ヤハウェとイエスの関係は、人間の世界の親子ではない

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コラム
キリスト教の基本概念である、「父と子と聖霊の三位一体」であるが、
ヤハウェが天の父つまり神、そして子であるイエスもまた神であるという基本的な思想が、実はキリスト教徒の中でさえ統一されていない。
「イエスは聖人ですが神ではないですよ」と真顔で言うキリスト教徒がいるのだから、いかに聖書を読んでないのか、よくわかる。
キリスト教徒でさえ聖書を読んでないのだから、一般大衆が聖書を読むわけがないのだ。なので私が解説しよう、ヤハウェとイエスの関係を。

イエスと弟子が対話しているシーンで、「ぜひ、私どもに御父をお示しください!」と懇願するのだが、イエスはこう答える「あなたがたは、これだけ私と一緒にいるのにまだわからないのか、私を見た者は、父をも見たのだ」「父と私は一つである」と、こう言っているのだから、イエスもまた神であるし、ヤハウェとイコールの存在といえるのだ。
つまり人間の感覚でいう親子ではない。イメージ的には、「寄生獣」という漫画に出てくる「ミギー」が分裂していくにつれて、意識も分裂していくが意識レベルが低くなっていくような感じであろうか。
要するにイエスは、ヤハウェの右腕、手足のような感じで、ヤハウェの一部なのである。神がまるごと地上に降りていくわけにはいかないので、自らの一部を地上に送り込んだのだ。その時に、神としての意識や能力に制限が課されたのである、それもまた神の計画を実行するためである。
であるから、イエスは自分を裏切るユダを、それと知らずに仲間にしてしまった。もし、イエスが完全に神としての能力を持ち地上に来たなら、こいつは自分を裏切るから仲間にしないでおこう、となってしまうだろう。
なので、そうさせないために、あえて、必要な時まで自分の未来が明かされないようにしたのである。イエスは自分の未来、他人の未来、すべてを見通すことができたが、それもまた、天の父であるヤハウェの許可のもとにできたことであった、なのでユダが最初から裏切り者として用意されていたことも知りえなかったのだ。
イエスは、ヤハウェから分離され地上に降り、また天に戻り、ヤハウェやほかの預言者や義人たちと一つになったのである。
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