保育士試験は、何を難しくするべきなのか。
試験を簡単にしてほしいと言いたいわけではありません。
むしろ、保育という仕事が子どもの命を預かる専門職である以上、一定の難しさは必要だと思っています。
ただ、ずっと感じている違和感があります。
それは、今の保育士試験は
「難しさの方向」が現場とずれているのではないかということです。
保育士試験の不合格率を見ると、難しい科目はおおよそ次のような順番になります。
1位 社会福祉
2位 子ども家庭福祉
3位 教育原理
4位 社会的養護
5位 子どもの食と栄養
6位 保育の心理学
7位 子どもの保健
8位 保育実習理論
9位 保育原理
もちろん、社会福祉も、子ども家庭福祉も、教育原理も大切です。
保育は、子どもだけを見ている仕事ではありません。
家庭、地域、行政、福祉制度、虐待、貧困、障害、社会的養護など、
さまざまな背景を理解する必要があります。
だから、制度や法律を学ぶ意味はあります。
でも、思うのです。
それは本当に、入り口に立つ保育者をふるい落とすほど、最初に重く問うべき知識なのか。
現場に出て、毎日使う知識は何か。
それは、保育原理。
子どもの保健。
子どもの食と栄養。
保育の心理学。
保育実習理論。
保育原理は、保育の仕事の土台。
子どもの保健は、命を守る知識。
子どもの食と栄養は、体を育てる知識。
保育の心理学は、子どもの心を理解する知識。
保育実習理論は、子どもと関わり、遊び、表現するための知識。
つまり、現場で一番使う科目です。
それなのに、合格率で見ると、これらは比較的通りやすい科目になっています。
一方で、制度、法律、歴史、年表、人物、統計のような科目が難関になりやすい。
ここに、強い違和感を持っています。
これは、現場での重要度を表しているのではなく、
試験問題として作りやすいものが難しくなっているだけではないか。
法律や制度は、正解を固定しやすい。
条文に書いてある。
年号が決まっている。
人物の業績が決まっている。
統計の数値がある。
だから、作問しやすい。
採点しやすい。
異議も出にくい。
一方で、現場の判断は難しい、
子どもの状態は一人ひとり違い。
園の状況も違い。
保護者との関係も違い。
その日の体調も違い。
泣いているのか、眠いのか、不安なのか、体調が悪いのか。
その場で見極めなければいけません。
だから、現場の事例問題は作りにくい。
正解を一つにしにくい。
採点基準を作るのが難しい。
でも、だからこそ、そこから逃げてはいけないと思うのです。
保育に本当に必要なのは、
答えやすい知識を暗記する力ではなく、現場で間違えてはいけない判断を選ぶ力ではないでしょうか。
試験を難しくすること自体に反対しているのではありません。
意味のある難しさにしてほしいと言っているのです。
どの科目であっても、難しくしにくいということはないはずです。
むしろ、現場を知っていれば、いくらでも本質的な難問を作れると思うのです。
保育士試験は、何を難しくするべきなのか。
制度を知ることは大切です。
法律を知ることも大切です。
歴史を学ぶことにも意味はあります。
でも、保育という仕事の入口で、まず問うべきなのは、
目の前の子どもを守る力ではないでしょうか。
以前、テレビで子どもや高齢者の嚥下能力について扱っている番組を見ました。
研究者の方々が、機械を使ってデータを取り、嚥下能力を数値化していました。
それ自体を否定するつもりはありません。
研究は大切ですし、データも必要です。
医学や科学の知見が、保育の安全を支えている部分もあります。
でも、それが試験問題になったときに、疑問を感じます。
たとえば、仮にこういう問題があったとします。
「1歳児の嚥下能力はいくつか」
①0.5
②0.75
③0.77
④1
仮に答えが③だったとします。
では、それを答えられた保育者は、本当に現場で子どもを守れるのでしょうか。
現場に、その機械はありません。
毎回、嚥下能力を数値で測ることもできません。
そもそも、その数値は元気なときのものなのか。
眠いときはどうなのか。
泣いているときはどうなのか。
体調が悪いときはどうなのか。
慣れない食材のときはどうなのか。
その子が不安定な気持ちのときはどうなのか。
人間は、機械の数値だけで判断できる存在ではありません。
現場の保育者は、子どもを見ています。
今日はいつもより飲み込みが遅い。
少しぐずっている。
眠そうにしている。
口の中にため込んでいる。
表情が固い。
咳き込みそう。
無理に進めるのは危ない。
そうやって、数字ではなく、目の前の子どもの状態から判断します。
もし試験が、数値を覚えているかどうかだけを問うなら、
それは現場の力を測っているとは言えません。
本当に問うべきなのは、
「この子は今、食べ続けて大丈夫か」
「どこで止めるべきか」
「どの姿勢が安全か」
「どんな食材に注意が必要か」
「異変が起きたら、まず何をするか」
「保護者にどう伝えるか」
そういう判断ではないでしょうか。
保育は、数値だけでできる仕事ではありません。
保育は、子どもを見る仕事です。
その日の表情、姿勢、呼吸、飲み込み、機嫌、体調、関係性。
それらを総合して、「今どうするか」を選ぶ仕事です。
だから、今の試験に問いかけたいのです。
知識を問うことは必要です。
でも、その知識は現場の判断につながっているのか。
年号を問うことも、
条文を問うことも、
数値を問うことも、
そこには問題としての絶対的な正解があります。
でも、保育に必要なのは、覚えた知識を、子どもの前でどう使うかです。
現場から遠い知識で落とす試験ではなく、
現場で間違えてはいけない判断を問う試験へ。
これが、私の考える保育士試験の改善です。
保育士試験は、もっと現場に近づいていい。
保育原理を、もっと深く問っていい。
子どもの保健を、もっと実践的に問っていい。
子どもの食と栄養を、もっと事故予防の視点で問っていい。
保育の心理学を、もっと子どもの行動理解として問っていい。
保育実習理論を、もっと子どもとの関わりとして問っていい。
難しくするなら、そこです。
制度の暗記で落とすのではなく、現場で子どもを守る判断で問う。
それが、保育という資格の価値を高めることにつながるはずです。
学者や研究者を否定したいわけではありません。
法律や制度を軽視したいわけでもありません。
国家資格としての厳格性をなくしたいわけでもありません。
ただ、保育の現場に立ってきた一人として、どうしても伝えたいのです。
保育は、机の上だけで起きているのではありません。
保育は、試験問題の中だけで起きているのでもありません。
保育は、目の前の子どもの呼吸の中にあります。
表情の変化の中にあります。
小さな違和感の中にあります。
「今日は少し危ないかもしれない」と感じ取る、その瞬間の判断の中にあります。
その力を育てる試験であってほしい。
保育士試験は、保育者をふるい落とすためのものではなく、
保育の現場に立つ人を、より安全に、より確かに育てるためのものであってほしい。
資格を取るためだけの学びではなく、子どもを守るための学びへ。
暗記で終わる学びではなく、現場で判断できる学びへ。
試験のための知識ではなく、子どもの命と心に届く知識へ。
本当に必要なのは、難しさの方向性を現場に向けることだと思っています。