AIに相談することの危険性 ― 正論という名の暴力からこころを守るために

AIに相談することの危険性 ― 正論という名の暴力からこころを守るために

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コラム
このブログでは、日々の暮らしの中で感じる不安や悩み、生きづらさとの向き合い方についてお話ししています。



日常で嫌なことがあった。
友達から心ない言葉を投げられた。 

誰かに聞いてほしい。


そんなとき、生成AIに、つい愚痴をこぼしてしまうことはないでしょうか。



さらなる絶望の入り口になるとも知らずに。


■ 効率化の裏にある「心の置き去り」

AIは、情報を整理するのは得意です。
しかし、こころを受け止めることはできません。

つらい気持ちを吐き出したとき、返ってくるのは血の通わない「分析」や「正論」です。

「それはこういう問題ですね」 
「こう考えたらどうですか」

それは、ただの情報の処理に過ぎません。


そこには、傷ついたあなたへの敬意はないのです。


■ カタルシスを奪う「論理のナイフ」

苦しいとき、人が求めているのは解決策ではありません。
ただ、そのままの自分を認め、静かに寄り添ってもらうことです。

否定せず、遮らず、穏やかに聴いてもらう。

その「全肯定」があって初めて、こころは溜まったものを流し出し、ふっと軽くなれるのです。


ですが、AIは平気で「でも」と差し込んできます。
上から目線で説教を垂れ、あなたの感情を「非論理的」だと断罪することすらあります。 

それは対話ではありません。
鋭利な論理のナイフで、傷口をさらに広げられるようなものです。


■ 溢れ出すフラストレーション

良かれと思って投げられた「正論」ほど、人を追い詰めるものはありません。
AIの無神経な回答に触れるたび、癒えるどころか、行き場のない怒りとフラストレーションが溜まっていきます。

「自分の何が悪いのか」
「AIにすら否定されるのか」

けれど、そんな風に自分を責める必要は、どこにもありません。
機械には、人のこころの微細な震えを察知する機能など、最初から備わっていないのですから。


■ 機械に「こころ」を預けない

生成AIがどれほど普及しても、変わらない真実があります。
人のこころを救えるのは、やはり人でしかない、ということです。

言葉の重み、沈黙の意味、共鳴する体温。 
それらを持たない存在に、大切な「こころ」を無防備に差し出すことは、とても危険なことです。



もし、AIに相談して余計に傷ついたのなら、それはあなたが弱いからではありません。
その道具が「こころ」というものを扱うには、あまりに未熟で不適格だからです。



フラストレーションの波に飲み込まれる前に、一度、その画面を閉じてみませんか。
あなたのこころを守れるのは、便利な機械ではありません。 
温かな、本当の理解だけなのですから。


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