こんにちは。
人間形成の場、エンパワlaboの有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日は2026年8月15日。お盆の中日(なかび)です
やっぱりお盆になると、暑さの中にも秋の気配を少しずつ感じるんですよね。
今日はこの時期に話したいことがあって、書くことにしました。
今日は、秋の「入り口」です。
今年は丙午の年ですよね。
丙午(ひのえうま)の年は、社会や個人の人生で、ここから数十年の大きな転換の始まりの年です。
特に春から夏にかけて、いろんな変化があったと思います。
それは、転職など大きな変化として感じられている方もいれば、些細なことでまだ気づいていない方もいます。
まだ実際に起こっていなくても、意識の中では動いているものもそうです。
今の時点で「それ」はもう、あなたの中で始まっています。
今からは、秋から冬に向けての準備をする時期なんです。
秋は「収穫の時期」ですよね。
その収穫の時期とは、来年目が出る「種」を蒔く時期なんです。
秋は、来年目が出る「種」を収穫し、それをどう「蒔く」のか。
そんな時期なんです。
秋に蒔いてから、冬にかけて、
まだ誰も、自分さえ見えていない「それ」に、じっくりと栄養を与える時なんです。
変化とは、まだ見えていない時に始まっているんです。
そして、それを敏感に感じて育てることができる人が、春になると、当然のように芽が出るのを見ることになります。
今年は、丙午。千載一遇の機会が今です。
昨日のブログで書きましたが、
「不動の一歩、行く千里」—この不動の一歩を今始める時期です。
「不動」というと、どうですか?
確固とした固い感じがしますよね。でも、昨日ブログでお話したように、
魂のシステムは、私たちの見えている世界とは『反対』なんです。
白と黒の「太極図」、ご存じですよね。
実は、私たちはこれを人生で会得することを期待されています。
硬さと柔らかさ「剛と柔」を、自分の中で持てることです。
人間として肉体を持つと、命の終わりを持ちます。だから私たちは、自分が攻撃されること、周りからはみ出されること、1人になることや人格を否定されることに「生命の危険」を感じます。
だから、自分を守る。
つまり「戦闘態勢」でスタンバイしています。
肉体を持つ次元とは、ベースが『剛』なんです。
怒りの感情は自分を守る感情です。
他人を攻撃しているようで、実は弱い「自分」を守っているのです。
・・・
📖
こんな話があります。
ある日、貧乏神が夜「一晩泊めてください」と家々を訪ねました。
どの家もそんな貧乏神を自分の家に受け入れる人はいませんでした。
でも、最後に訪ねたその家は、1人の貧しい男性が住んでいました。
「自分の家は、むさくるしくて何もないんです。食べるものもないですが、火は焚いています。汚い畳ですが、どうぞ暖を取ってください。」
そう言って招き入れました。
この感じ、よくある昔話ですよね。いい展開だともうお気づきでしょう(笑)。
朝になると、その貧乏神は「福の神」になっていたんです。
驚く男に、福の神は言います。
「私は前の顔が、貧乏神。後ろの顔が、福の神なんじゃ。」
そう。
貧乏神と福の神は表裏一体なんです。
これは、太極図も同じ。
1つの円の中に白と黒があります。白だけでは円にはなりません。
実は、太極図とは、円の中に「白と黒が織り交ざっている」のです。
太極図は、「絵」として人が分かるように書かれた物です。
私が「見た」太極図は、白と黒が玉の中で動いて織り交ざっていました。
豊かさと貧しさ、黒と白。
物事は、必ず反対が存在します。片方を知っただけでは、「円」の半分を知っただけなのです。
「不動の一歩、行く千里」。この言葉の一歩とは。
今まで「形」として見えるもの、または技やスキルが「剛」だとしたら、
ここからは『剛』の反対の『柔』の一歩を歩き始める時期です。
ちょうど今は「秋の入り口」。
今からの話は、
「頭で考えて人生を進めることをやめる」—思考を超えた「その先」へ。
そんなお話です。
今まで何か「その先」に行けない感覚をもし感じているなら、その先の「領域」の可能性をつかんでみてください。
今日は、「頭」で読むのではなくて、『心の感触』に触れながら読んでみてくださいね。
🟩緊張で肩が上がる→胸がホールド→浅い呼吸✳︎膻中(だんちゅう)」を緩めてリリース
体には、任脈という体の正中線、つまり、鼻とへそをつないだ、体の真ん中の線があります。
この「膻中(だんちゅう)」とは、左右の乳首を結んだ線とその正中線が重なった、胸の真ん中の場所です。
ここは、チャクラで言うところの「第4チャクラ」です。
ドキドキしたり、胸がぎゅっと締め付けられる時、自然に手はどこに行きますか?
