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小説
『正しさの檻』第十五章:歪んだ共犯関係
記事
小説
アツシ・ナカモト
2025/05/23 18:48
雨音が静かに部屋を満たしていた。
MARIは天井をぼんやりと見つめ、右手の痛みに意識を向ける。
包帯の下には、営業中に負った事故の傷跡があった。
ほんの一瞬の気の緩みが、すべてを狂わせた。
車がスリップし、対向車と衝突したのだ。
幸い命に別状はなかったが、会社からは「しばらく来るな」とだけ告げられた。
「しっかり休めよ」
上司のその言葉は、どこか冷たく響いた。
まるで、もう私に期待はしていないかのように。
悔しさが胸の奥で膨らんでいく。
主任は毎日のように部屋に顔を出してきた。
当初は優しさだと思っていたが、今はただ煩わしいだけだった。
「また、あの人の動画か?」
湿った空気の中、主任の低い声が響く。
MARIはスマホの画面を見つめる。
映っているのは、あの人。
変わらぬ圧倒的な存在感で、次代のビジョンを語り、組織の枠を超えた未来を描く。
まるで起業家かオンラインサロンの主催者のようだった。
MARIはスマホを強く握りしめた。
「……あんたには関係ないでしょ」
主任はため息を漏らす。
「お前、ほんとあの人のこと好きだな」
「違う」
「違うわけない」
主任の声に、わずかに苛立ちが混じる。
「結局、俺たちはあの人にとって
その他大勢
なんだよ」
言葉に詰まるMARI。
主任は最近、後輩の女性と関係を持っていた。
「ついていけない」と泣きつかれた彼女を慰めるように抱いたのだろう。
くだらない。
「お前、ほんとバカな女が好きだな」
「は?」
「二流、三流の女しか寄ってこないだろ」
険しい表情の主任が続ける。
「……お前も、そうだろ?」
言い返せないMARI。
「結局、俺たちは
選ばれなかった側
なんだ」
主任は天井を見つめ、小さく呟く。
「最近、あの人のやり方、危なくなってきてると思わねぇか?」
「……そうかな?」
「あれはもう、サラリーマンのやり方じゃない」
MARIは知っていた。
あの人はすでに、
会社
という枠を超えている。
思想はどんどんエスカレートし、異端と呼ばれてもおかしくない領域に達している。
だが、その存在がなければ今の会社は崩れてしまうのだ。
「……それでも、あの人がいなければ採用は終わる」
「そうだな」
主任は黙り込む。
「お前、あの人が女に手を出さないの、変だと思わないか?」
MARIの指が止まる。
「あんな完璧な男が、女に興味ないわけがない」
「……何が言いたい?」
「AYUMIとか、あの辺と絶対関係がある」
スマホの画面の中、あの人は静かに笑っている。
その隣には、整った若い女性たち。
「……そうじゃなきゃ、あんな空気にはならない」
主任の言葉が妙にリアルに響く。
私たちは自分の価値観の中でしか世界を見ていない。
だから、あの人の世界には届かない。
MARIは思った。
この男は、どこか私に似ている。
身勝手な正義感。
無能なのに優秀だと思い込むプライドの高さ。
継続できない怠惰。
だからこそ、あの人に見透かされる。
誤魔化せず、拗ねて泣いて騒ぐしかできない。
「……あの人を止めるのが、俺たちの正義だろ?」
主任が耳元で囁く。
MARIは静かに頷いた。
正義――
それは、自分たちの欲望を正当化するための言葉だった。
あの人を壊したい。
あの人を引きずり下ろしたい。
でも、それが嫉妬だとは認めたくなかった。
だから、
正義
にすがるしかなかったのだ。
雨音がますます強くなる。
二人の影が薄暗い部屋の中で絡み合う。
罪悪感を隠すように、
欲望を確かめ合うように、
歪んだ共犯関係は深く沈んでいった。
#歪んだ正義感
#共犯
#恋愛
#恋愛小説
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