『正しさの檻』第十五章:歪んだ共犯関係

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雨音が静かに部屋を満たしていた。

MARIは天井をぼんやりと見つめ、右手の痛みに意識を向ける。
包帯の下には、営業中に負った事故の傷跡があった。

ほんの一瞬の気の緩みが、すべてを狂わせた。
車がスリップし、対向車と衝突したのだ。
幸い命に別状はなかったが、会社からは「しばらく来るな」とだけ告げられた。

「しっかり休めよ」

上司のその言葉は、どこか冷たく響いた。
まるで、もう私に期待はしていないかのように。

悔しさが胸の奥で膨らんでいく。

主任は毎日のように部屋に顔を出してきた。
当初は優しさだと思っていたが、今はただ煩わしいだけだった。

「また、あの人の動画か?」

湿った空気の中、主任の低い声が響く。

MARIはスマホの画面を見つめる。
映っているのは、あの人。
変わらぬ圧倒的な存在感で、次代のビジョンを語り、組織の枠を超えた未来を描く。
まるで起業家かオンラインサロンの主催者のようだった。

MARIはスマホを強く握りしめた。

「……あんたには関係ないでしょ」

主任はため息を漏らす。

「お前、ほんとあの人のこと好きだな」

「違う」

「違うわけない」

主任の声に、わずかに苛立ちが混じる。

「結局、俺たちはあの人にとってその他大勢なんだよ」

言葉に詰まるMARI。

主任は最近、後輩の女性と関係を持っていた。
「ついていけない」と泣きつかれた彼女を慰めるように抱いたのだろう。
くだらない。

「お前、ほんとバカな女が好きだな」

「は?」

「二流、三流の女しか寄ってこないだろ」

険しい表情の主任が続ける。

「……お前も、そうだろ?」

言い返せないMARI。

「結局、俺たちは選ばれなかった側なんだ」

主任は天井を見つめ、小さく呟く。

「最近、あの人のやり方、危なくなってきてると思わねぇか?」

「……そうかな?」

「あれはもう、サラリーマンのやり方じゃない」

MARIは知っていた。
あの人はすでに、会社という枠を超えている。
思想はどんどんエスカレートし、異端と呼ばれてもおかしくない領域に達している。

だが、その存在がなければ今の会社は崩れてしまうのだ。

「……それでも、あの人がいなければ採用は終わる」

「そうだな」

主任は黙り込む。

「お前、あの人が女に手を出さないの、変だと思わないか?」

MARIの指が止まる。

「あんな完璧な男が、女に興味ないわけがない」

「……何が言いたい?」

「AYUMIとか、あの辺と絶対関係がある」

スマホの画面の中、あの人は静かに笑っている。
その隣には、整った若い女性たち。

「……そうじゃなきゃ、あんな空気にはならない」

主任の言葉が妙にリアルに響く。

私たちは自分の価値観の中でしか世界を見ていない。
だから、あの人の世界には届かない。

MARIは思った。
この男は、どこか私に似ている。

身勝手な正義感。
無能なのに優秀だと思い込むプライドの高さ。
継続できない怠惰。

だからこそ、あの人に見透かされる。
誤魔化せず、拗ねて泣いて騒ぐしかできない。

「……あの人を止めるのが、俺たちの正義だろ?」

主任が耳元で囁く。

MARIは静かに頷いた。

正義――
それは、自分たちの欲望を正当化するための言葉だった。

あの人を壊したい。
あの人を引きずり下ろしたい。

でも、それが嫉妬だとは認めたくなかった。
だから、正義にすがるしかなかったのだ。

雨音がますます強くなる。

二人の影が薄暗い部屋の中で絡み合う。
罪悪感を隠すように、
欲望を確かめ合うように、
歪んだ共犯関係は深く沈んでいった。
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