こんにちわ、四ノ宮 舞です😊
最近、空き時間でPCでできるジグソーパズルをしています。
友人に「一緒にネットでジグソーパズルやらない?」と
誘われたのをきっかけに、
1人でも1000ピース程度のジグソーパズルをするようになりました。
今回はそんなパズルをしていた時に気付いたことをシェアしたいと思います。
私のパズル経験なのですが、6歳のころ4×4の16マスや、
6×6の36マスに1マスだけ空きがある、
イラストが描いてある角切りになった絵を、
上手くスライドして完成させるタイプのパズルばかりしていました。
(調べたらスライディングパズルという名前だそうです)
スライディングパズルやテトリスはたくさんしていたのですが、
母が森林(濃淡は微妙にあれど全て緑色、隙間を縫うような空色)や、
海(地平線まで青色、ときどき水色)といった
1万ピースのジグソーパズルをしていたことが、
軽くトラウマになっていたため、「難しそう」というイメージがあり、
ジグソーパズルを自分で完成させるような経験は全くありませんでした 笑
(母のパズルをお手伝いした時も、柄が合っているか分からないため、
ピースを無理矢理押し込んでしまい、
あとから母に「これ合ってないのにどうやってはめたの?」と
爆笑された思い出があります)
昨日一緒に始めた友人が
「初心者は1000ピースくらいからが良いらしいよ」と教えてくれたので、
絵柄が分かる(ここ重要)1000ピースからおそるおそる始めたのですが、
細切れになった絵を見ると「あ、たしかあっちにこんな絵あった!」と
カードゲームの神経衰弱をしているような感じで楽しめています。
私がしているのは、難易度でいうと簡単レベルなのでしょうが、
「え、これ分かる!!私天才じゃない?!」と自己肯定感が
一瞬でも上がるので、お時間ある方にはおすすめです。
(母のレベルは間違っても踏み込んではいけないと今でも思っています 笑)
さて、肝心の気付いたことなのですが、
「これ分かる!天才じゃん!」と思ってどんどん埋まるピースもあれば、
どれだけピースを見つめて、盤面やお手本の絵を見つめても、
これがどこにピッタリはまるのかが分からないピースもあります。
でも少しずつ分かるところを埋めていくと、
どれだけ見つめても分からなかったピースが「あ・・あそこのピースだ」と
分かるときが来る体験の連続だったのです。
(盤面を見た後、ふとピースを見ると、ピースがキラッと光るときが
たまにあり、ピースと通じ合う何かがあったりすることもありました)
この体験を通して思ったのは、
「分かることをやっていくと、
分からなかったことが分かってくる」ということでした。
そんなの当たり前じゃん!と思わないでくださいね 笑
普段の生活で当てはめてみると、
完成形や目標や夢のようになりたい!と思った時、
最初は分からないことだらけでも、その段階でも分かることやできることが、
手の中に在ると思うんです。
その手にあるものって、パズルのピースそのものだなと。
そして、完成形や目標や夢はパズルのデザインそのもの。
その手にあるピース、バラバラになっているピースを集めて、
完成形に近づいていくのが、まさに人生そのものであるなと思ったのです。
パズルを人にやってもらうこともあるでしょう。
誰かと一緒にパズルをする人もいるでしょう。
1人で楽しみながらしたい人もいるでしょう。
物の取り組み方や見方が違うからこそ、
1ピースずつ埋めていく人もいれば、
外側で合ったピースを探し続けて
小さな絵の完成形を重ねていく人もいるでしょう。
ゴールの仕方がそれぞれなのも、
人の価値観の違いや考え方の違いを表している気がしました。
そして「ベストを尽くす」「人命を尽くして天命を待つ」
そういう気持ちを持ちながら、
諦めないで行動し続ける(休憩可)が大切であるなと思いました。
また、「自身の過去」も人生にとって、パズルのピースになっているのです。
「なんであんな体験や経験したんだろ?」と思うことも、
今進んでいる目標を叶える、ひとかけらになっているのです。
苦しくても、寂しくても、
他人に見下げられるような評価をされても、
何一つ自身の中に在るものに無駄なモノは無いのだなと感じました。
さて、秋分の日となりました。
ここからの3か月は、少しの波乱を含んで、目標や夢をブラッシュアップして、叶えるために進んでいくような時間になる雰囲気があります。
人によっては、来年まで続く大きな目標に向かって
歩く準備をされる方もいそうです。
皆さまどうぞ、自身の気持ちと身体を大切にしつつ、
夢や目標に向かって進んで行けますように!
それではまた次回!(∩´∀`)∩