保育の現場では、
「もう少し見守ってみよう」
「自分でできるところまで待ってみて」
と言われることがあります。
でも、新人・若手保育者にとって難しいのは、
「もう少しって、どのくらい?」
ということではないでしょうか。
30秒?
1分?
困っていても手を出さない方がいい?
私自身、新人・若手と関わる中で、「見守る」という言葉も、経験者には感覚的に分かっていても、経験の浅い人には判断が難しい言葉の一つだと感じています。
「見守る=手を出さない」ではない
例えば、子どもが自分で靴を履こうとしているとします。
うまく入らない。
もう一度やってみる。
向きを変えてみる。
それでも入らない。
こんな時、すぐに大人が履かせるのではなく、少し待つことができるかもしれません。
でも、同じ「靴が履けない」という場面でも、
何度も大人の方を見ている。
「できない」と言っている。
今日は疲れている。
そんな姿があれば、必要な関わりは変わるかもしれません。
大切なのは、
「何分待ったか」ではなく、「その間に何を見ていたか」
だと思います。
同じ子でも、昨日と今日で違う
普段なら一人でできることでも、毎日同じようにできるとは限りません。
眠い日もあります。
疲れている日もあります。
不安な日もあります。
反対に、昨日までは難しかったことを、今日は「自分でやりたい」と何度も試すこともあります。
だから、
「この子はできるから見守る」
「この年齢なら手伝わない」
と決めてしまうのではなく、
今、この子はどこまでできそうだろう。
今、この子はどうしたいのだろう。
と、その時の姿を見ることが必要になります。
迷ったことも、次の判断材料になる
それでも、判断に迷うことはあります。
手伝ったあとで、
「もう少し待てたかな」
と思うこともあるでしょう。
反対に、
「もう少し早く声をかけてもよかったかな」
と思うこともあります。
でも、新人・若手のうちから、すべての場面で迷わず判断できる必要はないと思っています。
まず安全を守る。
そのうえで、
「今日は少し早く手伝ったかもしれない」
「思っていたより自分でできた」
「疲れている時は、いつもより助けを求めるんだな」
と振り返る。
そうすると、迷った経験そのものが、その子を知る材料になります。
「正解」より、その子を見る
「見守る」というのは、何もしないことではありません。
子どもの姿を見ながら、
もう少し待てるかな。
声をかけた方がいいかな。
どこまでなら自分でできそうかな。
と考え続けることでもあります。
「何分見守れば正解」という答えを覚えるより、
目の前のその子を見る。
その積み重ねが、少しずつ自分で判断できる力につながっていくのではないでしょうか。
「保育現場の改善室」では、こうした保育現場の**「分かるようで、具体的には分かりにくい言葉」**を、何を見るのか・何を考えるのかというところまで整理しています。
今回は、「もう少し見守って」について考えてみました。