【最後の最後、長ったらしい余談まで、読んでいただけたということは、あなたが「持ち帰る言葉」はもう忘れておろう?】

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今日は学歴もないのに上から目線で語ろうかのう。

高卒の、ほぉんの、ちょっと「権力」の端くれをかじったことがあるオッサンの「戯れ言」だと思って聞いてくだされ。

さて始めようかの。今日は、みんながあんまり興味のない「政治」とするか。どこから話そうかのう。

政治とはなんぞや?政治家とはなんぞや?これを話し始める前に、まあ、政府には不満はあるが、特定の政党や国を批判と否定するものではない、としておくかのう…。

……いや、これは逃げでござるよ?

今から論理上等で切り込もうというのに、ここで逃げ道を作るのは極悪人でござろう?ワシも悪よのう…(大爆笑)。

では…、無いアタマをフル回転させながら、政治の「建前」と「本音」を1枚ずつ剥ぎ取っていくとしようぞ。

まず、表向きの説明ではのう、政治とは社会を運営するための意思決定の仕組みだ、と言われるのう。

税金をどう使うか、教育をどうするか、福祉をどうするか。…異なる意見を調整しながら社会を滑らかに運営するために存在する、と。

まあ、これは学校の教科書でも教わる綺麗な説明であるな。

しかしである、実際には、政治とは限られた資源の配分を奪い合う仕組み、でもあるな。

予算に、権限に、土地に、仕事。あと補助金、税制。社会の資源は有限だからのう。

例えばの、高齢者支援を増やせば現役世代の負担が増えるのう。防衛費を増やせば別の予算が減るのう。地方を支援すれば都市部の利益が減るのう。とか。

もっと言うとくかの。

環境や規制を厳しくすれば経済活動が滞る、企業の税負担を軽くすれば福祉の財源が細る、とかの。

あとは何ぞ、

未来の投資というか教育、科学技術を急げば、現在の困窮者支援が薄くなる、とか、国内の産業を守ろうとすれば外国との貿易摩擦が起きるとか、のう。

要はの、「あちらを立てれば、こちらが立たず」というゼロサム・ゲーム(トレードオフ)をやっておるのでな。限られた資源の分配で対立するんだのう。

なのでな、誰が利益を得て、誰が負担を引き受けるのかを決める行為。これが現実に一番近いんじゃなかろうか?

そうなると当然、ここから激しい利害対立が始まるわけだのう。

ぼっち、ぼっち、その奥の本音ってやつを暴いていくでござるよ…。ふふふっ、

政治は、いつも理想を語るのう?

平等に、自由。安全に成長に…福祉?うん、これらの言葉、聞かない日ないよのう?

で。その舞台裏というのは、はい、人間集団の主導権争いになっておるのう。

なんでかというとだな、政策を決める権限を持つ人というのは、社会のルールそのものを「変えられる」からだのう。

税率を決め、規制を作り、予算を引っ張る。国民には財源がない、ない、ない、と言いながら、自分たちが使う時には、な、ぜ、か、財源が都合よく出てくる、と。

ドラえもんのポケットって名前何だったかのう?

…4次元ポケットか。

持っておるのだろうのう?あやつらは。…言い方(笑)。

ルールを決める側に回れば、社会全体の力の流れを合法的に変えられる。

だからのう、政治では高尚な理念の議論が行われる一方で、支持基盤、組織、票、資金、影響力を巡る、泥臭ーい競争が、同時に起こるわけだのう。

突き詰めるとだな、政治というものは、しばしば、

「どの集団の価値観を社会の標準にするか」

の戦争をやってるとも言えるのだ。

国家を重視する人々、個人を重視する人々、宗教を重視する人々、経済成長を重視する人々は、必ずしも同じ方向を向いてない。

向くわけないがな、、、まあのう、ザックリ言えばである、全員が「自分が信じる正義のディストピア」を他人に押し付け合っておるわけだ。

なのでな、一見ただの政策論争に見えるものが、実際には

「どの世界観を社会の中心に叩き込むか」

という争いになっていることに気付くであろう?。

SNSも同じであろう?自分の正義を振りかざして認めさせようしておるからな。

まあ、これが、えげつない本音よのう。

税金の話に見えて価値観の話しとるし、教育の話に見えて文化の話だったりもする。移民の話に見えて共同体の境界線の話、もっと言えばの「誰を身内と認め、誰を他人として排除するか」という冷たーい線引きの話だったりもするのう。

要するにのう、すべての議論は「俺たちの陣地を広げるか、奴らの陣地を削るか」という、剥き出しの縄張り争いに行き着くのでござるよ。

ふむ、そういえば、移民もなあ…

日本政府は、公式には「移民政策」という言葉を?あえて使ってはござらんなあ。

「外国人材の受入れ・共生」とか「秩序ある共生社会」みたいなオブラートに包んだ言葉を使っとる。

でものう…..人数を見るとのう、記憶ベースで喋ると本当はダメなのであるが、在留外国人数って去年末で400万人を超えてなかったかのう?

……いやいやいや。もはや一地方都市どころか、主要都市の人口を塗り替える規模ではないか!

これ、もう「ちょっと労働力として来てもらってます」というレベルを完全に超えてござらんか。

普通に「移民的な人口流入」として正面から議論しないと、受け入れる社会の側が追いつかないであろう。

(政府を立てて言えば、)言葉を避けているというより、シビアな制度設計なしに規模だけが移民並みになっている。

と、いうべきでござるかな?この「制度設計の曖昧さ」が、経営で言えば「評価基準がガタガタのまま人だけ増やす暗黒組織」と同じなのでは、ないのかのう。

あのう、「移民の国」と言いますかな、アメリカは建国の歴史そのものが世界中からの移民を受け入れてきた国であるな?

