はじめに:なぜ「普通」になろうとして苦しくなるのか
おはようございます!
「マンガ・アニメが伝えるメンタル予防」の専門家
「心のクセ“リメイク”コーチ」✖「精神保健福祉士」
オサレビト光です。
深夜帯に
「キングダム」が地上波で放送されていたのを
リアルタイムで見ていたので
急にキングダムから学べる「心のあり方」を投稿したいと思いました。
私は
物心をついた時から右半身軽度麻痺があり、左利きの生活であった私にとっては、「普通」という概念に違和感がありました。
この世の中は右利きの人が使いやすいようにできている。
例えば
私の使っているもの、通っている場所だと
・駅の改札の切符やカードのタッチ場所
・トイレのウォシュレット・電子レンジのボタンが右側
・はさみ(小学生時代) など
挙がります。
そのため、左利きの私は無意識に自分が使いやすくするために、工夫を余儀なくされていました。
そのおかげもあり、工夫する力(試行錯誤)が身につき、普通にとらわれない考え方をする機会も多くなりました。
ただ
人によっては
または環境によっては
「周りに合わせなければ」
「もっと、周りとうまくやらなければ」
社会という一つの大きな「環境」の中で、無意識のうちにその場所が求める「普通」や「正しさ」に、自分自身を適応させようと必死になっていることがあるのではないでしょうか。
しかし、その努力がかえってあなたの心をすり減らし、息苦しさの原因になっているとしたら…?
その感覚が人よりも少しだけ敏感で、大勢の中にいると酷く疲れてしまう。
一つのことを、深く、深く、探求する(または考える)ことの
その代償によって
現実にやるべき行動に集中できず、結果周りのスピードについていけない。
そんなあなただけの「個性」を、いつしか「欠点」だと思い込んでしまってはいないでしょうか。
今回、歴史大河ロマン『キングダム』における二人の対極的な存在
主人公・信と武神・龐煖の生き様を通して、「環境に適応しない」というもう一つの強さの形についてお伝えしていきます。
「大半の人の当たり前ほど、実は当たり前ではない」
「むしろ、奇跡に近いもの」
キングダムのあらすじ
時は紀元前——。
いまだ一度も統一されたことのない中国大陸は、500年の大戦争時代。苛烈な戦乱の世に生きる少年・信は、自らの腕で天下に名を成すことを目指す! !
引用:集英社
第1章:龐煖の悲劇 ―「個」を極めた果ての孤独
まず物語における、最強の「個」の象徴である武神・龐煖について、お話しさせてください。
龐煖と信との戦い
龐煖は人間的な感情を捨て、ただひたすらに個人の「武の極み」だけを追い求める「求道者」です。
「求道者(きゅうどうしゃ)」
真理や悟りなどを求めて熱心に努力する人
しかし、趙国の天才軍師・李牧は彼の人生をこのように看破します。
17年前の紀元前253年
馬陽を攻めていた秦軍本陣を襲撃し、六大将軍の一人摎を一騎打ちをして勝利するが、直後に秦国の伝説の大将軍・王騎に顔を斬られ敗れました。
その敗北を龐煖は「自分がまだ未熟だったからだ」と信じ、さらに修行を重ねた。
しかし、再戦でも彼は王騎を一人では討ち取れなかった。
その時、李牧は気づきました。
「龐煖は未熟だったわけではなく
十七年前もすでに”人の武”の極みに達していてなお王騎に敗れたのではないかと」
引用:キングダム58巻,p20
ここに龐煖の「個」の強さだけを追い求める、全ての求道者の悲劇があります。
それは「人がどれだけ個の力を極めようと、決して人を超える存在にはなり得ない」という、天からのあまりにも残酷な答えでした。
ここから私が日常生活で応用させるとしたら、このように解釈します。
「人と協力する」、「環境に適応する」ことも大切であると思いますが
それ以上にその環境に集まっている人たちが
もともと
何を目的に行動しているのか
仕事をしているのか
または学んでいるのかなど原点を整理する必要があると考えます。
私の周りだけかもしれないが、哲学の分野に注目を浴びてきているのはそれが理由なのではないだろうか。
第2章:「人の力」の正体 ― 王騎と信が体現したもの
なぜ人の武の極みに達した龐煖が王騎に、さらに信に敗れたのでしょうか。
李牧はその答えをこのように語ります。
「個で武の結晶となった龐煖とは真逆」
「関わる人間達の思いを紡いで束にして戦う力です」
引用:キングダム58巻,p27-29
