【吉本ばななの炎上問題】長年のファンだから言いたいこと。(vol.2)

【吉本ばななの炎上問題】長年のファンだから言いたいこと。(vol.2)

記事
コラム
(⭐吉本ばななさんのブログ記事のネタバレを含みます。ご注意ください。)

前回の記事で、私はこう問いかけた。

「吉本ばななという人は、私たちが思っている以上に、とてつもなく賢く、そして強いはず。
そんな人が、炎上することを想定せずに、あんなブログをアップするわけが無い・・・。

では、どういう心理であのブログをアップしたのか。

長年のファンであり、うつ病のどん底で彼女の文章に命を救われた私なりの、考察と本音をお話ししたいと思う。」

それでは、続きのお話しを始めます。




今回の炎上騒動を受けて、私は改めて彼女のnote(ブログ)を読み返した。

読み終わったあと、あまりのエネルギーの強さに、頭が痛くなってしまったほどだった。

ブログを読んで「変な汗をかいた」と言っている人が多い理由が解った。

トラウマをしっかりと呼び覚ますにふさわしい文面だったからだ。

やはり、吉本ばななという人の文章力のパワーは、凄まじいものがあると思った。

虐待を受けた子どものリアルや、人間の心の複雑さについての切り口は、確かに鋭く、救われた(刺さった)人も多かったのかもしれない。

でも、だからこそ。

私は長年のファンとして、激しい悲しみを覚えざるを得なかった。

その圧倒的な「文章の力」を、お姉様の治療費という、現実的な資金集めのために使ってほしくなかった。

彼女の魔法は、あくまで「傷ついた読者を癒やすこと」だけに使ってほしかったのだ。

ちょっと話はそれるけど、人気アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』に、こんな設定がある。

『人々の願いを叶えるために戦っていた「魔法少女」が、絶望の果てに、人々を呪う「魔女」へと変貌してしまう――。』

今回のブログを有料でアップすることを決めた時点で、ばななさん自身が、自覚的に「悪い魔女」になってしまったのではないか。

私にはそう思えてならない。



ブログの中で、ユーミン(松任谷由実)のライブ会場で、絶世期のように声が出なくても同じようにファンを励まし続けている姿を見て今回のnote公開を決めたとの記載があるが、何度読んでも理解が追い付かない。

ボロボロの様子をさらすことが、誰かの心を満たすと思ったのか?
訳がわからない。

ばななさんは、自分の文章がどれほど他人の脳や神経にダイレクトに影響を与えるか、その威力を誰よりも知っているはず。

事実、彼女のブログの締めくくりには「気分が悪くなったらごめんなさい」という言葉が添えられていた。

自分が今、猛毒のような文章を世に放っているという「自覚」が、彼女には確実にあったのだ。すべては想定内。確信犯。




かつて、芸術家の岡本太郎さんの養女であり内縁の妻である岡本敏子さんとばななさんが対談した本で、敏子さんが彼女にこう言っていたのを思いだした。

「あなたは小説だけ書いていればいいの。」

私は今、その言葉に限りなく近しい考えを持っている。

あの言葉は、彼女が現実のドロドロに足を引っ張られて「魔女」にならないための、最大にして最後の、守り神の言葉だったのではないだろうか。

世界的な作家であるばななさんが、自分と家族のプライベートを世にさらさなければいけないほど、精神的にも経済的にも追い詰められていたことには、もちろん同情する。

でも。

狂気に落ちたお姉様をどうしても切り捨てられないという彼女の「優しさ」が、結果として、自身の美しい作品たちと、長年彼女を信じてきたファンを混乱させたことに変わりない。

そのギリギリのラインで、私はどうしても、彼女を許すことができないな、と思った。

それは、かつて私が、彼女のnoteの課金を辞めたときと、全く同じ理由だからだ。

わたしが吉本ばななという「魔法」に救われる日々は、きっともう、終わったのだと思う。

でも、彼女の小説に救われた過去は消えない。

今後彼女が生み出す本は一体どういうものなのなのか、注目していきたい。

これは余談だが

いま、私の本棚には別の本が並んでいる。最近読み終えたばかりの、雨穴さんという作家の『変な絵』という作品だ。

(⭐ここからは「変な絵」のネタバレがあります。ご注意ください。)

そこには、「虐待されて育った女の子が狂気に落ち、殺人犯になって捕まるまで」が、謎解きのスリルとコミカルな演出で描かれている。

狂気をただの美しいお涙頂戴にせず、狂気は狂気として扱い、ちゃんと最後に捕まって刑に処されること。

そして登場人物の栗原青年が「救いのある結末にして話したい」と、残された被害者の子ども(孫)がちゃんと保護されるように働きかけること。

最後は、バーベキューをふるまう友達の父親の、ささやかで真っ当な優しさで締めくくられていること。

私はそこに、フィクションとしての圧倒的な「健全さ」を覚え、深く共感できる。

現実の狂気やドロドロにファンを巻き込む優しさではなく、物語の枠組みの中で、きっちりと境界線を引いて、最後に読者を現実の優しさへと着地させてくれること。

かつてわたしがばななさんの小説に求めていた「本当の癒やし」を、私は今、雨穴さんの生み出す物語のなかに見出しているのかもしれない。



長くなったけど、最後まで読んでくれてありがとう。



▼vol.1の記事はコチラ

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