今日は、「名前の唄を聴く」ことについて書いてみたいと思います。
私たちは毎日、生まれてこのかた、ずっと自分の名前で呼ばれ、それを何度となく書き、目にしています。
けれど、その名前を「聴く」ことは、あったでしょうか。
ほとんどの場合、名前がそれ自身の「唄」を持っていることも知らないでしょう。
私は毎日、いくつかの名前と向き合い、その方のためだけの名前の声を聴いて編み上げる詩を作っています。
その詩を、私は「名前の唄」と呼んでいます。
それは、名前の声を聴くことから始まります。私は名前が教えてくれたキーワードから、この世界で人々が感じる感覚に言葉を近づけるために、詩の言葉を探していきます。私は“作って”いる感覚よりも、声を形にしたいと願う思いに対して、詩を編む感性を使っているという感じなんです。
名前には、元々その名前だけの響きがあります。
私はただ、自分の中を空っぽにして、その名前に耳を澄ませ、そこに宿る言葉を手繰り寄せることに集中します。それから、その名前が教えてくれた世界観を壊さないように、詩に仕上げます。
だから、名前の唄は、出来上がった瞬間に、私に素晴らしい景色を見せてくれます。その方自身の魂の響きの宿る名前が本来持つ景色に感動させられるのです。
これまで、たくさんの「名前の唄」を作ってきました。
けれど、その作品を公開したことはありません。それは出来ないからです。
自然と「名前の唄」は、その方にとっての宝物になります。
人生の御守り(アミュレット)としてある名前の目に見える形として大切に抱きしめられるものになります。
みなさん、手帳の中に、スマホケースの裏(いつでも見れる場所)に、机の引き出しの奥(誰にも見せない特別な場所に)、そして家族の絆の証として飾ったりして、それぞれのやり方で、心の深いところを暖める御守りにしてくれています。
深く読み込む方もいれば、感覚で受け取る方もいます。
皆さんに共通しているのは、「自分という存在を愛せるようになる」という静かながらも、確かな変化を心に起こすことです。気付かないほどの些細な心の動きではありながらも、顔つきや心持ち、日常の生活に見える形で変化をもたらします。
不思議なことに、私はたくさんの方の名前を見つめながら、自分自身の名前の声を聴いたことはありません。
自分自身だけでなく、毎日そばにいる存在や、思い入れの強い名前ほど、その声を聴くことは難しくなり、より覚悟が必要になります。
それは、私の考えや意見を取り払い、声を聴く器になりきることが必要だからです。
名前は、人生で最初に贈られる祈りです。
そして、その響きは、今もずっと、あなたの中で鳴り続けています。
明日は、
「名前の唄」を書いている時に起きたことについて、お話したいと思います。