—そう、そこです。
心と感情に繋がるエネルギーが集まっている所なんです。
会社や人が多いところでは、いろんな人の「思惑(おもわく)」が渦巻いています。
だから体は無意識に自分を守ろうとするんです。
繊細な人ほど、それを感じてまず「肩」が上がります。
肩が上がると首、頭の付け根が固まって…
血管が「ギュ」と筋肉に押されて、血が通る道が「細ーく」なります。
そして、胸はどうなるかというと…
ちょっと一緒にやってみてください。
肩が上がると胸が持ち上げられて、「上の方で固定された感じ」になりませんか。
そうなると、息があまり吸えなくなって浅い呼吸に自然となってしまいます。
いつも無意識にそんな感じになっていないですか?
さぁ、ここからです。一緒に読みながらやってみましょう。
まず、「膻中(だんちゅう)」に両手を重ねて置いて、「こころ」を感じてみてください。
ゆっくり呼吸しながら。
胸が上下しているのを感じていると…
なんとなく自分の心の「模様」が感じられるはずです。
どうですか?
言葉にならない、硬い「芯」を感じませんか?
その…今、感じている「芯」を感じながら読み進めてください。
あなたのこころが握りしめている「色んなもの」。
それを頭で分析して、ああだこうだと「レッテル」張らずに・・・
ただ、その「芯」の感覚を感じながら…
では、
手を肩の首の付け根の辺りに触れてください。
指先で固くなっている所を感じながら。
指先で皮膚ではなくて、その下の「かたいもの」に触れている…そんな意識で。
指先に感じながら、先ほどの体の中心、「胸」にある『芯』を捉えてください。
その固くとがった芯を、ゆっくりゆっくりほどいて…柔らかくしていきます。
では呼吸を使いましょう。
吐く息に力点を置きます。
ゆっくりゆっくりと、奥で漏らすように
「ム…—」と細く長ーく吐きながら、その「芯」を柔らかくほどいていきましょう。
さぁ、こころの芯の硬さ、そして緊張感が肩を固くしていたんやなぁ…
そんな風に感じられると思います。
ゆっくりゆっくりそのまま続けてください。
では、次は…
頭と首の付け根を緩めてみましょう。
両手の平を耳が覆うような形で、人差し指の指先を首の付け根に置くと…
自然に指全体が頭の後ろに来ますよね。
呼吸をゆっくりと吐きながら、
肩甲骨の辺りに力がまだ入っているのに気づきましょう。
さらに、肩甲骨の真ん中、背中の中心。
ここの力を「ふ~~」と緩めて柔らかーくしてみましょう。
そこは、「膻中(だんちゅう)」の背中側です。
中から…
こころの「芯」から緩めて、緩めて…ゆっくり、ゆ~っくり…
頭に置いた「指先」。
固くなって緊張して固まっている、その首を支えている頭の筋肉。
こころの緩みを感じながら、筋肉や筋を捉えている指先を微かにゆっくりと「揺らしながら」、筋膜がゆるんでほどけていくのをこころでイメージしながら・・・
こころで「もみもみ」してみましょう。
ゆっくり…鼻の奥、体の「奥」で息が抜けていきます…
自然に耳の周りの「側頭」にも指がのびていきませんか。
目の使い過ぎ、頭で考えすぎ、心配してもどうしようもないことを、
ぐるぐるどうにかならないかと「頭」と使ってばかりいると、頭が痛くなったり、目の奥が疲れてきます。
側頭部こめかみは、「第6チャクラ」の通り道です。
「膻中(だんちゅう)」の後ろの硬さ、そして、体の中の芯の硬さを
緩めて、緩めて…
こころの感触で、硬い「芯」を探って「抱きしめ」ましょう。
言葉にせずに…
自分を守るために守っていた何かをほぐすように、
ゆっくりゆっくり芯をほぐしていくんです。
自分を無意識に守ろうとする「心の萎縮」が、食いしばりや歯ぎしり、背中の痛みとなります。
まるで古いゴムのように、伸縮性がなくなってくると、
こころも不思議と同じようにります。
私もマッサージが大好きなのですが、その時によくなっても自分の心の状態がいつもと変わらないと、
結局すぐにもどってしまうんです。
