嘆き悲しむこと

記事
コラム
こんにちは。


昨日のこどものように怒りと涙、痛みが湧き出たこと表現しましたが
体験して感じたことは
深く嘆き悲しむということ、起きるがままに
するということも恵みだなあと感じました。


娘や母、家族の前での醜態は
惨めなようにも思えましたが
価値観を押し付けられる痛みは
思っていたより深く、
出し尽くされて初めて気が付きました。


悲しみ嘆くのがマイナスで、明るく前を向き心地よいことが
プラス・・・
そのような思い込みもあったように感じました。


痛みを伴って、気づけることもあるのですね・・・
今回、実りが起きたように
中途半端に抑えることなく
溢れ出し、
自然に感じ切るが起きてきたように感じます。


それと同時に、あるがままの今の状態に対して
コントロールできないのだということも
体験の中で深まった気がします。


娘の食が普通でないと思える事さえも
娘といういのちの表現であり
完璧なのだと・・・


昨日の記事を読んでお電話くださった方がいたのですが、
最近、薬膳を学ばれたようで
その人その人の性質
自然な”こうしたい”その声そのものが
その人の性質に合った食だったり
居場所だったりするということをシェアしてくださいました。
(娘に早速シェアしたら、
このままでいいんや~楽になった~ってほっとしていました。
シェアありがとう*^^*)


その自然な働きに
今回のサラさんの娘に対して
”普通はこうした方がいいよ。食べないと太れないよ”
と無理させようとしていたことのように
体、体の性質により、
普通という基準はないのですね。


あまりにも当たり前で気づかず
押し付けていることや、裁いていることって
あるのですよね。きっと。


それが、あるがまま嘆くことを
体験したことにより
そのことに気づけた気がします。


普通じゃなくていい。
今の状態、起きてることが
その人にとっての正解。


時には、思いっきり嘆くということ起きてくるなら
恥ずかしいことでも
悪いことでもないので
起きるがままに許可してあげてみてね。
これも起きてくることだけれど^^






サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す