もともと「様々なルーツの人が暮らす国」という「前提」で制度や社会が作られてきたのであろう?。 

だからのう、米国の移民の制度設計は、かなりシビアに作られているのではござらんか。(米国にいる知人との会話と数冊の本の知識なので根拠としては弱いよ、そのうち詳しく調べるよ)

いや 自分で喧嘩売っといて、なんだがな。まあ擁護するとだな、

今の日本で起きてる不満というのはだな、外国人そのものへの反発というよりも、国家としての説明不足というかの、制度設計の曖昧性の不信感の方が大きいのではなかろうか。

問題について正面から議論できておるか?そのデータ、ワシが探せてないだけかのう?

…長くなりそうなので、このデリケートな「移民ネタ」は次の題材にして、そのうち書くことにするとしよう。

まぁ、いや、書くとは言ったがのう。…そのうち政府のケツ持ちが来そうだのう……(笑)

おおっと、また脱線したのう。ワシの脱線もご愛嬌でになったでござるかな?(笑)

で、話を戻すとのう。

政治の本質に近い仮説として、最も身も蓋もない言い方、書き方をすればだな、政治とは、

「暴力を使わずに権力を移動させる仕組み」

とも解釈できるわけであろう。

歴史を振り返れば、あっちらこっちら、意見の違いで戦争、内乱、はい、殺し合いごっこである(苦笑)。

いつの世も戦(いくさ)やのう。飽きずにやるとは人間の性根も変わらんものだのう。3000年 4000年前から進化しとらんのう。

そういうわけであるからな、人間というものははるか昔から、力と力の争いゴトで解決してきておる、ということにしておこうのう。

ただの、ここに来て、民主主義というか今現在は、のう?基本的には選挙、議会、世論を使って、誰が主導権を持つかを決めなきゃいけないわけである。やっとであるな。まあまあ、そう言えぬことも多いがの。

と、いうことはである。選挙とは、

「武器ではなく票で行う、血の流れない権力移転の仕組み」

になっておると、言うことだのう。まあ、これまでのことをザックリ整理するならばだの、

1階層:政治=社会運営
2階層:政治=資源配分
3階層:政治=利害調整と主導権争い
4階層:政治=価値観の主導権争い
5階層:政治=暴力を使わずに権力を移動させる仕組み

みたいなものかのう。(※階層をビジネスやコミュニケーションに置き換えて使うでござるよ)

でだな。多くの政治論争が噛み合わない理由というのが、人によって見ている階層が全く違うからであるのう。

平たく言えばの、ある人は1階層の「政策」の話をしておるのに、別の人は4階層の「価値観」の話をしておる。さらには別の人は5階層の「権力構造」の話をしておる、とかな。

同じ「政治」という言葉を使っておっても、実際には別の階層について語っているからすれ違う。

これはビジネスでも人間関係でも全く同じでの、会話が成立しない時は大抵、この「階層」というものがズレておるのだよ。心当たりござらぬか?(笑)それだけでは無いでござるがなあ。

さて、オブラートには包んでは、みたけれど、ここから先。さらに踏み込んでいくとしようぞ。

人類史、組織論、権力論を考えたときに、見えてくる、もう一つの解釈というものでござるよ。

おさらいでござる。表向きには、平等、自由、愛国心、人権、正義が美しく語られる。

けどのう、人間はまず生きる(生存)必要があるのう?

仕事に、収入に、安全に、所属集団と、でも言っておこうかの。

それらが、脅かされると、多くの人というのは、理念より目先の利益を、優先するものであろう。みんな、現金だからのう(笑)。

つまり、政治とは、

「理念の言語で語られる利益調整という側面が強い。」とも言えるわけである。

人というのは、「正義」を求めているようでいて、結局、自分の「生活を守る選択」をしている場合が多いものよ。

悪いことでは、ござらぬよ。むしろ当然でござろう。

自分が一番カワユイのはワシも含めて。人間だもの。仕方ないでござるよ。

さて、さて。どんどん次に進めていこうぞ。さらに掘ってみるとだな、興味深いことが見えてくるのう。

人はな、統計や数字だけでは動かないのだよ。

どれほど精緻なデータを見せられても、どれほど正しいロジックを並べられても、人間の心は1ミリも燃え上がらんのだよ。理屈で納得はしても、それで命や金を賭けて踊る奴はおらんのだよ。

