ホワハラが話題だとか
「ホワハラ」という言葉が注目されているとテレビで報道されていました。
ホワハラ=ホワイトハラスメント
ホワイトハラスメントとは
上司が部下に対し、残業の禁止や重要な仕事を与えないなどの「過剰な配慮」を行い、成長機会ややりがいを奪う行為
だそうです。
優しくなくてもダメ
優しくし過ぎてもダメ
じゃあ、どうしたらいいの?
こういう話になっているのですが、ニュースなどを見ても、これに対する適切な考え方が説明されていません。
でも、このコメントに答えが隠されています。
本当はダメではない
本当は、
優しくなくてもダメではないし、
優しくてもダメではない。
これが正解です。
「相手にこうしてほしい」
「好きにしてもいいけど、これだけはやめてほしい」
といった願いは誰もが持ちます。
しかし、その願いがかなわないことがあります。
そのとき、相手に「やめて」と言えない。
これが日本文化の特徴です。
「こうしてほしい」
と相手に伝えるのが当然の社会になれば、ハラスメントへの恐怖心はなくなります。
どうして言えないの?
どうして「やめて」と言えないか。
それは、「空気」を壊すのが怖いからです。
だから、言いたいことがあっても言わないで我慢します。
そうすると、だんだん心理的ストレスが高まってきて我慢しにくくなり、
「実は先輩からホワハラされててさあ」
と陰で愚痴を言うことになります。
そして、こう思います。
「なんでわかってくれないんだろうなあ」
ここです。わかってもらえないことを他人のせいする文化。
これはもはや最悪の文化だと私は思います。
言わないでも気持ちを察するのが素晴らしいという文化
日本社会では、人の気持ちを察しないことをひどく軽蔑します。
「空気が読めない人」
と言う言葉がありますね。
これに類似の言葉がたくさんあります。
空気を読めない人
鈍感
察しが悪い
気が利かない
配慮が足りない
デリカシーがない
浮いている
話が合わない
裏を返せば、
敏感で、
察しが良くて、
気が利いて、
配慮ができて、
デリカシーがあって、
浮くことがなく、
話が合う人
こういう人を素晴らしい人だと思っているのです。
そして、多くの人が「空気を読める人にならなければならない」と一生懸命、努力しています。
そうしたいから努力しているのではありません。
そうしないとバカにされるから、仕方なくそうしています。
自分がそういう無理や我慢をしているから、空気を読めない人に対して怒りを感じます。
でも、空気を読めないからと言って人をバカにする人。
私はそういう可哀そうな人を救ってあげたいです。
「空気」の実態とは
「空気が読めない人」という場合の「空気」は誰がどのようにつくっているのでしょうか。
それは、たまたまそこにいる人たちの多数意見です。
つまり、空気が読めるかどうかは、そこにたまたまいた人たちの多数意見に気が付き、それに合わせることができるかどうかにかかっています。
しかし、その空気というものはあいまいで変わりやすいです。
だから、その「空気」に合わせるために常時、神経を研ぎ澄まして、そのときどきの「多数派意見」を観察することになりますが、これはかなり疲れます。
こうして多くの皆さんが探り合ってお互いに疲れ果てるという心理現象が日々発生していますが、私はもはやこれを「愚か」だと思っていただきたいです。
空気を読む意味がない時代
空気を読む文化がもはや通用しなくなりました。
その理由を私は説明できますが、字数の関係でここではやめておきます。
一言で言うなら「時代が変わった」ということです。
もはや、「空気を読む」ことの意義が薄れてきているのです。
では私たちはどう考えたらいいのか。
それは、「本音の対話ができる人になる」ということです。
でも、ここで多くの人が受け入れられなくなります。
「そんなの無理。本音なんて言えるわけない。」
と言う人がいかに多いことか。
言葉のキャッチボールができる人を育ててください
だから前回の記事で私は書きました。
「ご家庭で言葉のキャッチボールをして、親子でこの世界を共有する時間を作ることには価値がある」と。
この体験が少ない人には、本音の対話ができるなんて信じられないし、その価値もわからない。だから、これからの時代において必要な対話というものを否定しまうような人になってしまうのです。
そういう人がいまもたくさんいて、ちゃんとした対話ができません。
これはとても深刻な問題で、家庭の在り方から変えてゆかないことにはどうにもならないと私は思っていますから、どうかご家庭でちゃんとした対話をしてほしいと、ことあるごとにお願いしているのです。
「言わないでも察しろ。」
それは無理です。
マウントを取る人が、自分が上位であるときにだけ、それを他人に強制します。
それは愚かなんだということに早く気が付いて、対等の質の高い対話ができる人になってくださるために、私はカウンセリングを続けてゆきます。
家庭でちゃんとした対話をさせてもらえなかったせいで、今も苦しんでいる人がたくさんいますから。