言葉のやり取りではなくイメージのやり取りをしている
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我々は、言葉のやり取りをしていると思っているが、実はイメージのやり取りをしているのだ。そして、そのイメージは、一番最初に焼き付けられたものが、根強く残り続ける。一度、感光した写真フィルムのように、固定化されたイメージは消えないということだ。
たとえば、「宗教」という言葉のイメージが、もう現代では、「うさんくさいもの」「意味のないもの、ことに執着するさま」などになってしまっている。
本来、もともと最初に聞く言葉に対するイメージというのは、持ってなかったはずだが、それが徐々に外部からの影響により、固定化していく。
だとえば、「童貞」という言葉を聞いた時、なんだか吹き出してしまうような人たちがいる、「汚れた者ではない、清純な者である」というイメージではなく、「女にもてない、ブサメン、うすのろ」のようなイメージになっているからである。
正直、こういうイメージが浸透していること自体、もう今という時代が、キレイは汚い、汚いがきれい、のように価値観が反転してしまった世界であることを意味しているので、終末世界に生きる神の民は、苦しい思いをすることになる、しかし、神は白を黒と言い、〇を×と言い、善を悪と言い、1+1を3と言うものを容赦なく裁くので、これから神の正しい裁きが行われる。
「復讐は私のすること、お前たちは(神の民)手を出すな」と聖書に書いてある通りのことが、これから起きる。この世界の創造主であり至高者である神に復讐されるのである、それがいかに恐ろしいことか。神に勝てる見込み0ですからね、人間など。