話を聞いてくれた人がいたから今度は私が聞く人に
——愛されたくて、笑い続けた私の話(第1回)
はじめまして。心笑 (にこ) 心が軽くなる相談室です。
ここでは、私がどんな人間で、どんな経験をして、
なぜこの相談室を始めようと思ったのかを、
少しずつお話ししていこうと思います。
決してきれいごとだけの話ではありません。
人には言いにくいことも、
できれば隠しておきたい過去も、正直に書いていくつもりです。
それでも書くのは、もしかしたらこの文章が、
今誰かの心を少し軽くするきっかけになるかもしれないと思うから。
長くなりますが、よかったらお付き合いください。
1章 「いつもニコニコ元気」で生きてきた私
私は子どもの頃から、
「いつもニコニコ元気」をモットーにして生きてきました。
きっかけは、小学4年生の頃に知った一言です。
「女は愛嬌」
決して美人ではない私が生きる道は、これだ。
そう思いました。
それから私は、できるだけ笑顔でいること、
明るくいること、元気に見せることを大切にしてきました。
周りからも「いつも笑顔だね」「明るいね」
と言われることが多かったと思います。
でも今振り返ると、その笑顔の奥には、
ずっと言葉にできない寂しさがありました。
親からの愛情を、うまく感じることができなかった。
自分は愛されているという感覚が、あまりなかった。
彼氏がいない時期はほとんどありませんでした。
それなのに、誰かからまっすぐ
「好きだよ」と言われた記憶がありませんでした。
2度結婚しましたが、
「結婚してください」とプロポーズされたことも、
一度もありませんでした。
恋愛の中にいても、結婚の中にいても、
私はどこかでずっと問い続けていました。
本当に私は、愛されているのだろうか。
嫌われないように。離れていかれないように。
もっと必要とされるように。
相手に合わせ、尽くし、彼のことを一日中考えていました。
今思えば、恋をしていたというより、
「愛されている実感」をずっと探していたのかもしれません。
2章 自分の人生なのに、どこか他人事だった
私は小中学校では成績優秀でした。
高校入学時にはトップで、新入生代表も務めました。
それなのに卒業する頃には成績はすっかり落ち、
いわゆる"ビリギャル"のような状態に。
一浪して、なんとか六大学に滑り込みました。
ただ、それも「どうしてもこの大学に行きたい」
という強い意志があったからではありませんでした。
親に申し訳ない。親の期待を大きく裏切ってはいけない。
そんな気持ちの方が強かったと思います。
今振り返ると、私はずっと、
自分の人生をどこか他人事のように生きていました。
何をしたいのか。どんな人生を送りたいのか。何のために生きるのか。
そういうことを、自分のこととして考えられなかったのです。
今だから書けますが、当時の私は
「そんなに生きていたいわけでもない」という感覚を、
ずっと抱えていました。
体は健康で、大きな病気もない。
それなのに、心の方はどこか、生きることに前向きになれない。
そのちぐはぐさを抱えながら、私は大人になっていきました。
3章 人生を変えたいと思って、遠回りをしたこと
今振り返って、私の大きな失敗は、
自分の人生をどうしていくかという考えが、まったくなかったこと。
そして、ネットワークビジネスに何度も影響を受けてしまったこと
だったと思います。
最初にネットワークビジネスを知ったとき、
私は「権利収入」という言葉に強く惹かれました。
自分が働き続けなくても入ってくる収入。
時間や場所に縛られない暮らし。
そこで成功している人たちのライフスタイルが、
とてもかっこよく見えました。
でも現実は、そんなに簡単ではありませんでした。
高い商品を購入し、セミナーに参加し、気づけば経済状況は少しずつ悪くなっていきました。
都会で一人で生きていくのは大変で、その現実と向き合うのが怖くて、
私は結婚に逃げました。
自分の人生を自分で立て直すのではなく、
逃げるように選んだ結婚がうまくいくはずもありませんでした。
最初の結婚相手には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
その後、2度目の結婚をして、娘を授かりました。
4章 娘に出会って、初めて気づいたこと
正直に言うと、私はもともと子どもが大好きなタイプではありませんでした。でも、自分の子どもは違いました。
「なんてかわいいんだろう」
そう思ったとき、同時に、親への感謝が湧いてきました。
ピアノ、書道、公文、スイミング、クラシックバレエ、英語、塾。浪人もさせてもらい、私立大学にも通わせてもらった。
親は私に、たくさんのお金と機会を与えてくれていたのだと、
娘を持って初めて気づきました。
この子がやりたいと言ったことを、私はやらせてあげられるのだろうか。
それは感謝と同時に、自分が親になることへの大きな不安でもありました。
親への恩返しができるとしたら、せめて娘の成長を近くで見てもらうこと。
そう考えるようになり、
これからの暮らし方や家族の形を考えるようになりました。
けれどその準備を進める中で、
夫婦として避けて通れない問題が見えてきました。
それがきっかけとなり、私たちは離婚することになりました。
第2回へ続きます。