「役目」という響き

「役目」という響き

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こんにちは。子育て&教員のマインドサポーター、hanaです。
ようこそお越しくださいました。

先日、娘と何気ない話をしていたとき、ふと「役目」という言葉が会話の中に出てきました。
その響きに、私はかすかな、けれど心地よい引っかかりを覚えたのです。

普段何気なく使っている「役割」という言葉とは、何かが決定的に違う気がししました。

「役割」という言葉には、どこか外側から割り当てられたポジションや機能のようなニュアンスがあります。

たとえば、我が家で「洗濯物をたたむこと」は、家事における娘の「役割」です。
家族それぞれがその役割を果たしてくれることで、家庭というシステムは円滑に回っていきます。
そこにあるのは、こなすべき「タスク」としての「義務感」かもしれません。

けれど、もし娘が自ら「私の役目は、洗濯物をたたむことです」と言ったとしたらどうでしょうか。
そこには「この仕事を責任もって全うします」という、内側から湧き出る強い意志を感じ取ることができます。
誰かに決められた枠組みではなく、自分自身で選んで引き受けているような、「自律的」な響きをもっているのが「役目」という言葉なのでしょう。

今の私にとって、育児や介護は、決して「役割」ではありません。
紛れもなく、私自身の「役目」だと感じています。

でも、私は最初から、これらを「役目」として軽やかに引き受けられていたわけではありませんでした。
育児の始まった頃も、介護の初期も、心の中にあったのは「私がやらなければ」「がんばらなければ」という、肩に力の入った強い義務感でした。

それはまさに、外側から背負った重たい「役割」そのものだったと思います。

しかし、目の前の大切な人と向き合い、試行錯誤しながら時間を重ねていく中で、私の心は少しずつ変化してきました。

「〜しなければ」という力みが、一枚ずつ剥がれ落ちるようにして、いつしか「私がやりたいから」という純粋な気持ちへと変わっていったのです。

最初から完璧な「役目」として始まるものなんて、きっとないのでしょう。

「役割」の重みを訳が分からないままに引き受け、手探りで紡いできた時間があるからこそ、「役目」という、自らがやりたいこと、全うしたいことになったのだと思います。

もちろん、すべての人が育児や介護を「役目」だと思う必要なんてない、とも私は思っています。

いま、目の前のことで精一杯で、どうしても「やりたいこと」だなんて思えないときは、ただ淡々とその場をしのぐだけで十分です。
あなたは十分、がんばっています。

家族の中の役割はそれとして折り合いをつけながら、自分のための別の場所で「本当にやりたいこと」を思いきり全うする生き方も、同じようにとても素敵な姿です。

大切なのは、誰かに縛られるのではなく、自分の心が納得できる道を歩いていくことかもしれません。
それが、あなたにとっての「役目」になるのでしょう。

「役目」って、心地いい言葉ですね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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