自分を変える心理学や哲学には限界があります。
いくら脳で理解しても「超えられない場所」があるんです。
・・・
ここからは「感覚」の世界。
自分の「意識」と「体」。
そして「心の感触」の中に言葉にならない「気づき」があります。
今から1か月。
秋の入り口のこの時期に、「心の芯」を体を感じながら緩めてみてください。
『乖離していた内側の自分』と、どんどん一致してくる感覚を繰り返してみてください。
少しずつ、少しずつ、その感覚が『深く』なってくるはずです。
丙午の後半の「不動の一歩」。
それは、今までの「剛」とは違う、もっと深く静かな「柔」の一歩です。
それが「壁の向こうの領域」。
ここからあなたが本当の意味で「変わる」可能性が、そこにあります。
このブログは、素人の私が自分の生の「声」をそのまま話しています。
今からお話することは、夢物語だと思ってお聞きください。
私はその日も、肩と首の硬さを感じたので、
緩めるために「心の芯」をじーっとほどいていました。
初めは「芯」硬くて肩もこっていましたが、「指先の感覚」と「心の芯」をつなげて、ゆっくりとほどく感覚の中に没入していったんです。
筋肉がゆるんできて、柔らかくなってきた時、
ふと、心にこんなことが立ち上がってきました。
感覚で掴んでいる「心の芯」がほどけてくると、実際の体も緩んでくる。
不思議やなあ…
こころが持っている、その「芯」。
「心の芯」がもし、1つの「在るもの」であれば…
意識だけで、そんな簡単に変化できるものだろうか?
『意識』で固い芯から柔らかなものに変化するなら、
それはそもそも…
「在るもの」じゃない…
そんな言葉にできないものが、感覚の中から湧き出て、現れたような感じです。
そう思った瞬間、その「芯」のようなものは、粒になって広がり、
そして『パッと消えた』んです。
その時、昨日書いたブログのたとえ話に出てきた「鏡」が浮かびました。
慧能(えのう)が書いたこの言葉。
菩提 本(もと)樹無し
明鏡も亦(また)台にあらず
本来無一物(ほんらいむいちぶつ)
何れの処にか塵埃を惹かん
(悟りの木など最初から無く、鏡も台など無い。
本来、世の中には固執するような物など何も無みなのだから、
どこに塵や埃がつくというのだろうか)
「こころの芯」つまり、自分のこころを映している『鏡』もなかったんだ…
映しているものも「錯覚」で、そして映していると思っている「鏡」自体も錯覚だったんだ…
うまく言葉で言えないのですが、
それは『体でわかった』体験なんです。
その日から自分の「何か」が変わりました。
外から見た私は、何にも変わっていないんです。
でも、全てが少しスライドしたように変わったんです。
「目覚めの道」って、100人いれば100通りあると思います。
私は、この体験が「その先」への不動の一歩だったように感じています。
体でしかわからないことがある。
今その感覚をなんとか文字にしたけど、違うんです。
何やうまく説明できないんです。
私が感じていることは、
私たちは人間として、肉体を持って生まれています。
「体」と「内なる自分」との一致。
その感覚の中でこそ、意識から「現れる」何かをつかむことができる。
それは、言葉ではないんです。
いつも、一瞬です。
その一瞬にいろんなものが…
「わかる」というのとはちょっと違う。
なんだか、「知っている」ことに『気が付く』感じなんです。
まぁ、そんな不思議な話だと思って聴いてくださったらうれしいです。
今日はここまで。
今回の「自分と一致していくアプローチ」興味があればやってみてください。
「頭で考えて人生を進めることをやめる」—思考を超えた「その先」へ。
一緒に可能性を見つけてみませんか?
氣功師の有岐でした。
練功の氣であなたの氣に変化を与えていきます
呼吸法・瞑想・太極拳。
そして本格的な氣の練功
初めてのレッスンは、
#01. 【通気】チャクラの開眼からスタート♪