もし動けるのであるならば、知的レベルが高い人だけであろう。いや、ワシでは無いの。

アタマ良い人の話であるからな?のう…政府の出してる数字、どのくらいの人が見ておるだろうかのう?学者識者は除いてではあるが。

まあ、ほとんど誰も見ておらぬよのう。冷た~いグラフを眺めて「うおおお!」と血が沸き立つ人間なんぞ、この世にそうそうおらん。

ワシも霞が関のPDFを山ほどダウンロード「だけ」はしとるが、すぐ寝落ちするでござるよ。

大前研一先生だったかのう?企業参謀?に「理屈で熱狂できるのは、理がわかっている者だけ」って、書いてあったような、無かったような…すまぬ。忘れた。

ま、いいでござる。

でだな。人が、動きだす(動きたくなる)のは、

「どんな未来になるのか」という物語(ストーリー)が魅せられてときでござるよ。

過去、歴史を見ても、革命、戦争、国家建設、経済改革の多くというのは、それは、それは、また魅力的な物語によって進められていたことが多いことよ。

豊かな未来、失われた栄光、危機からの救済。政治とは、この物語を巡る空中戦とも言えるわけだ。

一般に支配というとだな、軍隊や警察、法律といった物理的な力を想像するけれど、現代社会で最も強い支配というのは、「何が常識かを決める力」でござるよ。

何が善か、何が悪か、何が普通か、何が異常か。

これらを定義する側は、社会の方向をノーリスクで左右できる。

法律を作る前に、「人々の認識そのものを作る」。この影響力は計り知れないものである。

のう?多くの人は、「権力=命令する力」だと思っておる。ある意味では事実である。

けれどのう。実際は、「選択肢を作る力」の方が遥かに強い場合があるでござるよ。

たとえばの、AかBを選べって言われたとき、人は自由「に」選んでいる「ように」感じるの。

けれどのう、そのAとBという選択肢を最初から「用意」した人間は誰か、という視点が必要なのではござらんか。

自由意志で選んでいるように見えて、その実、「用意された枠組み」の中で踊らされているだけ、とかの。(微笑)つまりは、

「常識や選択肢そのものを定義する側が、最強の(見えない・見せない)権力である」

と、いうことなのだよ(笑)。それも、しれっとな。(大笑)

議論のテーマや争点、優先順位を「決める側」に回ることこそが、政治においても最強のポジションでござろう。

冷めた解釈をするとだな、政治とは「大規模な集団を効率よく協力させるための管理技術」とも言えるわけだのう。

国家というものは数千万、数億人を動かさなければならぬが、全員を24時間監視することは不可能でござるからな。まあ、近いことやってるところは…まあ、まあ、まあ。

だからこその、法律、教育、文化、宗教、経済、あとはメディア(笑)を通じて、人々が「自発的にこの社会を維持する状態」をシステムとして作っておるわけだ。

これは陰謀論でもなんでもないの。どの社会でも生きる(生存)ために自然に発生する現象であったし、それがなければ社会が混沌(ケイアース)になるからのう。必要な仕組みでは、ある。

しかしのう、そうなるとだな、一つの「問い」が浮かび上がってくるのう。

「政治は何のために存在するのか?」

はて、学の無い人間の割には、核心に近づいているとは思わぬか?

思わない?…言ってくれるな。まだまだ長いでござるよ。この辺りで休憩でも取っておる方が良いと思うがの。

でのう…政治の目的は、理想論を語れば「人々を幸せにするため」であり、現実論を語れば「社会を維持するため」。まあ、国家レベルで言えば「集団が生き残るため」かの。

人は数十年で人生が終わり死んじゃうけれど、国家や文明は数百年、数千年続くように設計していかねばならぬからのう。

そのためには、政治というものは、しばしば、個人の幸福と集団の存続の間で激しく揺れ続けるわけである。のう?

この緊張関係こそが、政治が、いつの時代も簡単な答えを持たない理由でござろう。

さあ、さあ、さあ、長い、長い、前置きはここまでにして、本題に移ろうかのう。

政治の究極的な本質とはな…

「集団が生き残るために、 “誰を守り、誰に負担させ、誰を外側に置くか”を正当化する仕組み」

なのだよ。

政治は表では「自由」「平等」「安全」「福祉」「人権」といった美しい言葉で語り、ワシら国民を惑わせる。

しかし。最終的にはかなり厳しい「問い」に行き着く。

誰の命を優先するか、誰の財産を守るか、誰から税を毟(むし)り取るか、誰に我慢してもらうか、誰を仲間と見なし、誰を脅威と見なすか…。

ガチの学者さんにツッコミ入れられたら困るけれどのう、昔読んだ本を、ちょい紹介するとだな、

まず政治学者ハロルド・ラスウェルの古典的な定式化というものがあってだな、政治とは「誰が、何を、いつ、どのように得るか」という問いとして整理されておるのだよ。

きれいごと以前に、資源や地位、安全の配分をめぐる営みなのだと。

で、マックス・ウェーバー的に見るとだな、国家とは一定の領域内で「正当な物理的強制力」を独占しようとする存在だ、とも言っておるのよ。

まあ、合法的に暴力を振るっていい特権をだな、政府だけが一人占めしてるってことよ。もっと言うとだな、

ヤクザがみかじめ料を取り立てたら犯罪になるな?でものう、国家が税金を取り立てて、払わない奴の財産を差し押さえるのは『正当な権利』になる。この違いでござるよ。

うーむ、言い過ぎでござろうかな…(苦笑)。

なのでな、政治の背後には、最終的にだ「従わない者にどこまで物理的に強制できるのか」っていう話が横たわってるわけですの(笑)。

突き詰めると「敵と味方を分ける技術」でもあってな。カール・シュミットという学者がの、政治の本質は「友と敵の区別」にあると見抜いた、というか、見てた、というかな。

なのでな、しばしば「誰を仲間に入れて、誰を排除するか」をめぐって狂暴化するのはそのためらしい。

と、なるとだな、政治の本質のひとつの側面としては、集団の「生存不安」を処理する装置なのではないか、とも思っておるのだよ。

いやの、人は常に不安になるよのう。特に今の時代はの。

貧しくなる不安や奪われる不安。壊される不安に社会的に見捨てられる不安とか、自分たちの価値観が消える不安とかな、

まあ、要するにだな、「明日、俺たちはまともに食うていけるのか、とか、ここに居場所はあるのか」という、

恐ろしや、恐ろしや、恐ろしや、というな、恐怖でござるよ。

人はのう、この恐怖に直面したときは、うむ。まず、まともじゃいられなくなるのう。

で、…こういう不安を放置してしまうとの、暴動や内戦、差別や分断に向かうわけよのう。歴史を読んでおってもな。

日本人は、というか最近の日本人は、人がいいからのう。そこまで過激にはならぬやもしれぬが。

だからの。政治というものは、その不安に、すぐ(急いで)名前をつけたがる気がするのだよ。

政治家様様のご愛嬌でござる。

はい。「安全保障」に「社会保障」。「経済成長」に「格差是正」?あとは「治安維持」?

な?