それが王騎、麃公であり、信であった。
信の強さは、彼一人のものではありません。
親友・漂の夢
師である王騎が託した矛の重み
そして、飛信隊の仲間たちの命懸けの信頼
その目には見えない数え切れないほどの「想い」が、束になった”人の力”そのものでした。
龐煖が自分を超える「神」になろうと天を目指せば目指すほど、大地に根を張る、このどこまでも対極にある「想いの力」から遠ざかっていってしまいました。
これに気づくために李牧と出会い
秦軍の王騎、信と出会いとつながってくる。
この出来事や日常の出来事を見ていると、無意識レベルで気づいてほしいこと、自分の理想の未来に必要なことは良くも悪くも引き寄せられているのではないかと思うことがあります。
2年前に
私がブログを始めたこと、精神科で働いていることも
今までの人生の流れを考えると
ターニングポイントに必要なことと出会っている。
小学生で「シャーマンキング」、「NARUTO」、「遊戯王」に出会う
➡️「哲学」や「人の心」に興味を持つ
➡️精神科で働く
19歳の時の浪人時代
➡️小論文の勉強をする
➡️文章への苦手意識克服、マインドマップの使い方を簡単に学ぶ
➡️ブログを書くための練習になっていた
第3章:あなたの「戦場」はどこですか?
ここからがあなたの物語です。
「では、はたして信のように多くの人と関わり、想いを束ねて戦わなければならないのか?」
もしあなたがそう感じて、苦しくなってしまっているのだとしたら
それこそが、現代社会が仕掛ける巧妙な「罠」かもしれません。
あなたの生まれ持った気質が、人との関わりに大きなエネルギーを消耗する繊細なものだとしたら。
無理に信のように、集団の中心でその火を燃やす必要はどこにもありません。
そんなことをすれば、あなたは心を病み、燃え尽きてしまうだけです。
大切なのはあなたという人間が、最も自分らしく、その輝きを発揮できる「戦場」を、あなた自身が見つけ出し選び取ることです。
いま一度、現状にとらわれず自由に考えてみてください。
もしあなたが信のように、人と繋がり、想いを束ねることに喜びを感じるなら、「その道を迷わず進めばいい。」
もしあなたが龐煖のように、一つのことを極力誰にも邪魔されず、深く、深く、探求することに至上の喜びを感じるなら、「その道を誇りを持って、進めばいい。」、「それに合う環境はどこか」を考えてみてください。
龐煖の悲劇は、彼が「個」の道を歩んだことではありません。
その道の先に自分を理解し、その価値を正しく社会と繋げてくれる「李牧」のような存在を早い段階で見つけられなかった。
両親を幼児期に亡くなっていることも大きいですが、事実の出来事は変えられない。しかし、過去の解釈は自分の捉え方次第で変えられます。
いま一度、自分の良さを整理し伸ばしてみてください。
または自分の短所となる部分も、どの環境であれば活きてくるのかを考えてみてください。
あなたは今の状態でも完璧な存在です。
さいごに:応援し合える社会へ
私がこの物語を通して、あなたに本当に伝えたいこと
それはあなたが無理に今の環境に「適応」する必要はないということです。
あなたが、あなたらしくいられる場所であなたの信じる道を、ただひたむきに歩んでいればいい。
その姿は必ず誰かが見ていてくれます。
それはどんな人だったら嬉しいか書き出してみてください。
どんなところに気づいてくれるのか?
どんな表情をしているのか?
マンガ・アニメキャラクターだったら、どんな感じか?
書き出せたら
日常生活で身近にいるのか、ブログやSNS上でいるのか、試しに探してみてください。
いつもより目のセンサーが上がっていると思います。
そして、いつかあなたのその唯一無二の価値を必要としてくれる「仲間」や「居場所」が必ず現れます。
あなた目指すべきは、誰もが信のようにならなければならないという息苦しい社会ではありません。
信のような人間も、龐煖のような人間も、あるいはそのどちらでもない
無数の多様な人間たちが、お互いの「違い」を尊重し、認め合い
そして
”応援し合える”社会
あなたの「在り方」を、誰も否定することはできません。
どうか、あなただけの道をあなただけの歩幅で歩き続けてください。
その孤独に見える一歩が、実はまだ誰も見たことのない新しい時代の「強さ」の形なのかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。