54.Xと離れることは、私にとって小さいけれどさみしさには違いない

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近頃のXは、体調まで回復しつつある。



本当は、もっと自分自身の体調を信頼して、
挑戦心を尊重してもいいと、
私は思っているのだけれど、



今まで幾度も味わってきた、
息苦しさの発作の記憶が、Xの恐怖を呼び起こし、
挑戦を邪魔してきた。




勇気とは何かということは、
私の中で、もうかなり昔に言語化できていた。



それは、
「やりたい気持ち(挑戦心)」「恐怖心」のバランスが、
やりたい気持ち側に傾いていることをいう。



今のXは、それがかなりやりたい気持ちに傾いている。



最近だって発作はおきていたし、
遠くへ出かけたときに発作が起きたらどうしようかという恐怖は、
以前と変わらないぐらいあるだろう。




ただ、今年のいつかに、
「それでも今までよりも遠くへ出かけたい気持ち」が、
上回ったのだ。




だから、4月には靴を買いに行くことができたし、
9月には外食もできた。




今日もいつもより遠くへ出かけた。



冬に外出するための服を買いたかったのだ。




あちこちの洋服を売っているところを巡り、
結局、Xが求める首周りがぐっと開いている冬服は、
3時間以上あちこち回ったが、見つからなかった。
(まぁ、なかなかレアな注文だとは思うが、
呼吸に恐怖を抱く人にしてみれば、当然のことだ)




たしかに見つからなかった。
だが、それでも、別に落ち込んだりはしない。
今日はこれで引き上げても、
次週、また車で探しに行くところを決めた。




行く先々での人混みは、エンパスのXにとっては、
やはりそれなりに厳しかったようだ。



「疲れたので早めに寝ます」と言ったが、
私には、Xが嘘をついたように見えた。




本当は、私のことを気遣ったのだとわかる。
疲れたのも嘘ではないのだろう。
だが、たぶんもう少し余裕はあっただろうし、
20時前に解散して、それぞれの部屋で時間を過ごそうというのは、
やっぱり今までないぐらいに早期解散だ。
それは、Xなりの、明日も労働に向かう私への配慮にほかならないとわかる。




「自分のせいでZさんを(一日のほとんどの時間)つき合わせている」
という、罪悪感が強いのだろう。



だが、珍しく20時前に放り出されたような格好の私は、
予定外に有り余ってしまった時間で、つい自分について考え込んでしまう。
(いや、だっていつも就寝23~25時ごろだし・・・最大5時間も暇つぶしすんの大変よ????)



そして、しまいには、本を読みつつ
とあるVtuberの歌声をひたすら聞いていたら、妙に励まされるようにして、
ついにはこうして休むと宣言していたブログまで書き始めてしまったではないか・・・。
(いったい、自分は何をしているのか・・・???)



昨日のことを思い出す。
昨日、私は、
自分の中に残るXと別れることの小さな寂しさに気が付き、
それをXに告白しなければならなかった。




それは、その寂しさを抱きしめて、
やがて開放するための儀式なのだとわかる。




私自身も、自分を誤魔化してしまうところがある。




Xは世界にとって必要な一組になるのだと思っているから。
私がさみしさなんてものを感じてもしょうがないという考えだ。
私がそんなさみしさを持っていれば、彼女にとって、足を引っ張るようなものになってしまうのではないかとどこかで恐れているのだ。
Xはさみしがる人を見捨てて先に進むことがとても難しい人だと知っているから。




だからといって、私が、自分の中にあるさみしさを、
ついなかったものだと考えてしまうのは、
やはり誤魔化しであり、間違っていたのだろう。



あるものはあるのだ。
逃げてはいけない。



私がXに言わなければいけない残酷なセリフは、

「さみしくないから、心配しないで先に行きなよ」

ではない。

「さみしくて、いなくなったあと、しばらくして、じわじわと堪えると思う。
だけど、振り返らずに先に行ってほしい。
あなたがしあわせになることが、このさみしさに効くいちばんの薬だから」

ということなのだろう。
こんな残酷なことはかなり言いたくないのだが・・・。




でも、Xもきっと、
ツインレイを理由に私のもとを旅立つことに、
残酷な仕打ちをしている気持ちになっているのだろう。



でも、私は大丈夫だと伝えたい。
さみしいし、つらくはなるけど、
穴が空いた心には、
それを埋める何かが必ずやってくることを知っているから。




私は近ごろようやく、やりたいことを見つけた。
それは誰かの役にも立つことだし、
自分にとっても楽しいというより満たされることだとわかっている。




Xと離れたあと、それを進めるつもりで、
いま準備を進めている。



ただ、もしかりに、
Xと離れる前にその準備が終わってしまったとしたら、
すぐに実行に移し、Xの卒業を待たないだろう。



そのためにも、
今はまだ自分の中に残っている、
Xがやがて旅立つさみしさを抱きしめる※ことが必要だと考えている。




※前にも書いたかもしれない。
自己受容という文脈はやはり適切じゃない気がしていて、
もっと感情的に受け入れることを別の言葉であらわすなら、
私は「抱きしめる」と表現することにしている。



今回は皆さんに役立つノウハウ的なことは、
正直いれる気持ちにならなかった。
ただの体験談や個人的思考に過ぎない。
それでも、こうしたことも、読んでくれる誰かの心に、
何かの爪痕を残せるものだと信じることにして、今日は終わる。



おやすみなさい。
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