なくなってしまった希死念慮

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 おはようございます。こんにちは。こんばんは。

 今回もこのような辺鄙なブログにお越し頂きありがとうございます。


 今回は「希死念慮」について考えたいと思います。

 まず、「希死念慮」とは何か。

 「希死念慮」とは、「生きたくないと考えたり、死ぬことを想像したりすること」だそうです。(Wikipediaから引用)


 私の場合、地獄の引きこもり時代なんかは、ずっと希死念慮に苛まれていました。生きている意味(結論の出ない問い)を考えだしたりして、一生負のループに陥っていました。

 自分に物を食べる資格があるのか?とすら考えながら生きていました。


 回復して、精神科に通院するときになっても、希死念慮は消えたことはなかったはずです。

 親に甘えながら、親の脛をかじりながら生活すること、それ自体が苦しくかったです。年金や奨学金も代わりに払ってもらって、自分なんて存在しているだけで金のかかる存在なのだから、何らかの原因で死亡して、返済免除をしてもらえれば最高だなと思って過ごしていた気がします。


 働き始めても、前職と比べ、惨めになって、まあまあの確率で死を考えたりしていたような気がします。家族とも会話をせず、自室で鬱々としていた気がします。


 現在は、働き始めて約3年が経ちます。今、職場にも自分の居場所ができ、家族とも話ができるようになり、気が付いたら、希死念慮がなくなっていました。(たまに「死にて―」と思うことはありますが。)

 ここ最近のツイートでも、希死念慮関係のつぶやきは大分減っていると思います。


 何なんでしょう、一定の条件を満たせば、希死念慮は出てこなくなるのでしょうか。形式上は働いているから?社会の中に居場所ができたから?家族と会話してるから?神様や仏様にお参りしているから?


 いろいろ原因はありそうですが、希死念慮がなくなるのは回復の兆しで良い事のように思うと同時に、定期的に希死念慮があった時の自分を掘り返さないといけないとも思います。そうしないとお客様に寄り添うことができなくなってしまいますからね。


 初心を忘れないように、このブログでも過去の病み期のことを定期的に発信していきたいと思います。


 でも今は「良い兆候なんだから、ポジティブに考えろよ!」という自分の声が聞こえてきていて、寛解という希望の光が見え始めたなと、改めて思いました。やはり、第一はこれですよね。


 良い感じにまとめることができたでしょうか?

 なんか今回は雑文でしたね。


 と、いうところで、今回はこの辺で以上とさせていただきます。

 お付き合い下さり、ありがとうございました。



 それでは。
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