だけどもな。これな、すべて「問い」をひっくり返すとだな、「誰の不安を優先して鎮めるのか」という話になるでござろう?

ここが、政治の生々しいところよのう。

高齢者の不安を優先すれば若者の負担が当然増えるな、労働者の不安を優先すれば企業の自由が制限されるしな、国家の安全を優先すれば個人の自由が狭まるみたいな、な。

「あちらの恐怖を消すために、こちらに我慢を強いる」というトレードオフの押し付け合いでござるよ。

誰かの安心は、常に他の誰かの犠牲の上にしか成り立たんという冷たい現実が、ここにあるからのう。

当たり前である。

だからの、政治とは、全員を幸せにする魔法ではなく…、そんなことは最近の小学生でもわかるであろうが…ちなみにワシは20過ぎてから分かったからのう!(大爆笑)

で。「全員を同時には救えない現実の中で、どの痛みを正当化するかを決める行為」と言えるわけだのう。

残酷よのう?理想を語っておきながら、実際には「犠牲の配分」をしておる。

表の顔は輝かしい、それは、それは、美しく、そして 甘〜い「未来をつくること」。裏の顔は「痛みを誰に引き受けさせるかを決めること」。怖いのう。

まるで、奴隷たちを殺し合わせる残酷な闘技場を、「パンとサーカス」という極上の娯楽に仕立て上げて大衆を熱狂させる、古代の権力者のようではないかあ。

その痛みを、社会が納得できる物語に変換すること。まっっっこと恐ろしいちや。

だから政治家に必要なのは政策知識だけで務まらぬのだろう、のう。

人々が何を恐れ、何を奪われたと感じ、誰を敵だと思いたがっているのか、そしてどんな物語なら負担を受け入れるのか、

という「大衆の心理を読む力」。女ったらしのハゲ頭。…カエサル様を思い出すのう(笑)

…いやー、こんなこと書いておると、政治家さんのケツ持ちに消されそうだのう〜。あはっはっはっはっ。この程度では来ないでござるな…。

政治とはな、集団が崩壊しないように、人々の不安、利益、敵意、犠牲を配分して、それを正当な物語に変える技術である。

つまり、洗脳ござるよ。

ここでまた、韓非子先生に登場していただこう。

古代中国にはの、「堯(ぎょう)」や「舜(しゅん)」といった、優れた人格で徳を以て国を治める理想的な聖人君主がいたのですよ。

だけども、韓非子は、「そんな優れた個人がいなくなったら一発で国が詰む(崩壊する)よね?」と冷徹に見抜いておった。

人間なんてそんな立派なもんじゃないだろ、と。だからこそ、お互いを「法(システム)」というマシーンで縛り合って、誰がトップになっても自動で組織が回る仕組み(法治国家)を選んだというか、提言してるわけでござるよ。

まあ、その流れの果てにあるのが、今の現代の日本の姿でもあるがの。一応、法治国家だし…。

韓非子の思想はの、「人は信じない。基本、自分の利益で動く弱き悪である」という、いわゆる「性悪説」の認識に立っておってな、

なんだかんだ言って人間の歴史というものは、「戦いの歴史」であり、「権力の歴史」であり、「支配の歴史」なのでござるよ。

なんじぇんねん(何千年)も前からの。(笑)

そろそろ、前回の「問い」。「善」とは何か、を語ろうかの。

世の中の善悪や常識なんていうものは、その時代の権力を持った者が、都合よくオブラートに包んで定義したシステムに過ぎないのだよ。

世の中に最初から決まった善も悪もござらん。勝って支配したものが「善」にするのが歴史のリアルであろうよ。

…なんだとっ!「善」の答えになっておらぬと?

この世に「善」なんぞあるか!

もし「善」であることを「善」であるとするならば、それは倫理学において「同義語反復(トートロジー)」や「定義の問題」という非常に深い哲学的な問いになるのう。

赤でも、青でも何色でいいのだがな、では「黄色とは何か」は、見れば分かるが説明はできぬであろう?

「赤とは何か」を「リンゴの色だよ」と説明してもだな、今度は「じゃあリンゴの色って何?」となるだけで、結局は「見れば分かる(直感するしかない)」という結論に行き着くからのう。

善も「直感的に知るしかないもの」になるではないか。

ではの、もし、「善=快楽」や「善=進化」と定義したとするならば?「快楽は本当に善なのか?」という問いが常に残るであろう?

では。「悪(不当な行為)」は定義を何とするのだ?

「例外的に善(正当)となる状況はあるのか」という問いは、時代や状況によってかわるであろう。

殺人を絶対的な悪とするならば、 結果がどうあれ、行為そのものが不正であろう。

人間を「手段」ではなく「目的」として扱うべきだからだのう。例外?例外を認めてしまうと論理が破綻するんで、ないのう。

では、マイケル・サンデル先生の本に書かれてた「功利主義」という概念では、どうであろうかな?

ワシの投稿を見ている人は覚えているかもしれぬが、去年、投稿で、若干サンデル先生に喧嘩売ってござったな。(笑)

まあ、ざっくり言うとだの、行為がもたらす結果(幸福の総量)で善悪を判断しようという話であろう。

ふつうはの、殺人というものは、被害者や遺族に最大の苦痛を 与えるため「悪」である。なのであるが、

「1人を殺せば100万人が助かる」状況では、例外的に「善(正当)」とされる余地は残るであろう?

殺人が「悪」であるという結論自体は共通してもだな、その根拠をどこに置くかで結論の出し方が変わるものであるということであろう。

違う(異なる)角度から見るとだな、法律には「殺人=悪」という道徳的な言葉は書かれておらぬな?

