自分を責め立てていたのも、私だった

自分を責め立てていたのも、私だった

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体が止まるまで、聞こえないふりをしていた

かつての私は、

眠たいと思っても、

「今は寝ていられない」

と、自分を動かし続けていました。

疲れていても、

やらなくてはいけないことがある。

仕事を休めば、

誰かに迷惑がかかる。

みんなも頑張っているのだから、

私だけ休むわけにはいかない。

そうやって、

自分に言い聞かせていました。

今思えば、

身体はずっと前から、

何度も知らせてくれていたのだと思います。

疲れた。

もう動けない。

少し休みたい。

けれど私は、

その声が聞こえるたびに、

「もう少しだけ」

「これが終わったら」

「今は仕方がない」

と、先延ばしにしていました。

そしてついに、

自分では止まれなかった私を、

身体が強制的に止めたのです。

ようやく「眠っていい」と言えた


少しだけ休もう。

そう思って、

私は休職を決めました。

寝ようと思って横にならなくても目が勝手に閉じて

沼に落ちていくように眠り続けた。

けれど、

目が覚めるたびに罪悪感が襲ってくる。


「本当に寝ていていいのかな」

と思ってしまう自分がいる。


「みんなは働いているのに」

「私は何をしているのだろう」

「こんなに休んでいていいのだろうか」

誰かに責められているわけではありません。

それなのに、

私はいつも、

誰かへの言い訳を考えていました。

本当は体調が悪いから。

今は休む必要があるから。

誰にも聞かれていないのに、

頭の中で何度も、

休んでいる理由を説明していました。


ところが、

あるとき思いました。

「あれ?」

「私は、誰に対して悪いことをしているのだろう?」

休んだことで、

今、誰かに責められているわけではない。

眠っている私を見て、

誰かが怒っているわけでもない。

それなのに、

私を責める声だけは、

ずっと頭の中にありました。

私をずっと責めていたのも、私だった


その時、

私を休ませようとしているのも私。


反対に

「そんなに休んではいけない」

「もっと頑張らなければ」

と、自分を動かしていたのも私。


私は、

ずっと誰かに責められているのだと思っていました。

けれど実際には、

一番厳しく私を見張っていたのは、

自分自身だったのです。

誰かの一言に傷ついたときも、

責められたように感じたときも、

もしかしたら私は、

自分の中にあった厳しい言葉を通して、

相手の言葉を受け取っていたのかもしれません。

自分が自分を責めているから、

誰かも同じように、

私を責めているように感じていた。

初めて、

そのことに気づきました。

眠ることは、怠けることではなかった


それまでの私は、

眠ることを、

何もしないことだと思っていました。

休むことは、

前に進まないこと。

頑張れない自分は、

価値がない。

どこかで、

そんなふうに考えていたのだと思います。

けれど、

身体が求めるままに眠る日々の中で、

少しずつ分かってきました。

眠ることは、

何もしないことではありませんでした。

傷ついた身体が、

回復しようとしている時間。

張り詰めていた心が、

少しずつ緩んでいく時間。

ずっと置き去りにしてきた自分に、
気づけた時間。

私は、

眠ることで怠けていたのではなく、

ようやく自分を守り始めたのです。

小さな声を叶えることから始まった

「眠りたい」

その望みは、

とても小さいけれど



長い間、

自分の声を無視してきた私にとっては、

とても大きな一歩でした。

自分の声に気づく。

その声を否定しない。

叶えてあげる。


ずっと無視されてきた声は、

すぐにたくさんのことを話してはくれません。

けれど、

小さな声を聞き、

そのたびに叶えていくと、

少しずつ、

また話してくれるようになります。

眠りたい。

これが食べたい。

今日は静かにしていたい。

少し外を歩きたい。

そんな、

とても小さな望みから、

私は自分との信頼関係を、

少しずつ取り戻していきました。

自分の声を聞くということは、

最初から大きな答えを見つけることではありません。

今ここにある、

小さな声を、

無視しないこと。

そして、

その声に、

自分で応えてあげること。

私にとって、

その始まりは、

自分に甘くなることだった。


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