母は、ほんの少し目を離した隙に、息を引き取っていた。
振り返ると、母は笑顔だった。
穏やかな、安らかな顔をしていた。
「ああ、逝ったんだ」
私は、そう思った。
担当医師を電話で呼んだ。
時計を見ると、夜中の1時を過ぎていた。
医師が来るまでの間、私は母のそばに座っていた。
心は、フラットだった。
泣くこともなかった。
ただ、「笑顔で逝けて良かった」とは思った。
そして、「終わったんだ」と、繰り返し思った。
医師が到着し、死亡診断書を書き終えると、私はコンビニにコピーをしに行った。
夜中の静かなコンビニで、一人、死亡診断書をコピーする。
その光景が、妙に現実離れして感じた。
家に戻ると、訪問看護師さんがエンジェルケアをするために来ていた。
すべてが、淡々と進んでいった。
母の体を清め、着替えさせ、整える。
訪問看護師さんは優しく丁寧に、母に声をかけながらケアをしてくれた。
私は、その様子をただ、見ていた。
葬儀が終わり、家に戻った。
静かだった。
あまりにも静かで、耳が痛くなるほどだった。
母の声も、物音も、何もない。
ただ、静寂だけがあった。
母の介護をしていた数年間、私の生活は「母」を中心に回っていた。
朝起きたら、母の様子を確認する。
食事を作り、着替えを手伝い、トイレに付き添う。
せん妄が出れば、一緒にその世界を楽しむ。
私の一日は、すべて母のためにあった。
私は「介護者」だった。
それが、私のアイデンティティだった。
でも、母が亡くなったあと、私は何者でもなくなった。
朝起きても、母はもういない。
食事を作る必要もない。
トイレに付き添うこともない。
やることが、何もなくなった。
私は、何をすればいいのかわからなくなった。
「これで、自由になれる」
そう思っていた。
介護が終わったら、自分の時間が戻ってくる。
好きなことができる。
自分の人生を生きられる。
そう思っていたのに、いざ自由になってみると、何をしたいのかわからなくなった。
友人に誘われて、久しぶりに外出した。
でも、楽しくなかった。
会話に入ろうとしても、言葉が出てこなかった。
「介護、大変だったね」と言われて、笑って返した。
でも、心の中では、何も感じていなかった。
家に帰ると、また静寂が待っていた。
テレビをつけても、何も頭に入ってこなかった。
母がいた頃は、こんなに時間が長く感じることはなかった。
やることがあった。
役割があった。
でも、今は何もない。
私は、介護をしている間、「母の介護者」として生きていた。
それが、私の存在意義だった。
でも、母がいなくなったあと、私は何者でもなくなった。
「介護者」という役割を失った私は、ただの空っぽの人間だった。
ある日、ふと思った。
「私は、自分の人生を生きていなかったのかもしれない」
母の介護をしている間、私は「母のために生きていた」。
自分のために生きることを、忘れていた。
いや、正確には、「自分のために生きる」ということが、何なのかわからなくなっていた。
介護が終わったあと、私は喪失感に襲われた。
母を失った喪失感じゃない。
「自分を失った」喪失感だった。
介護をしている間、私は「母の介護者」として存在していた。
でも、母がいなくなったあと、私は何者でもなくなった。
しばらくの間、私は何もできなかった。
ただ、毎日を過ごすだけで精一杯だった。
「何かしなきゃ」と思うのに、何をしたらいいのかわからなかった。
でも、ある日、ふと気づいた。
「私は、もう一度、自分を作り直せばいいんだ」
介護者としての私は、終わった。
でも、それは終わりじゃない。
それは、新しい始まりだった。
母がいなくなったあと、私は何者でもなくなった。
でも、それは悪いことじゃなかった。
「何者でもない」ということは、「何者にでもなれる」ということだった。
今、私は少しずつ、自分を取り戻している。
介護者としてではなく、一人の人間として。
母のためではなく、自分のために。
まだ、何者になりたいのか、はっきりとはわからない。
でも、それでいいと思う。
介護が終わったあと、何者でもなくなった。
でも、それは新しいスタートだった。
私は、もう一度、自分の人生を生きていく
介護は、誰にでも訪れる可能性のあることです。
でも、その時に「どう考えるか」で、心の持ちようは大きく変わります。
私は母の在宅介護を経験しました。
脳梗塞、右半身麻痺、そしてせん妄。
その中で学んだのは、介護は技術じゃなく、関係性だということ。
そして、正しさで壊れる前に、自分を守る選択をしていいということでした。