「外の理不尽」に対して、自分のこと以上に怒りが湧いてしまう理由

「外の理不尽」に対して、自分のこと以上に怒りが湧いてしまう理由

記事
コラム
前回の記事では、なんらかの理由で親が鏡の役割をしてくれず、
子どもの方が親の鏡になっていた、
そうした育ちの中では自分の気持ちがわからなくなる、
ということを書きました。


そして実は、育たないのは
「自分の気持ちを知る力」だけではありません。

相手の発言や行動の背景にある心の動きを想像する力も、
一緒に育ちにくくなる傾向にあります。

こう書くと「わたしは人の気持ちには敏感なほうだけど?」と
感じる方が多いと思いかもしれません。


そのとおりで、
親の鏡役をしてきた方は、
機嫌を察知する力が驚くほど鋭く育っています。
いわゆる「空気を読むちから」です。

表情のわずかな変化、声のトーン、部屋の空気。

そうした些細な空気感から
危険を先に察知しなければ生きていけなかったからです。



けれど、それは「この人は今、怒っている・不機嫌だ」
というアラームであって、
「この人はどうしてそう言ったのだろう」
「どんな事情や不安があってその行動をとったのだろう」と、
相手の内側を想像する力とは別のものです。


危険を察知するために磨かれた力と、
相手を理解するために使う力は、まったく別に育つのです。

だから、人の機嫌には人一倍敏感なのに、人の言動の背景は想像できず、
「あの人は非常識だ」「わざとやっている」
と決めつけてしまったりします。


そんな自分に、心当たりはありませんか?


   ・自分の過去は、わりと淡々と語れる
   ・家族の問題についてはもう乗り越えている・普通だと思える
   ・自分のことはそれなりに理解しているつもり
   ・人の相談にはよく乗るけれど、自分の悩みは話さない
   ・ルールを守らない人やいいかげんな人を見ると怒りがわく
    ・気づけば人を批判したり、正そうとしてしまう
    ・「わたしはちゃんとやっているのに」という思いがいつもどこかにある


「親のことは、もう乗り越えた」

そう感じている方ほど、今日の記事が届くかもしれません。


心には、蓋があります


つらい環境を生き延びてきた子どもは、
心の中に重たい蓋を持っています。
その蓋の下には、何がしまわれているのでしょうか。



いちばん奥にあるのは、
見捨てられることへの深い怖さです。

これは頭で考える怖さではなく、
体が覚えている怖さです。
小さな子どもにとって、
親に見放されることは生きていけなくなることと同じでした。


その上に重なっているのが、
いつか誰かが、わたしのすべてをわかって、
丸ごと抱きしめてくれるはず
という願いです。

これは「たまには甘えたい」というような軽いものではありません。
「わたしはただ運が悪かっただけで、もし親が変わってくれたら、
あるいは世界のどこかを探せば、
わたしをまるごと理解してくれる誰かがいるはず」という、
100パーセントを求める願いです。


そしていちばん上に積もっているのが、
本当は、わたしも大切にしてほしかった
という行き場のなかった怒りです。



世話をされるはずだったのに世話をする側だった怒り。
自分の人生を選ぶ機会をもらえなかった怒り。
親の機嫌をとる役として使われた怒り。

この3つが、心の奥にそっとしまわれています。



なぜ、蓋を開けられないのか


ではなぜ、親に対して怒ったり悲しみを感じることができなかったのか。

それは、子どもにとって親への怒りや悲しみを感じることは
親に嫌われて、見捨てられるかもしれない」という、
いちばん怖いことに直結しているからです。

だから心は自分を守るために
感情ごと重たい蓋を閉めてしまうのです。

蓋を閉めた心は、
こんなふうに振る舞います。


①感情から距離をとる
聞いている人のほうがつらくなるような出来事を、
まるで天気の話のように淡々と語ります。
「そのとき、どう感じましたか?」と聞かれても、
「怒りはないです」「うちではそれが普通でしたから」と
起きた出来事のことは淡々と話すことができますが、
自分の心、感情のところは素通りしてしまっています。


②その話題を避ける
親の話になると、なんとなく話をそらす。
実家に近づかない。連絡をとらない。
物理的に離れているので「もう自立している」と感じているけれど、
心の中の蓋は閉じたまま。
これを「見せかけの自立」といいます。


③冷めた目で世界を見る
諦め、達観、そして軽蔑。
人のことを少し上から、冷静に、批評するように見てしまいます。
軽蔑は、怒りとは少し違います。
怒りは自分の内側とつながっていますが、
軽蔑は傍観者の位置から相手を見下ろす感情で、
自分の内側には返ってきません。

だから、いくら人を分析しても自分の心には届かないのです。
一見、落ち着いていて「自分をよくわかっている人」に見えます。
けれど実際には感じないようにしているだけ、
ということがあるのです。



蓋の中身は、消えていません


では怒りや悲しみはどこへいくのでしょうか。
それらに蓋をしていても、中の感情は消えてなくなりません。
行き場をなくした怒りは、
安全な出口を探して外側へ漏れ出します。


順番を守らない人、マナーの悪い人、
仕事がいいかげんな人、ずるをしている(ように見える)人、
場の空気を読まない人。

そういう「外の理不尽」に対して、
自分のこと以上に激しい怒りがわきます。


黙っていられなくて、指摘したり、報告したり、
つい人に悪く言ってしまったり。
そして正しさを証明できたとき、一瞬だけすっとする。
でもその安心は長く続きません。
だからまた、次の「許せないこと」を見つけてしまいます。


もし心当たりがあるなら、
その怒りは本当は目の前のその人に向けられたものでは
ないのかもしれません。

小さな頃に言えなかった怒りが、
言っても安全な相手を見つけて、
蓋の隙間から漏れ出しているのかもしれないのです。



グレーが許せないのも、根っこは同じです


あいまいなことが苦手。
はっきりしないと落ち着かない。
白か黒か、正しいか間違っているか。

「決められたとおりにしていれば怒られない」という
厳しいルールのある世界で育った心にとって、
あいまいさは危険と同じ意味を持ちます。


自由でいいよ、好きにしていいよと言われるほうが、
実はずっと不安になる。
そんな方は少なくありません。

そして冒頭でお伝えしたとおり、
相手の背景を想像する力が育ちにくいため、
「あの人にも何か事情があるのかもしれない」という、
相手の背景を読む余白が心の中に持ちづらく、
白か黒かで裁いてしまうのです。



「親には怒っていません」は、むしろサイン


外の理不尽には激しく怒るのに、
親の理不尽さには「怒りはない」「感謝している」となる場合は
心が蓋をしているサインのひとつかもしれません。

たとえば「ご両親の長所と短所を書いてみましょう」と促されたとき、
長所はすらすら出てくるのに短所はひとつも書けない。
書こうとすると、なぜか手が止まる。
なんとなく後ろめたくなる。

それは、親の欠点を口にすることが
見捨てられる恐怖に直結してしまうため、
心が今も幼いあなたを守り続けているからかもしれません。


続きはまた次回に書きたいと思います。

この道のりをひとりで歩き切るのは、とても難しいことです。
信頼できる伴走者の方、
できればカウンセラーの方や、
メンタライゼーションをされている方を選ばれると良いです。

ひとりで抱えるのが苦しくなったら、
どうぞお気軽にご相談くださいね。

あなたの心の蓋が、
あたたかい光の中でゆっくりゆるんでいきますように。
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