ザクロを見て思い浮かべること

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皆様、こんばんは。
お元気にしていますでしょうか?

8月6日にブログの更新をしたかったのですが、時間がなく出来なかったため、今日になりました。

8月6日は広島に原爆が落ちた日です。
自分自身は気持ちばかりではありますが、十代の頃から黙禱を捧げるようにしています。

黙禱をすると、いつも原爆が落ちてくる瞬間の映像が頭に流れます。
原爆が落ちてきた瞬間、辺りは真っ暗になり、その後は多くの痛めつけられた方の姿が思い浮かんできます。

その姿は痛々しく、真っ赤な姿です。
自分が思い浮かべる原爆で傷つけられた方々の姿は、ザクロを割った姿に似ています。
ザクロをより赤黒くしたような、そんな感覚です。

黙禱をしているときは、心があの時代に飛んでいるように思います。
ただ、それはあくまでただの映像であり、自分自身は、死んだ方々を救うことも何もできません。

いつも黙禱をした後は、切ない気持ちになります。
ただただ、自分だけが平和な時代に生きていることが申し訳なく思えます。

もしも、自分自身が原爆で死んだ人間ならば、未来の人間に想いを馳せてもらえる事は嬉しいことだと思います。
死んだ人達にとっては、自分自身を知ってもらえることが一番救われるのではないかと思うことがあります。

ですので、なるべく多くの死んだ方々を知って、忘れないようにしています。
自分にはそれしか出来ることがありません。
全体の数だけを見るのではなく、それぞれ個人を知ることが大事なのではないかと感じます。

あの人達の苦しみや痛みに共感し、死を忘れない、無駄にしないために何が出来るのか考えるばかりです。

感覚的には、心の中でその人達と一緒に生きている感覚です。
苦しんで死んだ方々を救うことは出来ないのですが、忘れないことなら自分にも出来ます。
自分自身はそんな気持ちで、戦争で死んでいった方々と向き合っています。

8月9日は、長崎に原爆が落ちた日です。
そして、8月15日に戦争が終わりました。

終戦記念日という言葉は好きではありません。
自分にとっては全く記念日とは言いがたいものです。

この日を迎えるまでに、どれだけの方々が命を落としていったのか。
そう考えると、記念日という言葉は使いたくはありません。

死んでしまったら、もう何をすることも出来ません。
こうして今、文章が書けているのもありがたいことだと思います。

今でも忘れられないのですが、ある特攻隊員の方は小さな紙に小さく小さく文字を書き詰めていました。
驚くほど小さな文字です。

あの時代は、紙も自由に使えるものではありませんでした。
小さな紙に多くの文字を残したいという気持ちが痛いほど伝わってきて、本当に心が痛くなったことがありました。
そういう人たちが居たということを決して忘れたくありません。

日々を生きていると、当たり前のありがたさに気付けないものですが、一つ一つのことに感謝して生き続けたいと感じます。
皆様もどうかより良い日を過ごせていますように。

皆様の心にも寄り添って生きていけたら良いなと思うばかりです。
同じ時代に生きる仲間として、一緒に今日も明日も頑張って生きていけたら嬉しいです。

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