こんにちは、ご覧いただきありがとうございます!
「ココナラ」に家庭教師/相談・話し相手として出品をしているみなっぷと申します!
家庭教師やお話相手として「ココナラ」で選んでいただくにはまずは私のことを知っていただくことが第一歩だと考えてまずは自己紹介をと前回書かせていただきましたが、内容が長くなってしまい続きとして今回書きます。
前回の投稿をご覧になってない方はよろしければそちらから読んでいただけると嬉しいです!
≪私について≫
【受験】(中学受験)
そしてついに中学受験。私は『挑戦校』と『頑張れば受かるであろう』と言われた2校を受験しました。それぞれ試験会場のピリピリした雰囲気、高学年ではあるものの小学生ですからその雰囲気が私にとっては異様であり、空気に飲まれてしまう感覚があったのを今でも覚えています。
合格発表は学校に母と行って掲示された番号を確認するスタイルでした。結果からお伝えすると2校とも”不合格”でした。
『挑戦校』の発表時は「受かったらラッキーだね」という感じだったのでそこまで私もダメージがなかったのですが、私が絶望したのは『頑張れば受かるであろう』と言われた学校の発表時。
掲示板に向かうまでは母と「帰りに何か買って帰ろうか」などたわいもない話を笑顔でしていました。しかし、掲示板に自分の受験番号がないと分かった瞬間母から笑顔が消えていました。こちらから何か話しかけても終始無言。行きと同じ道だったはずなのに全く別の道のように感じたのを今でも覚えています。
この時私は初めて「母から見限られた」と感じ、心が完全に折れてしまったのです。その後、塾に受験結果を報告時に先生方がフォローと今後の方針の相談をすぐにしてくださったので時間はかかりましたが、中学入学までには気持ちを切り替えることが出来ました。
しかし私は「見限られないように」という不安を子供ながら常に背負うようになりました。
【受験の準備】(中学生生活)
中学受験に失敗した私は地元の公立中学校へ。
私自身は公立中学校に通うことになにも抵抗がなかったのですが、「また母に見限られないように」との意識が頭の隅にあったため、高校受験への準備のため1年生から内申点を意識して学校に通っていました。
勉強はもちろん、学級委員長や生徒総会の司会、合唱コンクールの指揮者を務めるなどできる役職には片っ端から候補して全力で取り組みましたし、夏休みの自由研究や部活などにも全力で取り組みました。すべては「内申点」のために…
勉強に関しては中学受験時の塾の先生方が私自身に向き合ってくださり、相性も良かったため塾は変えずに高校受験に向けて勉強を行いました。
そのおかげで定期試験はほぼ90点以上で一番良いときは学年順位一桁まで上げることが出来ました。しかし母には中学受験失敗のこともあってか、定期テストや学力テストは基本満点でないと毎回怒られていました。
そのような1年生、2年生の期間を過ごしいよいよ受験生へ…
【受験】(高校受験生)
学校でのテストは高得点でも模試などでは点が取れないことも多々ありました。特に英語です。単語のスペルを覚えるのも苦手…
夏前の成績は得意の数学や社会は偏差値65などと取れていたにもかかわらず、英語はよくて偏差値55程度で総合偏差値が62程度と完全に英語が足を引っ張る形になり、塾では「夏休み英語特別対策」がとられました。毎日の単語テストや定型文の穴埋めや記述などの大量の課題と毎日が英語漬けの生活でした。
その成果が出たのか、夏休み明けの模試では英語の偏差値が5以上上がり総合偏差値が65程度まで上げることが出来ました。
「これが少なくとも受験まで横ばいになってくれれば…」と思っていましたが、思い通りにはいかず、英語の成績は少しずつ下がっていきました。そこで塾の先生方は「英語をなるべく現状維持して得意な数学・社会の成績を上げて英語のカバーをできるようにしよう」と提案してくださいました。
その指示に従い勉強を続けた結果、秋から受験直前まではものすごく緩やかではありましたが、成績を上げることが出来たのです!
そしていよいよ受験本番…
【受験】(高校受験)
県立高校を第一志望としていた私は滑り止めとして私立を「記述式試験」の学校と「マーク式試験」の学校の2校受験しました。
試験会場のピリピリした雰囲気はあるものの、一度経験していた私は緊張もありましたが落ち着いて試験を受けることが出来ました。
結果は1勝1敗。しかも
まさかの偏差値の高い学校の方が合格。母や先生、自分までもが「
なぜにこっちが受かったの?」と口にしていました。
とはいうものの、自分としては好発進であると少し自信を持ちいざ、公立試験へ。
私の県では当時公立も前期後期の2回チャンスがあったため、前期では偏差値が少し足らないものの、第一志望を受験しました。
試験終了後、塾に受験生が集まって自己採点をする流れだったのでそれに参加して丸つけをしていきました。記述式の回答だったので、論述は少しでも言葉が違う場合はすべて誤答として採点。
自己採点の結果は
目安合格点に届かず、同じ高校を受験した仲間の中で順位が最も下でした。そのためその時点で前期は落ちたと思い、後期に備えて勉強を再開しました。
前期の合格発表当日、発表は中学受験の時と同じく学校に母と行って掲示された番号を確認するスタイルでした。「
また見限られてしまうのではないか」そんな思いのなかいざ受験番号と掲示された数字を上から照らし合わせていくと…
あった、あったのです!
10回以上照らし合わせて、母にも確認してもらい、写真も撮りました(笑)
こうして前期試験で合格し、無事に志望していた高校に入学することが出来たのです。
【受験】(高校生)
お世話になった塾が中学生までしか対応しておらず、高校では部活に熱中していたこともあり、3年生までは予備校などに通わずに過ごしました。そして大学受験に関しては学校の先生や補習に頼って勉強しました。受験では、センター試験でずっこけたため、私立の一般受験をいくつか受けました。第一志望の学部ではありませんでしたが、無事大学に入ることが出来ました。
【大学】
大学では専攻の講義はもちろん、選択講義も積極的に受けていたと思います。勉強はもちろん怠らないよう注意していましたが、高校で禁止だったアルバイトに熱中し、4年間を過ごしましました。
そしていよいよ就活へ…
ここまで読んでいただきありがとうございます!
次回はこの続き、社会人から現在に至るまでを書きたいと思います。
次回で「私について」完結なります。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
よろしければ引き続きお付き合いください!
それでは!