『ぽんぽん』

『ぽんぽん』

記事
学び
谷川俊太郎著『ぺ』を読んでください。
なお、以下のお話はAIによる創作です。

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「ぽんぽん」

「ぽんぽん」について語るには、まず沈黙を用意しなければならない。
それは言葉の前にあるが、言葉の後にも残る。
私はかつて、ある山間の郵便局で「ぽんぽん」についての講演を依頼されたことがある。
そのとき私は、封筒の裏に「ぽんぽん」とだけ書いて壇上に立った。
聴衆は三人。うち二人は局員で、もう一人は局員の祖母だった。
講演は七分で終わった。拍手はなかったが、祖母はうなずいていた。

「ぽんぽん」は、音ではない。
しかし、音のように現れる。
それは、たとえば雨粒が傘に落ちるときの、あの一瞬の跳ね返りに似ている。
あるいは、心が何かを思い出す直前の、あの無音のふくらみにも似ている。

私は「ぽんぽん」を食べたことがある。
それは、ある種の哲学者が言う「根源」に近い味がした。
ただし、味覚ではない。
口に入れた瞬間、記憶が逆流し、
私はまだ生まれていない頃の自分を見たような気がした。

「ぽんぽん」は、規制されてはならない。
それは誰のものでもなく、誰のものでもある。
市場に出回ることはあるが、値段はつかない。
値札を貼ろうとすると、紙がはじけてしまうからだ。

ある午後、私は公園で遊ぶ子どもに「ぽんぽん」について尋ねた。
彼は砂場を見つめながら言った。
「ぽんぽんは、ぽんぽんだよ。ぽんぽんって言っても、ぽんぽんだ。」

その答えに私は、しばらく立ち尽くした。
言葉が意味を超える瞬間に、
「ぽんぽん」は確かにそこにあった。


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「にゅ」

「にゅ」について語るとき、私はいつも駅のホームを思い出す。
夕方の、まだ夜になりきらない時間帯。
電車を待つ人々の足元に、風が細く流れていく。
その風の端に、かすかに「にゅ」が混じるのだ。

もちろん、誰も気づかない。
気づいてはいけないのかもしれない。
「にゅ」は、気づかれた瞬間に形を変えるからだ。
あるときは、線路の向こうのビルの窓に映り、
あるときは、アナウンスの語尾に紛れ込む。
私はそれを追いかけようとして、何度も乗り過ごした。

「にゅ」は物質ではない。
しかし、触れたような気がする瞬間がある。
たとえば、改札を抜けた直後、
胸の奥がふっと軽くなるとき。
あれは「にゅ」が通り抜けた跡だと、私は密かに思っている。

ある日、私は駅前のベンチに座っている老人に尋ねた。
「『にゅ』をご存じですか」
老人はしばらく黙ってから、
手にしていた紙袋をそっと開けて見せた。
中には何も入っていなかった。
しかし、彼は満足そうに言った。
「にゅは、こういうふうにして持つんだよ」

私はその答えに深くうなずいた。
「にゅ」は、空っぽを空っぽのまま抱える技術なのだ。
満たそうとすると逃げてしまうし、
捨てようとすると戻ってくる。
駅のホームで風が巻き上がるたび、
私は「にゅ」が今日もどこかへ旅立っていくのを感じる。

そして、誰かが気づかないまま、
また別の誰かの足元にそっと降り立つ。

「にゅ」は、世界の隙間を縫うようにして生きている。
それを知っている人は少ないが、
知らなくても、誰もが一度は「にゅ」に触れている。

ただ、そのことに気づかないだけなのだ。


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「あ」

「あ」について語るとき、私はいつも立ち止まってしまう。
歩いていても、書いていても、皿を洗っていても、
ふとした拍子に胸の奥で「あ」がひらく。
それは始まりの音であり、終わりの影でもある。

「あ」は、声に出すとき最も裏切られる。
出した瞬間に、もう「あ」ではなくなるからだ。
口の形、息の角度、喉の震え──
どれかひとつが変わるだけで、
「あ」は別の場所へ逃げてしまう。

私はかつて、「あ」を捕まえようとして旅に出たことがある。
北の海辺では、波が「あ」を運んでいた。
南の市場では、果物の香りが「あ」を包んでいた。
しかし、どれも「あ」そのものではなかった。
どれも「あ」の手前か、あとの余韻だった。

ある晩、私は古い図書館で眠ってしまった。
閉館後の静けさの中で、
棚の間を風が通り抜ける音がした。
そのとき、私は気づいた。
「あ」は、探すものではなく、
世界がこちらに向けて開く“隙間”なのだと。

翌朝、図書館の外に出ると、
通学途中の子どもが転びそうになって、
思わず「あっ」と声を上げた。
その声は、驚きでも痛みでもなく、
世界と自分が一瞬だけ重なった音だった。

私はその瞬間、
「あ」はすでにどこにでも満ちているのだと悟った。
駅の階段の途中にも、
曇り空の切れ目にも、
誰かの沈黙の端にも。

「あ」は、世界が呼吸するときの最初の息であり、
私たちが世界に触れるときの最後の余白でもある。

だから私は今日も、
「あ」を語ろうとして語りきれず、
語りきれないまま、
それでも「あ」のそばに立ち続けている。

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