その広告に、うっすら感じた違和感の正体
「5日間で、生成AIを使ってあなたの電子書籍を出しましょう」
「印税で稼げます。見込み客がバンバン集まります」
最近、こうした広告を見かけない日はありません。
便利そうだし、合理的だし、否定する気もありません。
でも正直に言うと、私はそこに言葉にしづらい寒さを感じてしまいます。
それ、本当に「本」なのだろうか?
その先に、誰の人生が立ち上がるのだろうか?
この違和感の正体を、今日は少しだけ掘り下げてみたいと思います。
私は30年以上、出版の現場にいました
私は出版社で30年以上、書籍編集に携わってきました。
商業出版も、企画書が通らない苦しさも、
何度も書き直し、著者と格闘した原稿も嫌というほど見てきました。
だからこそ、生成AIそのものを否定する気はありません。
実際、私自身も使いますし、うまく使えば効率は劇的に上がる。
ただし
「生成AIに任せきりで、本が書けたことにする」
この姿勢だけは、どうしても首を縦に振れないのです。
テンプレートで量産される「それっぽい本」
売れるチラシの作り方、冠婚葬祭のマナー、相続手続き。
こうした分野なら、確かに「それらしい文章」は作れるでしょう。
最近は
「プロンプトの冒頭に“あなたは◯◯の専門家です”と入れると良い」
という話もよく聞きます。
私も試しました。
結果は「まあ、多少は…」という程度。
さらに、そのプロンプト自体がテンプレート化され、
誰にでも配られている現状を見ると、
誰が使っても、似たような文章になるのは当然だと思うのです。
例えるなら、
大谷翔平選手のバットスイングをテンプレ化して
「この手順通りにやれば、あなたも同じ打ち方ができます」と言うようなもの。
そんなわけが、あるでしょうか。
「月が綺麗ですね」を生成AIは“感じられるのか
夏目漱石の有名な一節に、
「月が綺麗ですね」という言葉があります。
それが「I love you」を意味すると言われるのは、
その前後の文脈、間、温度、奥ゆかしさがあってこそです。
この“振り”の効いた一言を、
現状の生成AIが本当に理解して書けるのか。
私は、まだ無理だと思っています。
これは小説に限った話ではありません。
あなたの人生で培われた
生き方、失敗、判断、迷い――
それを文章として立ち上げる行為そのものが「出版」なのです。
電子書籍は「信用の貯金箱」だと思っています
電子書籍は、形だけ見ればどれも同じです。
でも中身は、まったく別物になります。
・生成AIに丸投げした薄っぺらい一冊
・きちんと取材し、その人なりの言葉で書かれた一冊
どちらが
「この人、もっと知りたい」
「一度相談してみたい」
と思われるかは、明らかです。
私たちが電子書籍の出版プロデュースで大切にしているのは、
信用のクレジットが貯まるかどうか、それ一点です。
大義なき量産は、業界を荒らすだけだ
見込み客リストが取れる。
印税で儲かる。
それ自体を否定するつもりはありません。
でも、出版が本来担ってきた役割は、
そんなにちっぽけなものではないはずです。
大義なき量産。
魂のない電子書籍。
それは、出版業界にとっても、読者にとっても、無駄でしかない。
便利な時代だからこそ、
「なぜ、その本を出すのか」
この問いが、今ほど重要な時代はないのではないでしょうか。
あなたは、どちらの本を世に残したいですか?