日や記念日に対する意識が希薄なので、毎年特にどうってことはないのですが、なんか今年は違いました。
「私も誕生日おめでとうって言われたいかもしれない…」
たぶん、直近で何人かの人の誕生日のお祝いをしたからか、そういう意識がどこかにあったようで。でも普段から誕生日アピールをしている訳でも無いので誰からも言ってもらえる予定がない…。
手近なところで、夫からでもいいかと思ったけど、そもそも彼は私の誕生日を覚えていないか、もはや私の誕生日など、この世に存在しないことになっているのか。何年もその言葉を聞いていないので、引き出すのはめんどくさくてやめました。
その日たまたま、とある方とお話する機会があり、誕生日のことなど忘れて楽しくお話していたのですが、話の流れから「私、今日が誕生日なんですよねー」と言ってしまい、無理矢理「おめでとう」という言葉を引き出すのに成功しました 笑。
「おめでとうなのかなー?もう、祝う感じの年齢ではないからねぇ😁」
という言葉をいただきましたが、それでもなんか、とっても嬉しかったんです。
後日、たまにしか連絡を取らない友人からも「誕生日だったよね?おめでとう」というLINEが来たりと、何故に当日にそれを言ってくれないのかはわかりませんが、誕生日におめでとうって言われたい願望はひとまず叶いました。
誕生日って、別に本気で祝って欲しいわけでもなんでもないんですよね。ほんと年齢も年齢だし。
ただなんとなく、一年に一度「確認をする日」みたいなものなのかなーって、今回あらためて思いました。
「誕生日おめでとう」という言葉は、普段連絡を取らない人からの「あんたのこと忘れてないよ。元気か?」という生存確認であり、私を気にかけてくれる人達からの「こっからまた一年がんばれ」という励ましの言葉でもあり、それらを自分にフィードバックして、ちょっとだけ自分を見つめ直す、そういうことをする日なのかなー、と。
たぶん今年は、自分のことをちょっと見つめ直したい時期に、ちょうど誕生日がやってきたんだと思います。
だから誕生日おめでとうって言われたかったのかな。お祝いして欲しいというよりも、その言葉に触れることで、自分の輪郭をもう一度なぞりたかったのかもしれません。
結果的に「誕生日ってこういう日でもいいんだ」っていう再定義と、「私は今こういうふうに在りたい」っていう自分自身の再定義、その両方をできた、そんな日でした。
いい誕生日。ありがとうございました。
おしまい。
本日の一曲は、ACIDMANの「赤橙」です。
三度の飯より3ピースバンドが好きなにゃもし。
もちろんACIDMANも大好きです。
この曲はね、とにかく暖かい。
そして、ただただ美しい。
「赤橙(せきとう)」とは、“あかだいだい”色のこと。まさにその色が示すように、暖かくて静かなエネルギーに満ちた、幻想的な世界へと連れていってくれます。聴いていると、視覚に訴えてきて情景と色彩を見せてくれる──そんな曲と言えるかもしれません。
歌詞には抽象的で詩的な表現が多く使われていますが、これもまたひとつの宇宙。意味を理解しようとしなくても大丈夫。この世界観を、まるごと感じてみてください。