なぜかというと「悪」という言葉の曖昧さを避けるためであろう。

そもそもである、善悪の基準というものは、宗教、時代、個人…..、まあ、その他いろいろ価値観というものは変わるものでござろう。

法律に「悪」と書いてしまうとだな、裁判官の主観で判決が変わってしまう。

もし「悪(主観)」を基準にしたら、それこそ「ひろゆき」の言う通り「それってあなたの感想ですよね」で罪の重さが変わってしまうではないか。

なのでな、主観を排除した「客観的な事実と刑罰」だけを記述するのであろう。

法律が「社会の維持という目的(道具)」のために事実を規定しているのに対して、

「善の善たるもの」とは、何かの目的のための道具ではなく、それ自体が無条件に価値を持つものであろうからなあ。

そもそも、前回、「カエルの毒と偏見を持って 善人を語るのも一興。」と自分で振っておいて何なのだが、知性も教養もない高卒の毒カエルが答えを出せるわけ無かろうぞ!

…というのでは話がおかしくなるのでな、カエルの思う「善」とは何ぞ?

それは他人に委ねるものではなく、あなたが自分で決めるべきものでござるよ。

自分が信じる道が「善」であるならば、それは裏を返せば、対立する相手にとっては絶対の「悪」になろう。

正義の答え合わせなんて、ワシらが生きてる間にはできやせん。

我々が明治維新を評するように。

日本の未来のために、暗殺や戦争に命を投じた過激派の若者武士たち。2つの顔「英雄」か「テロリスト」か。あなたの善悪はどうであろうかな?

100年後の未来から見たとき、ワシらはどう見えるであろうな?100年後、200年後の未来の子たちが、歴史の教科書を見て勝手に判断することになるでござろう。

あなたの立つべきところは、現代で言う「幕末の志士側」であろうか、それとも「幕府側」であろうか。どちらが善で、どちらが悪でもない。

どちらも「正義」であり、どちらも「悪」でござろう。

心思うままに自分の道を行けばよいのだ。所詮、人間の歴史など「戦」の歴史。分かり合えることなどない。

今は血が流れない「見えぬ戦い」をしてるだけなのだ。

世間一般で言う善とは、誰かの手、あるいは利する者が認知させた夢幻であり、洗脳に過ぎやせん。

では、洗脳は「悪」であるか?それも悪とも言えないよのう。もし規律なき価値観のままであれば、社会は混沌…ケイアースになるであろうからな。

なにをもって、「善」とするかは、あなたが決め、他人(ひと)の行いを「善」と思うなら喜んで従えばよい。「悪」と思うなら、あなたの判断で、変えていけばよいであろう。

…で、善悪は自分で決めるものだ、と、「今」、言ったな。

では、現代日本政府に「自分の善」を表明する唯一の武器は何でござるかな?……そう、選挙の1票でござるよ。

なのに。

日本って選挙投票率低すぎやしないかのう?

彼氏や奥さんとは別れることができるよのう。会社も辞められるし、契約を終わらせることもできるよのう。

あるいは、よく「親ガチャ」という言葉も「上司ガチャ」という言葉もあるのう。

平たく言えばである、自分の力ではどうにもできない環境への諦めなのだろうが…まあ、これは言い訳として、まだ良かろう。

ただのう。選挙の1票はガチャではなかろう?

「自分が投票したって何も変わらない」、それは事実かもしれないのう。そう思う人が100万人、200万人、、、、………。

ならば放棄したあなたに問おう。

今からこの俺に従え。反論することは一切許さない。なぜならばお前は、「私に従わない」という主張(投票権)を放棄したのだから。

従わないという主張を放棄したならば、従うのが善であろう?

人間の世界にはグレーゾーンがあるが、政治の選挙の世界にはグレーゾーンはないぞ?

イエスかノーを叩きつける選択肢しか与えられてないではないか!

にもかかわらず、選択権を放棄したあなたに、後から文句を言う権利などない。そうであろう?

今、選挙時期ではないけどのう。

わかってるでござるか?

ひらたく言えばのう、選挙とは「誰の権力に従うか」を自分で選ぶ行為でござるよ?

……あなたの一票で「社会がハッピーに変わる」なんて甘いおとぎ話は止めるでござるよ。

バカで、アホで、クソで、バカタレのフレーズはもう、や、め、る、でござるよ。

あなたが入れるその一票は、

「自分は、誰の価値観、誰の正義に、従、わ、さ、れ、る、の、か」

を選ぶ行為なのでござるよ。自分がどの正義に従わされるか、どの痛みを受け入れるかを選ぶ行為なのでござるよ?

自分が、

「どの正義の奴隷になるか」、「どの犠牲を引き受けるか」

を選ぶ、血みどろの「意思決定(意思表示)」でござるよ?

「社会を良くするための清き一票~」っていう綺麗事を跡形もなく爆破したでござるからな?

民主主義、主権者、当事者の世界では、席を立つことは「敗北」を意味するでござるよ。

選挙を放棄して席を立ちながら、社会に文句を言うのはダサいでござるよ。

票を投じることでしか意思表示できないのでござるよ?(もしくは立候補する)

外野(傍観者:投票しない)のくせに、デカい面してるヤツ多いでござらんか?

決定権をドブに捨てておきながら、結果に文句を言うなでござるなよ!

ちょっと、話脱線するがの、「給料上がらん、上がらん」って言っとる人多いけどのう…

社長に面と面向かって「給料あげろや、ああ?(いや、言い方は真似するなでござるよ)」って言っておるのだよな?

言ってなくて「上がる」と思ってるでござるか?

