お金がない世界で、どう生きるか

お金がない世界で、どう生きるか

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コラム
ヨハネの黙示録で、有名な「獣の刻印がない者は、売ることも買うこともできなくなる」というやつだが、終末世界に生きる我々が、貨幣を介在させることなく、ビジネスができるかどうか、について考えていかなければならない。
すでにデジタル通貨による人民支配の構想が、現実になりつつある。
何十年も先の話ではなく、あと数年以内に、モノとしての貨幣は無くなり、すべてデジタル通貨になるのではないかと予想している。
これにより、すべての売買履歴、動向が政府側に把握されることとなり、さらには、体制側に不従順な者、反政府組織などは、信用スコアなどを理由に売買そのものを受付できなくさせることも可能だろう。すでに中国では、そのようなシステムが現実に導入されつつある。
どうやら、今後は中国モデルの新世界秩序がスタンダードになるようだ。
しかし、神の民は、これを受け入れてはならない、と聖書に書いてある。
つまり、体制側のデジタル通貨経済圏にとどまることは許されないのだ。
そうすると、必然的に物々交換と、自給自足で生きていくことになるが、これも一人だとかなり厳しいことになるだろう。

ところで、イエスの弟子たちが、伝道旅行する際には、お金は1円も持っていなかった。長旅には必須と言われていた杖も、持ってはいかなかった。さらには、替えの下着すら、一枚も持って行かなかった。イエスが、そのように命じたからだ。
金も持たず、杖も持たず、替えの下着も持たず、どうやって旅をつづけたのかと思うだろう。それはもちろん、各地の伝道先で人々から、宿から食事までお世話になって、過ごしたのである。
だが、勘違いしてはならない、お世話になってと言っても、それは労働の対価として、宿と食事をもらったのである。働くものが報酬を得るのは当たり前である。つまり、物乞いのようなことをしたわけではない。
それで、彼らが日雇い労働でもしたのかというと、そうではなく、神の力によって、病人を癒し、死人を生き返らせ、さらに神の教えを説いたことが、彼らの労働であった。その対価として、宿と飯をいただいたわけである。
さて、終末世界に生きる我々が、とるべき選択肢は2つある、体制側に従順に従い、究極のディアストピアにて、自分を殺して生きる。
もう一つは、それを拒否し、独自のコミュニティで生きる(もしくは完全に一人で自給自足とDIY)か、そのどちらかである。
もちろん私は後者を選択する。いや、それしか方法は無いのだ。


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