第4章 影の正体
二月の風は、冬の名残をしっかりと抱えたまま吹いていた。
空は薄い青で、雲がゆっくりと流れている。
蒼真は、青の教室へ向かう道を歩きながら、
胸の奥に重たい石のようなものを感じていた。
(……昨日のこと、まだ引きずってる)
昨日、母と大きな言い合いになった。
「蓮くんは関学を受けるんでしょ?
あなたももっと上を目指しなさいよ」
「無理だって言ってるだろ!」
「無理って言う前に努力しなさい!」
その言葉が、
胸の奥に深く刺さったままだった。
(努力してないわけじゃない……
でも、蓮みたいにはできない)
その事実が、
蒼真を苦しめていた。
***
青の教室のドアを開けると、
暖かい空気がふわりと流れてきた。
「こんにちは、蒼真」
友彦が、
いつもの静かな声で迎えてくれた。
その声を聞いた瞬間、
胸の奥の石が少しだけ軽くなる。
「……こんにちは」
席に座ると、
紗月が静かにノートを開いていた。
「蒼真くん、今日……ちょっと疲れてる?」
紗月は、
蒼真の“揺れ”をすぐに見抜いた。
「まあ……ちょっとな」
「うん。
なんか、そんな顔してる」
紗月は、
それ以上聞かなかった。
その“聞かない優しさ”が、
蒼真にはありがたかった。
***
数学のプリントを解いていると、
蓮が教室に入ってきた。
「おー、蒼真。
昨日の練習、めっちゃ良かったやん」
「……そうか?」
「うん。
監督も言ってたで。
“蒼真、最近動きが軽い”って」
蓮は、
悪気なく言っている。
でも、
その言葉が胸に刺さった。
(俺は……蓮に褒められて嬉しいのか?
それとも悔しいのか?)
自分でも分からなかった。
蓮は、
友彦から渡された過去問を開き、
すぐに集中モードに入った。
(すげえな……)
蒼真は、
胸の奥がざわつくのを感じた。
(なんで……あいつは迷わないんだ)
その“迷わなさ”が、
蒼真には眩しすぎた。
***
英語の時間。
蒼真は、
昨日の続きのプリントを開いた。
短い文。
短い単語。
でも、
今日は胸の奥のざわつきが強かった。
(読める気がしない……)
プリントの文字が、
ゆらゆらと揺れて見える。
そのとき、
友彦が静かに声をかけた。
「蒼真。
今日は、英語じゃなくて……話をしようか」
「……え?」
「ちょっと、こっちへ」
友彦は、
教室の隅にある小さな机を指した。
蒼真は、
胸の奥がぎゅっと縮むのを感じた。
(怒られるのか……?)
でも、
友彦の表情は柔らかかった。
***
「蒼真。
昨日、家で何かあった?」
その一言で、
胸の奥の石が音を立てて崩れた。
「……なんで分かるんですか」
「分かるよ。
蒼真の“影”が、いつもより濃いから」
影――
その言葉に、
胸の奥がふっと揺れた。
「母さんと……言い合いになって。
蓮みたいにできないって言われて……
俺だって頑張ってるのに……」
言葉が、
勝手にこぼれ落ちた。
友彦は、
静かにうなずいた。
「蒼真。
影ってね、
“悪いもの”じゃないんだよ」
「……え?」
「影は、
光があるからできる。
そして、影があるから、
自分の“形”が分かるんだ」
蒼真は、
胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
「蓮くんは蓮くんの影がある。
蒼真には蒼真の影がある。
どっちが上とか下とかじゃない」
「でも……俺は蓮に勝てない」
「勝つ必要なんてないよ」
友彦は、
静かに言った。
「蒼真は、
“蒼真の道”を歩けばいい」
その言葉は、
胸の奥にすっと染み込んだ。
(俺の……道)
そんなものがあるとは、
思っていなかった。
***
席に戻ると、
紗月が心配そうに見ていた。
「蒼真くん……大丈夫?」
「……まあ、なんとか」
「うん。
なんか、
さっきより顔が軽くなった気がする」
紗月は、
蒼真の“影の変化”を見抜いていた。
「蒼真くんの影、
今日……ちょっとだけ薄くなったよ」
その言葉に、
胸の奥がふっと温かくなった。
(影が……薄くなった)
自分でも、
そう感じていた。
***
帰り道。
空は薄い金色に染まっていた。
蒼真は、
胸の奥の石が少しだけ軽くなっているのを感じた。
(影って……悪いものじゃないのか)
影があるから、
自分の形が分かる。
影があるから、
光が分かる。
そのことを、
初めて理解した気がした。
風が頬を撫でた。
(俺の影……俺の道……)
その言葉が、
胸の奥で静かに響いていた。