…ウチはMQだったから関係ないでござるが、はっきり言っておくと、たぶん、無いでござるよ。たぶんでござるよ、たぶん。無いでござるよ。少なくとも下界は…

いや、産屋敷耀哉に匹敵するお方であるならば、自ら施しを…、

いや、鬼殺隊は階級制であったか。悪い悪い、笑いを取ろうと思ったが、無理でござった。すまぬな。

話を戻すとだな、

日本人の多くはあまりに無関心ではござらんか?それでいて裏で文句だけブースカ言うのは、ちょっと筋違いでござろう?

国家からは逃げられぬのだぞ。おかしなものですのう、罪は犯しても軽くなることはあれ、税金は軽くなることはなく、むしろ死ぬまで追いかけてくるのだぞ?

国家にとっては、個人の犯罪よりも「税金をむしり取ること」のほうが遥かに重要だということなのですのう(笑)。

まあ、まあ、まあ、まあ、国家存続のためだ。その徴収(納税の義務)までは良しとしようぞ。

もしである、今の政治家の行いが、「気に食わない」というのであれば、歪んだ価値観を持つ者を政治家として「押し上げてしまった」国民の責任でもあるのだぞ。

まあ、もっとも選挙の時に言っとることと、上に上がってやっとることが全く違うことは多々あるがのう。政治家さんよ?

さて。今の政府はどんな価値観で、誰の利害をワシらに埋め込もうとしているのでござろうな?

国民は無関心でいる場合じゃないのでござらぬか。

「誰に従わされるか」

を血眼になって見極めないと、100年先の日本はとんでもない場所になってるかも知れないでござるよ。

さて、最後の帰結に至るとしようぞ。長ったらしく書いてきたが、あなたが持ち帰るのは以下の言葉だけで良い。

政治とは、集団が崩壊しないように、人々の不安・利益・敵意・犠牲を配分し、それを正当な物語に変える技術である。

以前、カエサルとともに塩野七生先生をご紹介したの。

権力そのものが悪いのではなく、

「自分がリーダーであるという自覚とか、大目的のために権力を使うという責任感」

を持たない未熟な人間がそれを手にした瞬間に、権力は腐敗して悪に変わる、と。

あなたは、

「自分は、誰の価値観、誰の正義に、従、わ、さ、れ、る、の、か」

という小さな権力のワンピースを持っている。グランドラインを制覇できる器は誰であろうな。

「善」とは夢幻。これからの「善」は何になる(常識になる)であろうかな。

それは「善」であろうかな。……決めるのは、あなたでござるよ。

あなたの「善」が「善」あるとよろしいな。

日本を、よろしく頼むでござるよ。



余談

今回の政治の定義を経営にスライドさせてみようぞ。

経営とは、組織が崩壊しないように、人々の不安・利益・敵意・犠牲を配分し、それを正当な物語に変える技術である。

……ふむ。「敵意」って言葉は経営にそのまま入れると少し攻撃的になるのう。

社内政治、派閥、競合、顧客との緊張関係まで含めるなら成立するけどのう。

ふつうの経営定義としては「対立」「不満」「葛藤」くらいにしときますかな。

経営とは、組織が崩壊しないように、人々の不安・利益・対立・犠牲を配分し、それを未来への納得感に変える技術である。

あはっ、今度は優しすぎるやもな。そうだのう……、

経営とは、組織を存続させるために、誰に報い、誰に我慢させ、誰を残し、誰を外すかを決め、その判断を正当な物語に変える技術である。

ふふふっ、ワシが悪人面に見えて来たであろう?

そうでござるよ。ワシは悪人でござるよ。

綺麗事で、対処できるほどの器量も度量も技量も度胸も才覚も、器も、持ち合わせておらぬのでな。

最後に、上から目線のアドバイスでお別れとしようぞ。

経営者(あるいは政治家)が、綺麗事を言い出したら、さっさと逃げ出した方がいいでござるよ(笑)きっと。



余談の余談。

しかし、人はすぐ 猫をかぶる(化ける)のう。

女は化粧した時の顔が本当の顔として、半目にして、多めに見てやるのが男の勤めだとしても、

政治家を見るときは、半目にするのではなく、「両目を皿のようにして、化けの皮の下にある性根を見定める」のが、有権者の勤めというもの。

プライベートの男女の化かし合いなら「粋な大人の配慮」や「愛嬌」で済むが、政治家が被っている猫は、往々にして「大衆の集票マシーン」か「利権の隠れみの」であろう。多めに見てやる義理は一ミリもないでござるよ。

政治家は言葉巧みに理想を語るがのう、それはすべて「化粧」でござるよ。

本当の顔は、言葉ではなく「どこにお金を配分したか(予算案)」と「いざという時にどう動いたか(決議・行動)」にしか現れぬ。

 どんなに「弱者の味方」と化粧しておっても、実際の増税や規制緩和の賛否を見れば、誰に生殺与奪の権を握られているかが一発で分かるであろうからな。

政治家の発言もSNSの発信も、はすべて「ポジショニング」。

頭の中に差し込むべきは、「この政策が通った時、裏で一番笑い、最も強固な利益を得るのは誰か?」である。

もう一つ追加してよいなら、「何のためだろう?」である。「なぜ?」でも良いが「何のため?誰のため?」を「推す」でござるよ。

この問いを常に立てることで、彼らが被っている猫の正体(背後の利権団体や支持母体)が透けて見えよう?

平たく言えば、「何を言ったか」ではなく「誰が得をするか」を逆算しようぞ。

もっと嫌な言い方をするならのう。平穏な時の答弁やSNSでの発信というものは、すべて優秀なアドバイザーが書いた「台本」だ。(ま、本人かもしれんけどな)

しかしである、不祥事が起きた時、あるいは想定外の危機(災害や経済危機)に直面した時の「初動のスピード」と「責任の取り方」には、隠しようのないその人間の地金(素顔)と言うか 性根と言うか、「本人」が出るものよのう。

女性の化粧を半目で見るのは「優しさ」や「遊び心」であるが、

政治家の化粧を半目で見るのは単なる「思考放棄」であり、カモにされるでござるよ。

大人の作法とは、彼らを「独立した利害関係者」として、エニウェア(どこまでも)ドライに。に品定めし、契約(一票)に見合う成果を出すかどうかを監視するでござるよ。

政治家を「偉い人」として見上げるのではなくな、「自分たちの税金で雇うエージェント(代理人)」として見ればの、むしろ雇い主のような目線で厳しく品定めしてやろうぞ?

