HP0の私が看護助手の放ったある言葉に救われた話

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コラム

こんな人に読んで欲しい

この記事は以下の方に向けて書かれています。
少しでも当てはまる方は是非読んでみてください。

・IBDのことで前向きな気持ちになれない
・入院実体験に興味/関心がある
・実体験を元にした読み物が好き
・実際に看護師、看護助手として働いている

それではどうぞ。

はじめに

私は国の指定難病である「潰瘍性大腸炎」を患っている。
発症から5年ほど、強めの薬を飲んだりやめたりを繰り返すことで、何とかギリギリ人並みの生活を送っていた。

この病気を流行りにのせて例えるなら「腹痛を起こす特級過呪怨霊に呪われている」が相応しい。
症状が落ち着く「寛解期」と日々腹痛に襲われる「活動期」を繰り返す。

その力はとても強大で、活動期となれば自らの判断ではその呪力を抑えることはできない。
そして、現代の医療では祓うこともできない。

再び暴走を始めたその力

2021年8月に合併症による関節炎で入院することとなった。
(正式名称:結節性紅斑)

この時の症状は、腹痛ではなく関節炎だった。
それも自力での起き上がりや歩行が困難なレベルのもの。

この時の入院では担当医の適切な治療によって、一週間ほどで退院することができた。

妻や職場の方々に迷惑や心配をかけたことを心から詫びた。
もうあの病室に戻らない。恩返しをしなければ、と本気で思った。

もう関節炎は治った。しかし何かがおかしい...

「あれ?症状が悪化してる...??」

強大な呪力を感じた。「腹痛」が再発した。
食事どころか水を飲むことさえ躊躇するレベルだった。

退院からわずか1週間ほど、
それは人生で初めて経験する「劇症化」だった。

アンコントローラブルな領域

関節炎の入院を終えてからは数日で仕事に復帰した。
ただ、あまりにもお腹が痛すぎる...。

これは後からわかったことだが、頼りにしていた薬が効きにくい体になってしまったらしい。

当然ながら大腸に絆創膏を貼ることはできない。
一度炎症が起きれば、その出血を自力で止めるのは不可能だ。

絶食など、いかなるセルフケアも無に帰す、
これは完全に自分には制御不能な領域だった。
すぐ病院に連絡し、緊急入院となった。

退院未定の絶食生活20日間

前回の入院で得た成功体験が「入院すればすぐに回復できる」という先入観を生み出していた。
その先に恐ろしい不安と苦痛の日々が待っていることなど、正直想像もしてなかった。

入院してすぐ強力な薬を限界量投与してもらったが、全く症状が良くならない。
さらには、大腸からの大量出血により輸血が始まった。

おや、いよいよ本格的に雲行きが怪しくなってきたぞ...?

「退院は未定です。迷惑と心配をかけて申し訳ない。」

妻や友人、職場の人にはそう伝えざるを得なかった。
そう伝えるたびに、少しずつ自分の心を削がれていく感じがした。

デリカシーはない、でも不快感のない言葉

入院から2週間ほど経った頃には、自力で歩行するのが困難なほど体力が落ちていた。
検査で移動が必要なときには、看護助手の方にベッドから検査室まで車椅子で送ってもらっていた。
看護助手に指名制度はなく、手が空いている人が毎回割り当てられる。

その病棟には40代くらいのとても陽気な看護助手のおばちゃんがいた。
いつも図々しいくらいに話を振ってくるので、この方は特に印象に残っていた。

「あら、随分と痩せちゃったわねぇ」

当時173cm47kgくらい。拒食症のモデルのように痩せ細った。
入院前から20kgも痩せたのだから、もはや別人と言ってもいい。

シャワー室で自分の身体を見ると、勝手に涙が出てくるほど精神的に追い込まれていた。

なのに、この人の言葉はスッと受け入れることができた。
悪意がなく、どこか前向きにさせてくれる力があった。

私は看護助手のある言葉に救われた
相変わらず回復の傾向は一切見られないが、内視鏡検査のためにその看護助手の方に運ばれている最中のことだった。

いつも通り看護助手の方が話しかけてきた。

「あれ、そういえば先月もいたよね?」

私は「退院後、薬が効かなくなって症状が悪化した」と伝えた。

「若い人って、向き合い方がわからなくて何度も戻ってきちゃうのよ。みんな我慢しちゃうの。」

真理を突かれたようで、何も言い返せなかった。
結局のところ、今も向き合い方はわからないままだ。

でも、のんびり治療をしているわけにはいかない。
私は今感じていることを率直にぶちまけた。

「妻にも職場の人にも、とても迷惑をかけてしまっている。
9月には後輩社員が入ってくる。一刻も早く治して、仕事に戻りたい。」

その看護助手は少し困った様子を見せたが、すかさずある言葉を私に返した。

「大丈夫、なるようにしかならないから!
オバサンが言うんだからホント!」

いや、大丈夫ではない。なのに、私はこの言葉に救われた。

頑張ってもいい、でも結果は別問題だよって事だ。
一ミリも否定されなかったことに拍子抜けしてしまった。

不意に肩の荷を降ろされたようで、検査前なのにボロボロ泣いた。
検査中も涙が止まらなかった。理由はお腹が痛いだけだって言い張った。

30歳にもなる男が急に泣き出したのだから
看護助手も検査医も、さぞかし驚いたことだろう。

この言葉を受けて、職場の人にも「今は治療に専念したい」と率直に伝えることができた。

さいごに

検査が終わってから、ふとその看護助手さんからなぜそんな言葉が出たのか気になった。
これは完全に想像の域であるが、その方も「なるようにしかならなかった」のだろう。

その人も自分なりに努力をしたけれども、期待した結果にならなかった体験が過去にあったのかもしれない。

私はその言葉から妙な説得力を感じ取ってしまって、何も言い返すことができなかった。
今では私の人生の中でも教訓になっています。

現実はそう簡単に受け止められない。
でも、受け止めなければならない時もあるということを学びました。
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