こんにちは。
最近怒りについてお話することが多かったです。
以前のサラさんもそうだったけれど
怒りはダメなものだとしてた時期がありました。
怒りが悪くて、喜びが良いという
怒りを何とかしなければいけない
怒りがあってはいけないというような・・・
2元の世界観ですね。
同時に、闇が悪くて光が良いだったり、
2元の中で良いもの、光を求めるというような
世界観の中にいた時期のように感じています。
それもそのように起きていることで
これまた間違いではないのですが、
その世界観があまりにも慣れ親しんだもので
そのような知識を握りしめている時は
怒りは悪くないよと聴いても
わかりにくいかもしれないなと・・・
その世界観を抜けたところというのか
2元を超えたところというのか・・・・
良いも悪いも包まれて光。
いのちを感じるということが
自然な体験として
抜けられるように気もしていて・・・
怒りも、同時に喜びも
”私たち”が湧き起こしているものではなく
自然に、自動的に湧き起こってきてるもの。
この働き一つ観察しても
そのことに気づかれるかもしれません。
コントロールできないから苦しんできた・・・
ということは
コントロールしてる誰かがいない中で
怒りも喜びも起きてきてるということです。
”今から怒りを出しますよ~、喜びだしますよ~”
とはしていないはず・・・
それは私たちを超えた、”何か”から起きてること。
呼吸もそうだし、
髪の毛も、爪も、まばたきも
女性の方の生理だって・・・
もっともっと広がると、春夏秋冬というような
季節の変化も
そのような”何か”の働きによって起きてきています。
季節のお花もその時期になれば咲くことも
その働きの一つですよね。
お腹も自然に減ってきたり
見えない働きが体の中で起きていることで
排泄も自然に起きてきます。
その起きてきたことに対しての
知識から生まれる善悪を手放していく
捨てていくことで
この2元を超えた
すべて良し。
な心地が開かれていくように感じています。
今、怒りに包まれている人
それをどうにかしなきゃいけないと感じておられる方は
もしかしたら
この善悪を超えた
2元を超えた
”何か”に開かれようとされてるタイミングのように感じています。
この”何か”が光だったり、愛、神、全体、いのち・・・
さまざまな表現をされているように思います。
これは良くてこれは悪いは
個人的な視点から生まれてきます。
個人的には、なぜこれが起きたのかは
思考でいくら考えても
思考でしかなく、わからないということが
答えのように最近は感じています。
自らの内から出たもの、
起きたことは
いのちの表現で、もともと良い悪いはないところから
生まれています。
これは良くて、これは悪いと
もし苦しんでおられるなら
もう、わからないからいいか・・・
そう諦められることも一つかな?
と感じるのでした。
それぞれが
怒りがでちゃったよ~って
自らを許してあげられるように変化が起きてくると
優しい世界が生まれてきそうですよね^^