国民の1票を契約(その考え方に支持)と考えるのであればの、国会に行った途端、発言や態度を変えるのは、

「契約不履行」というか「契約違反」。というか「債務不履行」のような気がするけどのう?

もちろんの、政治家が当選後にマニフェスト(公約)を変える行為は、法律上の「契約違反」や「詐欺罪」には問われないことはわかっておる。(詳しい訳では無いがの)

政治家と有権者の関係というのは、法的な縛りがある「ビジネスの契約」ではなく、信頼に基づく「政治的・道義的な約束」と解釈されるためであるからの。

まあ、最初から騙す意図があったと証明できない限り無理だろうのう。

それにである、 コロコロ変わってしまう背景もわかる。

災害、不況、国際情勢の悪化などで財源や方針を状況の変化で変えざるを得ないであろうし、

あとは、妥協の必要性というやつかの。議会で過半数を持たない場合などには、他党と妥協して公約を修正せざるを得ないのもわかる。

当選することだけを目的に、最初から実現不可能な公約を掲げていた実現性の低い公約も、甘いお言葉に包むこともチラホラお見受けする時があるがのう。

ということは、である。

法的な罰則がない以上、不誠実な政治家を処分できるのは有権者の落選させるしかないのでござるよ。

まま地方自治体の首長や議員であればの、任期途中でもクビにするリコール(解職請求)の手続きはあるがし。

あとは何ぞ?事務所への直接抗議、パブリックコメントを通じて監視の目を光らせていくしかないのう。

まあ、そうは言ってもだな。元とはいえ経営者のはしくれとして、見える景色の違いだけは理解しておるつもりだ。

経営者が見る景色と、一番下の階層から見る景色は、どうしても食い違うものだからのう。

視座の違いは痛いほど分かっておる。

まあ、一国の首相クラスにまでなれば、各国の複雑な利害調整やら何やら、我々の想像を絶する気苦労もあるのだろうのう。見える景色が違うというのは、きっとそういうことでござるな(知らんけどの)。

…のう。分かるんだけどのう、選挙の時に言ってることと、国会に上がってやってることが、あまりにも違うと、のう?

1票を投じた有権者の立場からすればだな、「話が違う」「騙された」と怒りを感じるのは当然の心理であろう。

信頼の裏切りというかの。 期待して投じた1票。費やした時間が、当選後に無価値にされたように「は」感じるのう。

「票」という政治権力の源を与えたにもかかわらず、約束された「政策」が返ってこない不条理さがあるのう。

難しい言葉を使うとするならば、対価の不均衡というやつでござるよ!

ただの、検証の難しさはあるよのう。

方針転換が「やむを得ない事情」なのか「最初からの嘘」なのか、有権者には見分けがつきにくいのう。

疑うわけではござらぬが、そう見える時もおおいでござるよ。

なぜ方針を変えたのか、納得のいく説明(アカウンタビリティ)を果たしているかどうかを次の評価軸にしたり、

単に「やる・やらない」の言葉だけでなくな、その政策の財源とか具体的なロードマップとかが示されるというかな、「結果」ではなく「姿勢」を確認するというか、なんぞ?プロセスを監視するAIがあっても良さそうだのう…

政府ではなく日本国民にもClaude Mythos貸してほしいのう。国家権力で消されるでござるかな…

ただの!、やはり国民と政治が遠いでござるな。

上でも書いたでござるが、要するに「自分事」になって無いのでござるよ。ほんとうに他人事(ひとごと)である。

有権者(ワシら)が「おかしい」と声を上げ続けての、おかしな裏切り方をした政治家を、

次の選挙でちゃぁぁぁん(きちんと)と、「落選させる」社会(国民の空気)にすることこそが、この仕組みにおける唯一のブレーキでござるよ。国民一人一人が自覚する必要があるでござるよ。

しかし、アメリカの選挙の空気はええのう。

いや、アメリカの、あの絶対的な権力を持つ大統領制そのものが「良い」と言っておるわけではござらんよ?

選ばれた大統領の一手で、明日から全てが「即」変わってしまう世界だ。当然、取り返しのつかないマイナスの側面もあるからのう。

ただのう、向こうの政治というか、選挙というかの。国民にとっては文字通りの死活問題になりおる。つまりな「完全な自分事」になっておるよな。

「盛り上がる」と言うと誤解を招きそうだが、何というのかのう。

有権者が国の舵取りを「自分で選択している」あの手触りには、少々憧れるものでござるな。

それに引き換え、我が国はなんだかなのう……。 いまだに選挙カーの上から中身のない甘い「戯言(ざれごと)」をがなり立てて、有権者に手を振って…。

どうせなら、お互いのドス黒い本音をぶつけ合うような、ガチガチのディベートバトルでも見せて欲しいものでござるなあ。

「完全なガチンコ即興」でな、マニュアル回答したりの、はぐらかしたりしたら、一瞬でネットに拡散されて政治生命が終わる、とかマジで憧れるのう…

それにのう。世界のデファクトスタンダードの会計とディベートを学生時代に強制しない政府に憤りを感じるのう。

気持ちもわからぬでもないがのう。国民の知的レベルが上がれば、真っ向から批判されるからのう…

騙されないための大人の作法は、自ら学んでおくでござるよ。

最後に、ワシもSNSに乗っかろうかのう。炎上覚悟で言いますが〜(笑)、

「綺麗事を語る奴こそが一番の偽善者」

だと思ってるでござるよ。あはっ(笑)

こんなことを書くとのう、反論や批判、反発が飛んでくるのは百も承知でござるよ。

幸い、この投稿はクライアントさんと自分の備忘録のために書いておるのでな。

コメント欄はハナから拒否っておるし、Xに投稿しようものなら…面倒くさい。あそこでいちいち反論に付き合うほど、ワシも暇ではないしの。

とはいえだな、アタマの体操がてら、飛んできそうな反論への「言い返し」でも、裏でこっそり準備しとくかのう。

まずのう、ワシが「政治=洗脳」とか「常識を定義する側が最強の権力」とエンタメがてらに言ってはみたものの、

フツーに考えてだな、「おい、それはお前も同じだろ」という特大のブーメランが当然のように飛んでくるの。

「お前自身も読者に「選挙の本質はこうだ」という認識を植え付けようとしておるではないか!」と。

まあ、確かに。

この自己矛盾を突かれると、少し痛いのう。 「善悪は勝者が決める」っていうのも同様だのう。

「ならばお前の主張する善も、お前が勝者になって読者を支配したいだけでは?」と返されたら?

ぐうの音も出んなあ。支配する気もないけど。むしろ嫌であるぞ。面倒くさいからのう。

ただのう、まあ、SNSでは、こういう感情的な反発はソッコーで来るだろうのう。

「投票できない事情がある人はどうするんだ!」「選択肢が全部悪だったらどうすんだ!」「白票の持つ意味は!」みたいなの。

という具体的なクレームは、確実に、届くだろうのう。 「投票しない人への攻撃が強すぎるんじゃねえか!」っていう批判は100%来る。

本文の最初で先手を打って「戯れ言だと思って聞いてくだされ」とは書いたけども、「じゃあ書くな」「学歴のない高卒が政治を語るなよ」って、発言者の権威や資格への人格攻撃もフツーに来るだろうのう。

ま、権威も資格もさっぱり持っておらんのでな。痛くも痒くもない。だって、持って「無い」もん。

Xに投稿しないとは言ったものの、

もし、Xに投稿したとするならば、感情論(的)の反発ってどのくらいくるのだろうのう。5割くらい来ますかな?ふむ。感情論2割で、6割ガチガチロジックであったらよいな。…いや面倒だからポストはしないがの。

あとはなんだろうのう、こんだけの偉そうに分析というか批判しておきながら、自分は「下界で納税するだけ、納税するだけで何も行動していないって逃げてるよな!」って。

最初から「逃げでござるよ」って言い訳を言ってても、のう。来るだろうのう(笑)

あとは。他人に「当事者になれ、外野で文句を言うな」、と煽っておきながらよ、分析だけして自分は何一つ行動しないお前こそが、一番の傍観者(ダサい外野)ではないのかよ?

……と、いわれると。この指摘は、本文の論理と矛盾してるから鋭い批判だと言える。うむ、弁明の余地がないのう。

「で、あなた(お前)は何をしているのか?」ってのが、一番刺さるのう…

...うーん、もし「政治家に出ない」んだったら、この反論をひっくり返すのは、ロジックとしてはかなり苦しいかのう……。

まあ、逆に言えばである、

このレベルの鋭い批判を、真正面から、軽々とひっくり返せるだけのロジックと器量を手に入れたら……ひっくり返せるようになったら、政治家に立候補しようかの!

この程度をひっくり返せなければ、上にいる辣腕の諸先輩の方々には逆立ちしたって勝てぬであろうからな。どのくらいかかることやら。

いやはや、「反論の反論」を考えることも、難しいものよのう。

自来也先生みたいに仙人モード使えるように修行に行かねば。…妙木山(みょうぼくざん)ってどこにあるのでござるかな?

ああ、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」でもいいけどの。じっくり修行ができそうだしのう(笑)。

冗談でござるよ。そんな器ではござらんよ。むしろ、

「そうでござるよ、ワシも特大のブーメランを自覚しながら、あなた(お前ら)の脳みそにこの視点を埋め込もうとしている、えげつない確信犯(悪人)の1人でござるよ!」

と、でも言っておこうかの。自由気ままが性に合ってるでの。

ここまで、2万字は無かったと思うがよく読んでくれたと思う。感謝でござるよ。

大した内容ではござらんのに、あなたの大切な「可処分時間」を使わせたな。謝るとしよう。すまぬなあ。

最後の最後、長ったらしい余談まで、読んでいただけたということは、あなたが「持ち帰る言葉」はもう忘れておろう?

もう一度だけ、あの言葉をお伝えしてお別れでござるよ。

政治とは、集団が崩壊しないように、人々の不安・利益・敵意・犠牲を配分し、それを正当な物語に変える技術である。

権力そのものが悪いのではなく、「自分がリーダーであるという自覚とか、大目的のために権力を使うという責任感」を持たない未熟な人間がそれを手にした瞬間に、権力は腐敗して悪に変わる、と。

あなたは、「自分は、誰の価値観、誰の正義に、従、わ、さ、れ、る、の、か」という「ワンピース」を持っている。

次の選挙。曇りなき眼(まなこ)で、次代を担う「器」を見極めようぞ。

ワシみたいな悪人の戯れ言に、ここまで付き合ってくれた、あなたの「善」なる「意思」と「意志」をもってな。



もし、本当に浄土の世界から、死者を呼べるとするならば…

誰ぞ?

ワシなら…「韓非子」様を呼び出して、この現代の「制度の再設計」を肴に、美味い酒を一杯酌み交わしたいものでござるな。

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